『エイリアン』や『最後の決闘裁判』などのリドリー・スコットの最新作。
主演は『グラディエーター』などのホアキン・フェニックス。共演は『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』などのヴァネッサ・カービー。
物語
1789年 自由、平等を求めた市民によって始まったフランス革命。マリー・アントワネットは斬首刑に処され、国内の混乱が続く中、天才的な軍事戦略で諸外国から国を守り皇帝にまで上り詰めた英雄ナポレオン。最愛の妻ジョゼフィーヌとの奇妙な愛憎関係の中で、フランスの最高権力を手に何十万人の命を奪う幾多の戦争を次々と仕掛けていく。冷酷非道かつ怪物的カリスマ性をもって、ヨーロッパ大陸を勢力下に収めていくが――。フランスを<守る>ための戦いが、いつしか侵略、そして<征服>へと向かっていく。
(公式サイトより抜粋)
壮大なスペクタルが見事
ナポレオンの名前は誰でも知っているけれど、実際には何をした人なのだろうか? 教科書には出てきたはずだし、何かは習ったはずだけれどよく覚えていない。ちょっとだけ調べてみると、中学レベルの歴史では、ナポレオンが登場したことでフランス革命の理念というものがヨーロッパに広がったなどと書かれていた。ナポレオンの存在の歴史的な意義としては、そんなところにあるということなんだろうか。
しかしながらリドリー・スコットの最新作『ナポレオン』は、そういった歴史の勉強にはならなそうだ。リドリー・スコットは出来事を映像として示すけれど、それに対する解説などは一切しないからだ。もしかするとナポレオンの偉業は常識であって説明など必要ないと考えているのかもしれないし、あるいは本を読めばわかることを映画でやる必要はないということなのかもしれない。
ただ、歴史的な戦いの絵巻物としては見事だったとは言える。とにかく壮大なスペクタルが展開することになるからだ。撮影カメラ11台、集められたエキストラ総勢8000人などと言われる物量はさすがで、圧倒的で迫力のある映像を見せてくれる。そうした点では、まさに映画館で観るべき作品になっていることは間違いない。
ナポレオンは戦略家としても優れた人で、「アウステルリッツの戦い」では敵軍をうまく湖の上におびき出し、そこへ大砲をぶち込み冷たい水の中へと叩き込むことになる。やられたほうは馬などと諸共に水の中へとドボンということになり、そのまま凍り付くことになる。
それから方陣という戦術を上空からの空撮で捉えたシーンや、モスクワ全体が炎に包まれるシーンなど、「戦い」の歴史的な意義はわからなくても、派手な画を見せてくれるわけで、見どころは盛りだくさんなのだ。
戴冠式の意味合いは?
とはいえ、ナポレオンのいくつかの有名な「戦い」の不連続な断片を見ているような感じがするのも確かだ。それというのもやはり解説めいたものがないからかもしれない。たとえば、戴冠式のシーン。これはナポレオンが画家のダヴィッドに実際に描かせた絵画としても残っていて、本作の戴冠式のシーンはその絵画を再現した活人画にも見える。
ナポレオンがこの場面を画家に描かせたのは、その戴冠式に何らかの意味があったからなのだろう。劇中では、ローマ教皇がいるにも関わらず、ナポレオンは自らの手で頭に王冠をのせることになる。このことの意義は、ナポレオンが「人民から選ばれた」皇帝であるということを強調するためだとか。
ただ、リドリーはそれをさらりと描くだけだ。たとえば「NHK特集」みたいな番組でこの場面を取り上げたとしたら、ナレーションなんかでクドクドとその歴史的な意味合いを説明してくれるところだろう。ビジュアリストのリドリーとしては、そんな無粋なことはできないということなのかもしれない。
だからそれぞれの「戦い」の意味合いも特段の解説はない。もちろんナポレオンの偉業について詳しい人にとっては、そのことはすでに頭に入っているのかもしれないけれど、歴史オンチの自分のような人には本作を観ているだけでは何のためにナポレオンが戦っているのかがわからないわけで、今ひとつ作品に入り込めない要因にもなっているような気もする。
戦場よりも奥様が?
リドリーが描くナポレオン(ホアキン・フェニックス)はカリスマっぽくはないし、野心家にも見えない。そして、本作の中心にあるのはナポレオンと最初の妻のジョゼフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)との関係だ。
リドリーが興味を抱いたのは、遠くロシアまで攻め込んでいく皇帝ともなったナポレオンが、常にジョゼフィーヌのことを気にしていることのほうだ。戦争を戦いつつも、常にジョゼフィーヌのことが気にかかっているという、そんなナポレオンという男の不思議さなのだ。
ふたりは結婚はしたものの、戦争を指揮するナポレオンはいつもジョゼフィーヌと一緒にいるわけにはいかないわけで、彼女は独りで邸宅に残される。そうすると浮気者の彼女はほかの男と関係を持つことになる。そんな噂を知ったナポレオンは遠征先のエジプトからわざわざ取って返し、ジョゼフィーヌを詰問することになる。
ジョゼフィーヌは「私を棄てないで」などと言ってみたりもするけれど、「私がいなければ、あなたなんてただの男にすぎない」と罵ってみたりする。しかも同じことをナポレオンが繰り返したりもするわけで、このふたりの関係は何だか凡人にはわかりかねる不思議なものがあるのだ。こうしたふたりの関係は、子どもが産まれずに離婚を余儀なくされて以降も続いていくことになる。
ちなみに本作には2つのバージョンが存在するらしい。劇場公開されたバージョンでも158分の長尺だけれど、別バージョンはさらに長い270分になっているとのこと。ナポレオンとジョゼフィーヌとの関係がさらに掘り下げられることになるようだ。
劇場公開版はどこかで「戦い」の不連続な断片にも見えてしまったけれど、別バージョンのほうでは流れるような筋を持つ物語になるんだろうか?
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