『ギャング・オブ・アメリカ』 グレーの濃淡

外国映画

監督・脚本はエタン・ロッカウェイ。監督作品としては2作目とのこと。

原題は「Lansky」。

物語

1981年、マイアミ。作家のデヴィッド・ストーンは、伝説的マフィアであるマイヤー・ランスキーの伝記を書くことになる。出された条件は、『俺が生きているうちは、誰にも読ませるな』。そして、インタビューがはじまり、ランスキーは自らの人生を赤裸々に語りはじめる。それは、半世紀以上におよぶ、ギャングたちの壮絶な抗争の記録だった。
貧しい幼少時代、ラッキー・ルチアーノとの出会い、そして殺し屋集団《マーダー・インク》を組織し、ついにはアル・カポネやフランク・コステロと肩を並べる存在まで上り詰め、巨万の富を築いたランスキー。
インタビューが終わりに近づいた頃、ストーンはFBIが3億ドルともいわれるランスキーの巨額資産を捜査していることに気付く。捜査協力を強いられたストーンは、ある“決断”を下すことになる……。

(公式サイトより抜粋)

マイヤー・ランスキーという男

マイヤー・ランスキーという人物は、実在した有名なギャングということ。アル・カポネとも並べられるほどとも言われ、『ゴッドファーザーPARTII』には彼をモデルにした登場人物もいたのだとか。私はランスキーのことを知らなかったが、ギャング映画が好きな人にはそれなりに知られている人物らしい。

ランスキーがほかのギャングと毛色が違うのは、自ら“ビジネスマン”と名乗り、計算に強くてマフィアの仕事をビジネスと割り切っているところだろうか。本作は、デヴィッド・ストーン(サム・ワーシントン)という伝記作家が、ランスキーの伝記を書くという設定で展開していく。

実はこのデヴィッドという作家のモデルは、監督であるエタン・ロッカウェイの父親で、その父親は実際にマイヤー・ランスキーにインタビューした経験があるのだとか。つまり本作は監督が自分の父親のことを描いている側面もあるのだ。正直に言えば、作家デヴィッドのエピソードは不必要に思える部分も多く、かえってランスキーの物語の邪魔になっているようにも感じられた。

ランスキー(ハーヴェイ・カイテル)が語る過去の話と、現在時の作家のエピソードが交互に進んでいくからか、どうしてもランスキーのエピソードはどれも断片的なものになってしまう。だからだろうか、マーダー・インクの暗躍などの血なまぐさいエピソードもあるのだが、映画が終わって振り返ってみると、ギャング映画としての派手な印象はほとんど残らないのだ。

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一番観客の情感に訴えるエピソードとしては、若い頃のランスキー(ジョン・マガロ)の片腕とも言える“バグジー”ことベンジャミン・シーゲル(デヴィッド・ケイド)のことを、のちに殺すことになる部分だろう。ただ、これに関しては、バグジーがラスベガスで何をやっているのかがほとんど描かれないから、いまひとつわかりにくい気もした。

もちろんランスキーのことに詳しい人ならば知っていることなのかもしれないのだが、バグジーとはラスベガスを作った男などとも言われる有名な人物なのだ。彼に関しては、バリー・レヴィンソン監督の『バグジー』に詳しく描かれている。

『ギャング・オブ・アメリカ』でのバグジーは、ランスキーとは対照的に腕っぷしが強くてキレやすい男というくらいのイメージでしかなかったのだが、『バグジー』では恋愛と自分の夢に向って突き進み自滅していった、ある意味では魅力的な男として描かれている。

本作もバグジーのことに関してもっと詳しく描けば、ランスキーがそんなバグジーを守ろうとしつつも果たせずという部分が、もっと感動的になったのかもしれない。しかし、そうなると如何せんランスキーの映画ではなく、バグジーの映画になってしまうということだったのだろう。

グレーの濃淡

ギャングとしてのランスキーを描くためには作家のデヴィッドの存在は不必要だったのかもしれないけれど、その一方でランスキーとデヴィッドとの交流は、ランスキーがそれほど特別な人間ではないことを示すことにはなっている。デヴィッドが妻との不和で悩んでいると、ランスキーは「女は厄介でも殺すわけにはいかないからな」などと笑いながら相談に乗ってくれる。そんなところは人のいいおじいさんにも見えてくる時もあるのだ。

FBIはランスキーが3億ドルの資産を隠し持っているとしてそれを探っている。そして、ランスキーから過去の話を聞いているデヴィッドは、資産の隠し場所についてFBIから情報提供を呼びかけられることになる。デヴィッドもこのことに関しては興味を持っていたようだが、ランスキーは最後までそれに関して語ることはなかったし、多額の資産が見つかることもない。3億ドルの資産というのは、ギャングは悪事を働いて資産を蓄えているはずだという、外部の人間が勝手に作り上げた虚像だったのだろうか。

ランスキー曰く、この世は白と黒ではなく、グレーの濃淡でできている。完全に善だけの人もいないし、完全に悪だけという人もいないということだろう。誰もがそれらが少しずつ交じり合ったグレーであり、白に近いグレーか、黒に近いグレーか、その違いがあるに過ぎないというのだ。

ランスキーはビジネスとして邪魔な人間を殺してきたかもしれないけれど、反ナチスの運動に資金を提供したりする、愛国者としての側面もあるのだ(これはユダヤ移民だからでもあるわけだが)。ランスキーはギャングだが完全に黒というわけではなく、その点はわれわれとあまり変わりはないのかもしれない。

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ゲームを支配する側に

ランスキーがデヴィッドに語った最初のエピソードは、ロシアからの移民だったランスキーが、子供の頃コサック兵に酷い目に遭わされたという話だった。それ以降、ランスキーは常に武器を持つようになったらしい。誰かに支配されるようなことは二度とゴメンだと考えたからだろう。

その後のランスキーはゲームの支配者になることを望む。賭博場で言えば、それを開帳する側の人間になろうとするのだ。ランスキーはそうやってゲームをコントロールする立場にあり続け、ギャングの大物として認められるほどの成功を手にすることになる。

ところがランスキーの息子は、障害を持って生まれてくる。そのことは変えられないし、ランスキーはそれを受け入れるほかない。ギャングの世界を生き抜き、それをコントロールする側にいたランスキーも、人生までは支配できなかったということらしい。

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ここまで色々と書いたけれど『ギャング・オブ・アメリカ』の見どころは、ハーヴェイ・カイテルの久しぶりの主演作というところだろう。ちょっと前のギャング映画『アイリッシュマン』にも顔を出していたけれど、ゲスト的な立ち位置でもの足りなかったわけで、その点では本作は存分にハーヴェイ・カイテルを堪能できる作品となっている。

ハーヴェイ・カイテルは、本作とキャラクターが被っている『バグジー』にも別の役柄で出演していた。それでも本作でランスキーを演じたかったのは、ランスキーとはユダヤ系という点で共通点があったからなのだろう。

1993年の『ピアノ・レッスン』では、共演のホリー・ハンターが小柄だということもあって、ハーヴェイ・カイテルはものすごくいかつく見えたのだが(『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』の裸もごつかった)、さすがに歳をとったのか本作ではちょっと小さくなったような……。あれから30年近く経てば当然なのだけれど。

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