『未知への飛行』 失敗学は有効か?

外国映画

1964年のシドニー・ルメット監督作品。

原題は「Fail Safe」

世界の終わりと映画

コロナ禍で生活習慣も変わったことの余波で、家で動画配信サイトをダラダラ見るのに慣れてしまったからか、劇場で新作映画も観たりもしたのだがあまり集中できず、いまひとつピンとこなかったので、昔の作品を紹介したいと思う。

『未知への飛行』という作品を知ったのは、最近読んだ『映画と黙示録』という本に紹介されていたから。この本の著者・岡田温司は美術史を専門とされている方のようで、以前に『映画は絵画のように 静止・運動・時間』『黙示録 イメージの源泉』という本も読んでいたのだが、とても学ぶことの多い本だった。

黙示録というのは新約聖書にある「この世の終わり」について書かれた文書だが、『映画と黙示録』は「この世の終わり」をテーマにした映画を取り上げた本ということになると思う。そのなかには私が初めて知った作品もあり、それらのいくつかはU-NEXTで観ることができたのが、そのなかでも一番引き込まれたのが『未知への飛行』だった。

『未知への飛行』はキューブリックの『博士の異常な愛情』と同じ年(1964年)の公開で、しかも同じテーマを扱っているということもあってあまり話題になることもなかったようだ。日本では1982年になってようやく劇場公開されたらしい。

その意味では不遇な作品だったわけだが、もっと評価されても良さそうな作品だ。同じように核の脅威を描いた『博士の異常な愛情』はシニカルなコメディとして距離を取って客観的に見ているところがあったわけだが、一方の本作はストレートに当事者たちのドキュメンタリーのように描いていく。観客もその当事者の目線で事態を追うことになるわけで、余計に恐怖感があったんじゃないかと思う。

『未知への飛行』 核爆弾を搭載した爆撃機のコックピット内

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冷戦時代の核の脅威

時代はアメリカとソ連は鉄のカーテンによって分断され、核戦争の恐怖が間近に迫っているというのが如実に感じられた頃。本作の原題である「Fail Safe」は、劇中では「Fail Safe Point(進行制限地点)」という言葉で使用されている。爆撃機はその地点で旋回して命令を待つことになる。命令がなければ引き返すことになるわけだが、本作では機械の誤作動によって大統領しか出すことのできない命令が出されてしまうことになり、危機的な状況を生み出してしまう。

間違った命令によって、アメリカがソ連のモスクワに核爆弾を投下する作戦が動き出す。アメリカ側は大統領などが中心となって自国の爆撃機を止めようとするのだが、それが簡単にはいかない。一度出された命令は必ず成し遂げるということを念頭に置いて訓練されている飛行士たちは、口頭での指示には絶対に応じないことになっているからだ。敵側が大統領の声色を真似て指示を出してくる可能性もあるからだ。命令遂行の邪魔を排除することに関しては最大限に考慮されているのに、逆にそれを止める方策は何とも脆弱だったというのが皮肉だ。

このままではモスクワに核爆弾が落とされ、それに対抗することになるソ連側はアメリカに向けて核爆弾を発射することになるわけで、そうなるとそこには悲劇的結末しかないことになる。

『未知への飛行』 戦闘の様子がモニタリングされる会議室内

あり得ないラスト

実際の危機は爆爆弾を搭載した爆撃機がいるソ連上空で進行しているわけだが、本作ではアメリカ側の大統領(ヘンリー・フォンダ)とその通訳(ラリー・ハグマン)がこもっている地下の執務室、軍人やたまたま視察に来ていた民間人が集う会議室、さらには爆撃機のコックピットという密室だけで展開していく。

シドニー・ルメットの名作『十二人の怒れる男たち』と同様の会話劇ということになるわけだが、まったく退屈させることがない。刻一刻と世界を破滅に導くであろう瞬間が迫ってきているわけで、その切迫度は著しく、観客は手に汗を握ることになるだろう。

決断を迫られるのはアメリカの大統領で、コントロール不能となった自国の爆撃機を自分たちで撃墜するという決断をすることになる。それだけでも苦渋の選択だが、さらに万が一モスクワに核爆弾が落とされた時のことを考慮しなければならない。その時、ソ連側が反撃しアメリカ全土に核爆弾の雨を降らせることになればどんなことになるのか想像もつかない。したがって大統領はさらに厳しい決断をすることになる。万が一の時にはソ連側に「誠意を示すために」、アメリカのニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに向けて核爆弾を落とすとソ連側に申し出るのだ。

『未知への飛行』 大統領役のヘンリー・フォンダ

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失敗学は有効か?

この大統領の決断は現実にはあり得ないものと思える。ちなみに本作が紹介されていた『映画と黙示録』では、この決断に対してこんなふうに解説している。

その解決が突飛であればあるほど、また自虐的であればあるほど、わたしたち観客は、核兵器を前にして、敵と味方の区別もなければ、勝者も敗者もいない、あるのはただ双方に共通の運命―絶滅―だということを思い知らされる。

本作では大統領とソ連側とのやりとりで、二度とこんなことを起こさないようにと、両国の間にある壁を壊すことを誓い合うような瞬間もある。ここには製作陣の願いが込められているように感じるわけだが、しかしそのことも遅きに失した形になる。というのも両国の間でその言葉が交わされるのは、まさに核爆弾が落ちようとしている時だったからで、核戦争など回復不能な出来事が起こってからでは遅いからだ。

もちろん現実にはそんな事態は避けられたわけだが、冷戦を終結させたのはアメリカとソ連が歩み寄ったからではなかったんじゃなかろうか(歴史や国際政治に疎いので大層なことは言えないが)。別の理由で核戦争が回避されたとしても、本当に安全が担保されているとは思えない。

これは他人事とは言えないわけで、福島原発のような重大な事故を起こすまで学ばなかった我が国も似たようなものかもしれない。大きな失敗をするまで学ぶことがないというのは……。

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