ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞した。
物語
夢に見た結婚パーティー。マリアンにとって、その日は人生最良の一日になるはずだった。裕福な家庭に生まれ育った彼女を祝うため豪邸に集うのは、着飾った政財界の名士たち。一方、マリアン宅からほど近い通りでは、広がり続ける貧富の格差に対する抗議運動が、今まさに暴動と化していた。その勢いは爆発的に広がり、遂にはマリアンの家にも暴徒が押し寄せてくる。華やかな宴は一転、殺戮と略奪の地獄絵図が繰り広げられる。そして運良く難を逃れたマリアンを待ち受けていたのは、軍部による武力鎮圧と戒厳令だった。電話や通信網は遮断され、ついさっきまで存在していたはずの法と秩序は崩壊、日常が悪夢に変わる。だが、“最悪”はまだ始まったばかりだ。
(公式サイトより抜粋)
格差社会、再び
主人公マリアン(ナイアン・ゴンサレス・ノルビンド)にとっての晴れ舞台である結婚パーティー。その豪邸には判事などの有力者たちが集い、いかにもおめでたい雰囲気が漂っている。
そんなパーティーには様々な準備や給仕も必要で、サービスを受ける側は白人なのだが、サービスをする側は肌の色が異なる。メキシコでも支配者層は白人なのだ。
格差社会を描いた『パラサイト 半地下の家族』もそうだったが、富裕層の豪邸にはそれを享受する側と、彼らに雇われている貧困層がいる。通常は富裕層と貧困層はあまり交わらないのかもしれない。本作でも富裕層と貧困層は、別々の地域に暮らしている。それでもメイドを雇うような大邸宅では、富裕層と貧困層が交わることになる。
その日も、マリアンの家にはかつて使用人をしていた男がやってきて金を無心することになる。男の奥さんがすぐにも手術が必要な状況にあったからだ。男はマリアンの母親である奥様に頼むのだが、少しの金を与えられて追い出されてしまう。マリアンはそんな彼を助けてやろうとして男の家に向かうのだが……。
一体何が起きている?
マリアンが使用人と一緒に外に出ると、すでに街は騒然としている。貧困層の住む地域では暴動が起き、混乱状態になっていたからだ。そして、マリアン宅のパーティーにもその波は押し寄せる。メイドの一人はそれを予測していたふうでもあるから、混乱に乗じてパーティーに侵入するのは計画的な犯行だったのかもしれない。
パーティーは侵入者によってあっという間に地獄と化す。マリアンの父親は銃撃され負傷し、母親は金庫を開けさせられた上で頭を撃ち抜かれる。そのほか多くの富裕層も金品を奪われることになる。
たまたまパーティーを抜け出していたマリアンは、その凶行からは逃れるものの、次の日、何者かに誘拐されることになってしまう。誘拐犯はライフルのようなものを持った集団で、地下施設で富裕層の面々を監禁していて、その家族たちに身代金を要求するビジネスを展開しているのだ。
イヤな気持ち
事態は混沌としている。突然現れた貧困層にパーティーは乗っ取られ、マリアンは誘拐され監禁される。一体何が起きているのか。『ニューオーダー』は、そんな疑問に対する説明もなく、マリアンたち富裕層は蹂躙されることになる。
これは観ている側も同様だろう。本作では、視点はマリアンたち被害者の側にある。暴動を起こした側は何の説明もなく突然現われ、富裕層を小突き回し、レイプし、殺害することになるわけで、観ている側としても暗澹とした嫌な気持ちになるだろう。
ミシェル・フランコ監督の作品は、なぜかいつもとても嫌な気持ちにさせてくれるわけで、本作でもそれに成功している。何が起きているのかはわからないけれど、何かとんでもないことが起きていることはわかる。それまでシャンパンを片手に談笑していた富裕層は突然地べたを這いずり回されることになり、誘拐された者たちはアウシュビッツの収容所のごとくに男も女も裸にされて水浴びをさせられることになるのだ。
※ 以下、ネタバレもあり!
事態を把握してみれば
私自身はそんなふうに詳細についてはよくわからないまま観ていたのだが、後になって鑑賞した人の感想などを読んで補足すると、誘拐犯たちは軍隊の一部が暴走したものだったらしい。そして、彼らは有力者であるマリアンの父親の要請などもあって正規の軍隊が出動したことにより、排除されることになる。
ところがマリアンが地下から救助されてハッピーエンドということにはならない。彼女はそのまま貧困層の住む地域に連れていかれ、マリアンの使用人の家で使用人と共に殺されることになる。
これは軍が内部から暴走した者が出たという秘密を漏らされたくなかったからだろう。秘密を知っているマリアンは貧困層の暴動に巻き込まれて死んだことにされ、軍の秘密は闇に葬られることになったというわけだ。軍の内部の暴走者たちはこっそりと始末され、すべては貧困層の暴動のせいということにされ、一部の貧困層が縛り首になったというのが結末だ。
本作はとても怖い話だったし、大量のエキストラを使って撮影されたという、暴動後に死体が累々と転がっているところなどはリアリティがあったとは思うのだが、貧困層の描き方には問題がありそうだ。本作が賛否両論だというのもそういうところかもしれない。
メイドの一人は「散々こき使いやがって」みたいな愚痴を漏らしていたから、不満が溜まっていたのは理解できるのだが、マリアンの邸宅に乗り込んできた貧困層はまるでゾンビのようで、命乞いの言葉が通じていないかのように襲ってくるのだ。こうした描写は、人種差別と批判されても致し方ないのかもしれない。
誰に向けての警告か?
監督のミシェル・フランコは、インタビューで本作についてこんなことを語っている。
メキシコには6,000万人の貧困層がいて、ほとんどのラテンアメリカでは貧困層が大部分を占めている。そして汚職がある。僕は子供の時、父や大人たちに『これでOKなはずがない』と言い続けていたのを覚えている。貧しい人たちがたくさんいるのに、なぜ僕たちは恵まれているの? なぜごく一部の人間だけがまともな暮らしができるの? と。いつか爆発することになる時限爆弾のようだと思っていた。社会的格差というのは人種問題でもある。メキシコも白人に支配されているから。メキシコに限らず、世界も過激な方へ進んでいる。新型コロナウイルスのパンデミックはすでに苦しんでいた人々に打撃を与え、本作は不幸にも、今の時代に合った映画になってしまった
これを読むとミシェル・フランコは白人だし、支配者層の側にいるということがわかる。そして「本作は警告だ」というのだが、マリアンなど善人ばかりが殺されるのはもしかしたら支配者層の自己批判も入っているのかもしれないけれど、その一方で結局は「ニューオーダー(新しい秩序)」は潰されることになり、白人支配者層が軍の力で「オールドオーダー」を回復したわけで、貧困層を縛り首にするというラストは誰に向けての警告だったのかとも感じてしまった。
確かに場当たり的な暴動がニューオーダーにつながるわけもないというのは現実認識としては正しいのだろう。そうかと言ってあのオチでは、貧困層に脅しをかけて、現在の体制の強化を狙っているようにも思えるのは気のせいだろうか?
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