『スワンソング』 よちよち歩きのロードムービー

外国映画

監督・脚本はトッド・スティーブンス。日本公開は本作が初めてとのこと。

主演はラース・フォン・トリアー作品の常連ウド・キアー

タイトルの「スワンソング」とは、「死ぬ間際の白鳥は、最も美しい声で歌うという伝説から生まれた言葉」とのこと。そこから転じてアーティストの最後の作品のことを指す。

物語

オハイオ州の小さな町、サンダスキーの老人ホーム。
パトリック・ピッツェンバーガー(ウド・キアー)は、静かな余生を送っていた。ホームの職員から何か注意を受けても聞き流し、日課といえば食堂の紙ナプキンを自室に持ち帰り、丁寧に折り直すことくらい。しかしパトリックの心には過去の思い出がつねに去来していた。ヘアメイクドレッサーだった彼のサロンは街でも大人気。「ミスター・パット」と呼ばれ、顧客から愛されていたこと。そして愛する恋人デビッドとの生活と、早くに彼を失ったこと……。
そんなパットを、ある日、弁護士のシャンロック(トム・ブルーム)が訪ねて来る。かつてのパットの顧客で、街でも一番の金持ちであったリタ・パーカー・スローン(リンダ・エヴァンス)が亡くなったというのだ。リタは「死化粧はパットに頼んでほしい」と遺言書に残していた。シャンロックによると、その報酬は2万5000ドルだという。驚くパットだが、リタへの複雑な思いや、すでに現役を引退した現実から、「ぶざまな髪で彼女を葬って」と言い捨て、申し出を断ってしまう。

(公式サイトより抜粋)

よちよち歩きのロードムービー

伝説のヘアメイクドレッサーであり、夜はゲイバーのドラァグクイーンだった“ミスター・パット”ことパトリック・ピッツェンバーガー(ウド・キアー)。そんな彼も今では年老いて老人ホームで暮らしている。やるべきこともなく退屈そうで、どこかあきらめのようなものを感じさせる。

ある日、パットはかつての友人リタ(リンダ・エバンス)から仕事を頼まれることになる。亡くなったリタは「死化粧はパットに頼んでほしい」と言い遺していたのだ。しかしパットはそれを断ってしまう。リタとはある出来事以来関係を絶っていたからだ。

とはいえ、リタは町の名士であると同時にパットの憧れの人物でもあり、一度は断ってみたものの、どうにも気になって夜も眠れない。パットは結局居ても立っても居られずに老人ホームを飛び出していくことになる。

とはいってもパットはすでにおじいちゃんだ。機敏には動けない。おぼつかない足取りでよちよちと歩いていくことになるのだが、『スワンソング』は一応ロードムービーということになるのだろう。パットが車に乗せてもらうのは1回だけで、電動車いすで車道を占領して走る場面もあるけれど(困ったおじいちゃんなのだ)、あとは自らの脚でリタの待っている場所へと歩いていくことになる。

(C)2021 Swan Song Film LLC

町の名物男ミスター・パット

舞台はアメリカ・オハイオ州サンダスキーというところ。この場所は監督であるトッド・スティーブンスの地元であり、実在した人物でもあるミスター・パットがかつて暮らしていたところだ。

サンダスキーという町は保守的な田舎町という感じだろう。そんな場所で若かりしトッド・スティーブンスはミスター・パットに出会ったらしい。トッド・スティーブンス自身もゲイであり、その当時多くの同性愛者がそれを隠して生きている中で、ミスター・パットの存在が特別なものに感じられたということなのだろう。本作はミスター・パットをモデルにし、監督自身のことも交えて描いているようだが、実在したミスター・パットという人物に対する敬愛がこの映画につながっていることは間違いない。

パットは伝説的なヘアメイクドレッサーだ。しかしながらそれは世界的に有名などというものとは違う。パットは町で一番のヘアメイクドレッサーであり、町の名物男だったのだ。本作はそんな狭い世界を舞台にしているところがいい。狭い世界を舞台としているからパットの脚でも何とか歩いていけることになるし、未だに昔の彼のことを覚えている人もいるから、かつての名物男にやさしくしてくれる人もいる。

パットは老人ホームから抜け出した時はジャージにパーカーというスポーティーな格好だったけれど、途中のヘアサロンで麦わら帽子を借り、古着屋ではパットを知っていたという店主にミントグリーンのパンツスーツをプレゼントしてもらい、次第にヘアメイクドレッサー時代のスタイルを取り戻していく。老人ホームで退屈しきっていたパットは、かつての仕事を取り戻すことで生き生きとしてくるのだ。

(C)2021 Swan Song Film LLC

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記憶の中に生きる老人

本作はそんなふうにパットがかつての生き甲斐を取り戻していく部分もあるけれど、一方で過去の想い出の中で生きている老人の姿を描いているようにも見える。

パットは老人ホームで窓辺に座ってずっと外を見ている女性のことを気にかけている。彼女は何を語ることもなく、飽きもせずただ外を眺めている。パットはそんな彼女と一緒にタバコを吸い、髪を結ってやる。何気ないこのシーンが本作の中で一番感動的なのだ。

彼女は一体何を見ていたのか? もしかすると何も見ていなかったのかもしれない。頭はボケてしまって、何も考えてはいないのかもしれない(実際に彼女はその後粗相をしてしまう)。それでも彼女は若かりし頃の自分の記憶の中に生きていたのかもしれないとも思えたのだ。髪を結ってもらいパットに「Beautiful!」と言われた彼女の表情に、とても穏やかなものが感じられたからだ。

(C)2021 Swan Song Film LLC

パットはヘアメイクドレッサーの仕事を取り戻してかつての生き方のスタイルを取り戻していくわけだが、同時に過去の想い出の中を彷徨っているようでもある。サンダスキーの町はかつてパットが恋人デビッドと一緒に住んでいた町だ。それでも彼と一緒に住んでいた家はすべて取り壊されていたし、かつて使っていた美容品はもう時代遅れで消え去っている。それと同じように彼が親しくしていた人たちの多くがすでに亡くなっている。

だからパットが会いたい人はもうほとんどいないのだが、彼は幻想の中で過去の会いたい人に出会うことになる。それは老人のボケた頭のなす業なのかもしれないし、深酒の酩酊状態が見せた幻影なのかもしれない。それでもパットは過去の記憶の中からリタやユーニス(アイラ・ホーキンス)という会いたい人を引っ張り出してきて、彼(女)らと会話することになるのだ。

パットとリタの関係が壊れたのは、デビッドがエイズで死んだ時、彼女がエイズという病気を恐れて葬式にもやって来なかったかららしい。パットは幻想のリタとの間でそんな恨み言を言いつつも、最終的にはリタを許すことになる。このシーンの会話は、リタはすでに亡くなっているわけで、パットが自分で自分を納得させたということになるのだろう。

パットはヘアメイクドレッサーとしての最後の仕事(スワンソング)としてリタの死化粧を見事に完成させてアーティストとしての矜持を見せたわけだが、同時に過去の記憶の中に生きている老人でもあったということなのだろう。

(C)2021 Swan Song Film LLC

至宝? 秘宝?

本作に興味を抱いたのは何と言ってもウド・キアーが主演だったからだ。公式サイトには「映画界の秘宝」というキャッチフレーズが踊っている。「至宝」ではなくて「秘宝」というのがいい

『スワンソング』はウド・キアーにとって本当に久しぶりの主演作ということになるらしい。ウド・キアーは最近でも『バクラウ 地図から消された村』『ブルータル・ジャスティス』において脇役として登場していたが、すでに70年代から活躍しているベテランで、最初はアンディ・ウォーホールが企画に参加した『悪魔のはらわた』『処女の生き血』という映画で主演して有名になったらしい。

『悪魔のはらわた』はU-NEXTで配信中だから観ることができたのだが、フランケンシュタインの話にエロとグロを合わせた、これこそ“秘宝”と言うべきカルト映画となっている。

私自身がウド・キアーの名前を意識したのは、ラース・フォン・トリアー『キングダム』シリーズだったような気がする。90年代に放送されたこのテレビシリーズはデンマークでは驚異の視聴率を誇ったらしいが、かなり癖の強いオカルトホラーとしてとてもおもしろかったという記憶がある。このシリーズは『キングダムⅡ』まで放送されたものの、出演陣が亡くなったこともあり中断していた。ところがその完結編が今年デンマークにて放送される見込みらしい(これは楽しみ)。

『キングダム』においてウド・キアーがどんな役柄だったのかすら覚えていないのだが、多分あのガラス玉のような瞳が印象的だったんじゃないだろうか。とにかくそんなウド・キアーが主演を務める作品などなかなか観られるものではないわけで、ファンにとっては必見だ。

『スワンソング』は監督曰く「失われゆくゲイカルチャーへのラブレター」とのこと。昨今はLGBTQという言葉がごく普通に使われるほどゲイカルチャーへの理解も進んだ。その一方でかつてそういう人たちの溜まり場となっていたゲイバーのような場所は失われつつある(SNSがそれに取って代わったから)。もしかしたら今後はゲイカルチャーも別の形になっていくということなのかもしれない。1944年生まれで今年で78歳を迎えるというウド・キアー自身もゲイだということで、ミスター・パットという役柄は彼にしか演じられないまさにはまり役だったんじゃないだろうか。

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