マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の第26作。
監督は『ノマドランド』などのクロエ・ジャオ。
人類を庇護する神々?
フェーズ4に入ってからの作品も一応劇場で観ているのだけれど、特筆すべきところはないような気もしてレビューも書いてはいなかった(『シャン・チー/テン・リングスの伝説』はカンフー映画である前半は快調なのだけれど、龍が出てきてから途端に退屈になってしまった)。『エターナルズ』に関しても新たなヒーローが10人も登場するというくらいしか知らず、期待もせずに劇場に足を運んだのだが、今まで以上に壮大な話となっていて、その点はよかったと思う。
今回の主人公たちは“エターナルズ”という7000年前から人類を守ってきたという神々のような存在だ。そもそもの始まりには“セレスティアルズ”と呼ばれる創造主みたいな存在がいる。そして、セレスティアルズの一人であるアリシャムが、“ディヴィアンツ”という悪魔チックな生き物を生み出し、地球の頂点捕食者を狩らせるためにディヴィアンツを派遣する。それは人類を頂点捕食者から守るためだったのだ。ところが何かの手違いでディヴィアンツは人類を襲うように変化(進化)してしまったらしい。
そこでアリシャムは次の策としてエターナルズを生み出し、彼らを派遣して人類をディヴィアンツから守らせることになったわけだ。そして、数世紀前にはエターナルズはディヴィアンツを駆逐して目的を果たした。それでもアリシャムから帰還命令が来ないために、エターナルズは地球上で散り散りになって人間たちに交じって暮らしてきた。
ところが今になって突然出現したディヴィアンツは人間ではなく、エターナルズを襲ってくる。本作の主人公と言えるセルシ(ジェンマ・チャン)は仲間であるスプライト(リア・マクヒュー)と一緒のところを急襲されるのだが、そこへかつてのセルシの恋人でもあったイカリス(リチャード・マッデン)が現われて事なきを得る。突然のディヴィアンツの登場に、セルシたちは再びエターナルズを結集させることになるのだが……。
意外な人間臭さ
ディヴィアンツという恐ろしい敵から得体の知れない力を駆使して守ってくれるエターナルズを、人類は神々のように感じているだろう。ここには庇護される者と、庇護する高次の存在という関係性がある。
ただ、庇護される側はあまり庇護する側の思い通りにはならないようだ。人類はエターナルズも呆れるほど愚かなところがある。エターナルズがディヴィアンツという捕食者を狩ったのに、人類は自分たちで勝手に争いをはじめ、人間同士で殺しあっているからだ。
人間たちをコントロールできる能力を持つドルイグ(バリー・コーガン)は、人類が愚かな行動を避けるように操ることもできる。しかしそうなると人類はエターナルズの操り人形に過ぎなくなるだろう。また、ファストス(ブライアン・タイリー・ヘンリー)は太古の昔から人類に技術的発展を与える役割を果たしてきた。しかし、それは裏目に出ることになる。科学技術の発展した結果、人類は広島への原爆投下という悲劇を起こすことになるからだ。このことでファストスは人類に愛想を尽かすことになるわけだが、人類はエターナルズの思い通りには動いてくれない厄介な存在だということになる。
同じような構図はエターナルズとセレスティアルズについても言えるのだろう。エターナルズはその創造主であるセレスティアルズに庇護される関係にある。それでもエターナルズは庇護する側であるセレスティアルズの思い通りにはならないからだ。
エターナルズはディヴィアンツを駆逐するために生み出された。ディヴィアンツが手違いで勝手に進化してしまったのに対し、エターナルズは進化できないようにプログラムされている。これはエターナルズ自身にとっても驚きだったはずだ。これではエターナルズはセレスティアルズの操り人形として造られたことになるからだ。
それでもエターナルズは創造主セレスティアルズの思う通りにはならない。進化できないように造られた操り人形かもしれないが、それでも自ら考える力はあるし、自由な意志を持つ存在だからだ。エターナルズの中でもその後の対応が割れることになるのは、セレスティアルズの思惑にも関わらずエターナルズが単なる操り人形ではないことを示した瞬間だったのかもしれない。
人間を庇護してきたエターナルズが「神々のよう」だと先ほどは記したわけだけれど、次第にそれは間違いだったかのように思えてくる。永遠の命を持つかと思われていたエターナルズだが、その姿はとても人間臭いのだ。セルシとイカリスが結婚してみたり、さらにイカリスに横恋慕するスプライトを交えた三角関係など、やっていることはあまり人間と変わらない(同性愛まである)。人間に近しいギリシャ神話の神々みたいなイメージなんだろう。その意味では「ヒーロー映画」を観に来た観客にとっては肩透かしだったのかもしれない。さらに言えば、クロエ・ジャオ監督の作家性を示す作品としては、MCUという大枠が邪魔になり中途半端なものにも感じられた。
※ 以下、ネタバレもあり!
壮大な展開
個人的には壮大な展開が興味を惹いたわけだけれど、それは人類の存在そのものに関わることだ。というのは、アリシャムの真の目的は人類を守ることではなかったからだ。人類をエターナルズに守らせ繁殖させることによって、新たなセレスティアルズであるティアマットを誕生させることが真の目的なのだ。
セレスティアルズは10億年ごとに新たなセレスティアルズを生み出す。それには人類のような知的生命体のエネルギーが必要になる。つまりあけすけに言ってしまえば、人類はセレスティアルズ誕生のためのエサだったということだ。
地球はセレスティアルズを孵化させるための卵みたいなもので、地球の中に蓄えられた人類のエネルギーはセレスティアルズの誕生と同時に食い荒らされ、地球という卵は内側から突き破られて破壊されることになるらしい。とにかく壮大な設定だ。
この事実は人類にとっては残酷な結末だ。しかしながらこれは人類が家畜にしていることと何の違いもないとも言える。われわれがほかの動物を殺して養分として取り入れるのと同じことを、より高次な存在であるセレスティアルズがやっているだけということだ。
もちろん人間にとってそんな事実は受け入れられるわけもない。エターナルズが分裂することになるのも、人類の運命に同情を抱くか否かという点にある。イカリスは創造主であるセレスティアルズの命令に忠実であろうとするが、リーダーのエイジャック(サルマ・ハエック)やセルシたちは人類に同情的であり、セレスティアルズに反旗を翻すことになる。
セレスティアルズからすれば、エターナルズは長らく人間たちと一緒に居すぎたことによって、それに感化されすぎたということなのだろう。イカリスも最後はセルシのことを殺すほど非情にはなれなかったという点で人間らしい感情に溺れたと言えるからだ。
人類とMCUの行く末は?
ここまで20作以上も続いてきたMCUが、人類が消滅し、より高次の存在であるティアマットの誕生で終わったとしたら、のちのちまで語り継がれる問題作になったかもしれない。この場合、人類の叡智はティアマットに受け継がれたとか、人類の記録はセレスティアルズの管理するどこかに保存されている。そんなふうにわれわれは自らを慰めることになったのかもしれない。
しかし実際にはそんなことにはならないわけで、ラストではセルシたちがティアマットの誕生を阻止した形にはなる。それでもアリシャムは自ら地球に介入してきたし、この壮大な設定自体は維持されているわけで、今後の展開が気になるところだ。セレスティアルズと闘うというのはちょっと想像できないし、あまりに壮大な話になり過ぎて収拾がつかないなんてことにならないといいんだけれど……。
ここからは映画の内容を離れるけれど、人類よりも高次の存在によって人類が操られているという設定は、たとえば小説では『幼年期の終わり』とか『タイタンの妖女』のような作品もある。それではなぜそんな設定が要請されるのかと言えば、人類にとって究極の目的が存在しないからかもしれない。
争い事のない世界で平穏に生きることは望むべきことだろう。そして、そのなかで自分たちの遺伝子をつなぐことができれば、それ以上何を望むのかということなのかもしれない。しかしながら遠い未来のどこかで太陽の膨張ですべてが燃え尽きてしまったとしたら、それまでの人類の営為は無意味なものになってしまうんじゃないか。
そんなふうに感じる人もいるかもしれない。青臭い人はもっと究極の目的のようなものがあってしかるべきなんじゃないかなどと考えてしまう。実際には、生きてしまったから生きているというだけでしかないのかもしれない。しかしながら、そんなどうしようもない虚無に直面することは耐え難い。そのことが別の目的を呼び込むことになるのだろう。たとえそれが人類が高次の存在のエサになるのだとしても、人類の存続自体に何の意味もないということよりはマシということだろうか?
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