『窓辺にて』 パフェとパチンコの効能

日本映画

『愛がなんだ』などの今泉力哉監督の最新作。

主演は『半世界』などの稲垣吾郎

物語

フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。

(公式サイトより抜粋)

シンプルな会話劇

ほとんど音楽もなく、シンプルに会話だけの143分。喫茶店の窓辺や公園のベンチ、ホテルのベッドの上や、自宅のリビングなど、その会話の場所は様々だし話題は多岐に渡るけれど、登場人物は飽きもせずに会話をするだけ。それが延々と続く。でもなぜかおもしろい。

とりわけ大きな盛り上がりがあるというわけでもない。というのは主人公の市川茂巳は感情を出すことがちょっと苦手という設定だからだろうか。この茂巳を稲垣吾郎が演じていて、このキャラクターは彼に“あて書き”されたものだというだけあって、そんな人物がいてもおかしくないというリアルさがある。

茂巳は妻・紗衣(中村ゆり)の浮気に悩んでいる。というか、そのことに怒りを感じないということにショックを受けている。結局、彼は紗衣にそれを打ち明けることになる(この場面はかなりの長回しで撮られている)。しかしながら、本作はそこがドロドロの愁嘆場になることもない。紗衣は茂巳を責めたりもする。浮気を知っていたのに、どうして何も言わずに平気でいられたのかと。

それでも二人のそうした会話はそれほど激することもない。茂巳はそんな時でも理知的に話しているし、何よりもとても正直に心の内を告白しているからかもしれない。ごまかしたりすることもなく紗衣にそれを打ち明けるから、紗衣としてもあまり感情的になれないのかもしれない。そんな意味で本作は茂巳の性格と同じように、穏やかでやや単調に展開していくと言ってもいい。それでもなぜかおもしろくて目が離せないのだ。

(C)2022「窓辺にて」製作委員会

理解と不理解

茂巳は高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)と知り合う。留亜が茂巳に興味を持ったのは、文学賞受賞の記者会見会場にいた記者たちの中で、彼女の小説を本当に理解してくれているのは茂巳だけのように思えたからだろう。

茂巳の今の仕事はフリーライターだが、かつて小説を発表したこともあった。茂巳と留亜は互いの小説の良き理解者であると言える。その意味で二人はよく似ているのだが、二人にはもちろん違いもある。留亜は「理解されたい」と思っているのだが、茂巳はそうではない。「理解されない」ほうがかえって救いになると考えているのだ。というのは、理解されたりすると、相手を裏切ることにもつながるからだ。だから茂巳は留亜に「理解なんかされないほうがいいことも多いよ。期待とか理解って時に残酷だから」と語っている。茂巳がそんなふうに言うのは、紗衣との関係があるからだろう。端的に言えば、茂巳は紗衣から理解されていないのだ。

留亜は茂巳の最後の小説を読んだ時、「あれを書いてしまったら、もう次は何も書けないというのもわかる」という評価をしていた。茂巳の反応からすると、これはこの小説を的確に理解した評価だということになる。

一方で茂巳の編集者でもあった紗衣は、そこを理解していない。紗衣はその後に次の小説を望んでいたのだが、それは茂巳の望むところではなかったということになる。茂巳は「もう書けない」と考えていたにも関わらず、紗衣は編集者である自分が有能な作家であった茂巳の才能を潰したと感じていて、それが二人の溝にもなっているのだ。

(C)2022「窓辺にて」製作委員会

価値観の転倒?

本作は、茂巳が留亜に導かれて価値観を変化させる話とも言えるかもしれない。というのは「理解されないほうがいい」と語っていた茂巳は、人との関係は信頼が大事だから「理解されたい」と考える留亜に同意するようになるからだ。ちなみに本作についてのインタビューで今泉監督はこんなことを語っている。

諦めたり手放したりするのは、必ずしもネガティブなことばかりではないと思います。疲弊してつらい状況を経験して、何かをやめたり手放したりすることは、むしろポジティブな選択だと思っていて、後半のプロットを作りました。

これは劇中の留亜の小説にも当てはまる。彼女の小説『ラ・フランス』の主人公の男性は、すべてを手にしているような人だが、それを惜しげもなく手放してしまうのだという。人は何かをやめたり手放したりする時にあれこれと思い悩むことになる。しかしそれは贅沢なんじゃないかと留亜は語る。だから小説の主人公はラ・フランスが腐る前にすべてのものを手放してしまうのだという。

ごく普通の人が何かを手に入れたいと考えつつもそれを果たせずにいることが多いことからすれば、これはちょっと変わった価値観ということになる。茂巳が留亜の小説をおもしろいと感じていたのは、そういった自分にはない価値観みたいなものを発見したからで、だからこそ茂巳は留亜に影響されていくことになる。

茂巳は受動的な人物であり、自分から積極的に行動する人物ではない。ところがそんな茂巳を留亜があちこちと引っ張り回すことになる。留亜は小説のモデルに会わせるという名目で、自分の彼氏の優二(倉悠貴)や叔父さんのカワナベ(斉藤陽一郎)と茂巳を引き合わせる。それがバイクに乗って解放感を味わうことや、誰にも言えない悩み(妻の浮気)を吐露することにつながっていくのだ。

(C)2022「窓辺にて」製作委員会

スポンサーリンク

 

小説を書くことの意味

茂巳はその後に紗衣と話し合うことになるわけだが、二人の離婚を決定的なものとしたのは、茂巳と紗衣の浮気相手である作家の荒川(佐々木詩音)が対峙する場面にあったのかもしれない。ここでは荒川が自分の担当編集者である紗衣と、その夫である茂巳との関係を勝手に推測している。

紗衣が茂巳の意に反するような形で次の小説を望んでいたのには理由があった。それは茂巳の発表した小説は、彼の失踪してしまった彼女との時間を描いたものとなっていて、紗衣としてはその後に自分と過ごした時間のことを茂巳に書いて欲しかったのだ。

だから荒川としては紗衣の願いを叶えようとしない茂巳のことが腹立たしかったわけだ。茂巳には書くべき小説があるはずなのに、茂巳がそれを書こうとしないと考えていたからだ。しかし荒川は茂巳の代わりに、自分が紗衣と過ごした時間のことを書くことを決意する。ところが書いてみて初めてわかったことがあって、それは小説にその時間を書いてしまうことは、二人の時間を過去にしてしまうことだったのだ。だから茂巳は紗衣との時間を決して書こうとはしなかったわけで、それは茂巳なりの愛情だったというのが荒川の見立てだ。

これは多分かなり的を射た解釈だったんじゃないだろうか。茂巳はこの荒川の解釈によって、紗衣とのことを過去にしないこと、つまりいつまでも紗衣を手放そうとしていなかった自分に気づかされることになる。そして、留亜のおかげで手放すということにポジティブな意味を見出だしていた茂巳は、改めて離婚することを決意したように見えたのだ。

(C)2022「窓辺にて」製作委員会

パフェとパチンコの効能

こんなふうにまとめてみると、ここに登場してくるのは茂巳と留亜と、紗衣と荒川という4人だけになってしまう。しかしながら本作にはほかにも重要な登場人物がいる。しかしそんな脇役はなぜ必要とされたのかと言えば、それは本筋からは脱線した無駄なものだからこそだろう。

本作では価値観の転倒が主題とされている。「ネガティブ」なものを「ポジティブ」に、「理解されないほうがいい」から「理解されたい」へのように。そのほかにもそうした主題は変奏されるように登場してくる。

留亜の言うところの、完璧という名前を冠しながらも不完全なパフェというエピソードがそうだ。留亜はパフェが不完全だからこそ愛するのだ。またタクシー運転手の語る、パチンコがとても贅沢だと言う話も同様だろう。なぜ贅沢なのかと言えば、時は金なりなどと言うけれど、パチンコは大切な時間と貴重なお金を一遍に失くすことが可能だから贅沢なのだという(茂巳はとりわけこの価値観の転倒をおもしろがる)。

そして、カワナベは同様のことを丸まった石ころを茂巳に渡しつつ、「無駄を大切に」という言葉で示してみせる。つまりは価値観の転倒を主題とする本作では、無駄は大切にしなければならないわけで、だからこそ脱線気味な部分も丁寧に描かれるのだ。

茂巳を主人公とする本筋からすると、マサ(若葉竜也)やその浮気相手であるなつ(穂志もえか)のエピソードは脱線だろう。では、そんな脱線が退屈だったかというとそんなことはないわけで、マサとなつのエピソードは魅力的に描かれている。

『街の上で』という作品でも若葉竜也穂志もえかは恋人役を演じていたが、多分、二人は今泉監督のお気に入りだろう。本作では若葉竜也は『街の上で』や『愛がなんだ』とはまったくタイプの異なる、浮気がやめられないスポーツ選手というクズ男を演じて違和感がなかったし、一方の穂志もえかはちょっとあざといくらいのかわいらしいところのある浮気相手となっているのだ。無駄な部分だからこそ、監督お気に入りの役者によって演じられる必要があったということなんじゃないだろうか。

それからこれはここまで触れてこなかったけれど、マサの奥さんのゆきの(志田未来)は配偶者が浮気をしているという意味で茂巳と同じ立場にいる人物だ。その意味ではマサ以上に重要なキャラクターとも言える。ゆきのの場合は茂巳と異なり、マサの浮気を悲しんでいる。そんなゆきのがマサと一緒に茂巳の悩み相談に乗った時の反応が意外で、その後のゆきのの行動も謎めいてもいて、そんなことを色々考えていたらもう一度観てみたくなってきた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました