『茜色に焼かれる』 舐められているという感覚

日本映画

『舟を編む』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』などの石井裕也監督の最新作。

尾野真千子にとっては4年ぶりの単独主演作。

物語

1組の母と息子がいる。7年前、理不尽な交通事故で夫を亡くした母子。母の名前は田中良子。彼女は昔演劇に傾倒しており、お芝居が上手だ。中学生の息子・純平をひとりで育て、夫への賠償金は受け取らず、施設に入院している義父の面倒もみている。経営していたカフェはコロナ禍で破綻。花屋のバイトと夜の仕事の掛け持ちでも家計は苦しく、そのせいで息子はいじめにあっている。数年振りに会った同級生にはふられた。社会的弱者―それがなんだというのだ。そう、この全てが良子の人生を熱くしていくのだから―。はたして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは?

(公式サイトより引用)

理解し難い母親

この世の中はどうにも「理不尽」な出来事に満ちているようで、そのこと自体はわれわれがどうしようもないことだ。それでも本作の主人公・良子(尾野真千子)が許せないのは加害者側の不愉快極まりない態度なのだろう。加害者は事故を起こしたことを老いや病のせいにして反省することもなく、最後まで何の謝罪の言葉もなかったのだ。

それでいて弁護士を立てて賠償金などはしっかり払う姿勢を見せるものの、良子は金で物事すべてが解決するだろうといった考えにも苛立ったのか、賠償金を受け取ることもしなかった。それは自らの首を絞めることになったわけだけれど、受け取らないことでしか彼女の不満を示す手立てがなかったからかもしれない。

意地を通した良子は厳しい立場に追い込まれる。女手一つで息子を育て上げることだけでも大変なのに、義父の入居している施設にも金がかかるし、さらに旦那の愛人の子どもの養育費まで払っているから家計は火の車だろう。だから昼の花屋と、夜の風俗店を掛け持ちすることで何とかやりくりしている状況だ。本作では良子のバイトの時給や、居酒屋のお会計などの細かい数字が字幕で示される。これらはそんなわずかばかりの金に翻弄される良子の生活ぶりを表現しているのだろう。

もし自分が突然そんな状況に追い込まれたらどうなるだろうか? 到底冷静ではいられないし、怒りに我を忘れるかもしれない。それでも良子は口癖のように「まあ、頑張りましょう」と繰り返している。これは息子の純平にとっても大いなる謎で、母親は理解し難いところがある存在なのだ。

しかしながら、観客には冒頭近くでこのことに関して字幕で説明が与えられている。息子の純平はまだ知らないけれど、良子は芝居がうまいのだ。良子は通常ならば怒り出し、泣き叫ぶかもしれない状況にありながらも、別の人格を演じているのだ。良子はそんな境遇には負けない強い人物を演じることで何とか生きているわけだ。辛く苦しい状況に対して良子の反応がチグハグに感じられるのは、良子が別人格に成りきることで心の中に抱えたものをやり過ごしているからなのだ(止まらない貧乏ゆすりに内に秘めた感情が垣間見えるわけだが)。

良子は怒り出して喚き立てたいところを「まあ、頑張りましょう」と呪文のように唱える。この良子の口癖はほとんど脈絡がなく、突拍子もなく発されることになり、純平を困惑させることになるわけだ。

(C)2021「茜色に焼かれる」フィルムパートナーズ

舐められているという感覚

本作の発端となっている事故は、「東池袋自動車暴走死傷事故」がモデルになっていることは明らかだろう。現実の事故でも加害者が逮捕されなかったことが話題になっていた。加害者はかつて国家公務員だったこともあり、「上級国民だから特別扱いされている」といった噂がネットを中心に広まることにもなったのだった。

さらにこの事故で庶民の感情を逆なでする形になったのは、上級国民たる加害者は、無関係な多くの人を死傷させたにも関わらず、今に至るまで自分の過失を認めていないことだろう。これらのことで一部の庶民は、特別扱いされる上級国民に舐められているんじゃないかという感覚を覚えたのかもしれない。

本作の主人公は尾野真千子が演じる良子だが、息子の純平(和田庵)と、良子の風俗店での同僚ケイ(片山友希)が準主役と言っていい位置にいる。良子は上級国民に舐められる下級国民(庶民)ということになるだろうし、純平は母親が風俗店で働いていることでいじめられ、公営住宅に住んでいることすら税金で暮らしているなどと言いがかりをつけられたりする。そしてケイは女性を性的対象としてしか見ない男性によって傷つけられる立場にある。三人は社会的弱者の立場にあり、強い立場にあるとされる者から蔑まれているのだ。

金のために風俗店で働く良子とケイは、そこでお互いの酷い境遇を知ることになり、心を通わせることになる。彼女たちが許せないのは自分たちが「舐められている」という感覚なのだ。庶民は上級国民に蔑まれ、性的サービスを提供する女性は買う側の男性によって見下される。自分たちが置かれている境遇以上に、そんなふうに「舐められている」感覚に苛立っているのだ。

良子は純平の前では別人格を演じていて本音を話すことはできないわけだが、ケイと出会って初めて共感できる同類を見出し、今まで演技で抑えつけていた心の内を明かすようになる。酒を煽り自分の気持ちを吐露する良子の顔は溜め込んでいた鬱屈で赤く(茜色?)に染まることになる。良子やケイなどの社会的弱者はこらえきれない感情を抱え、今にも爆発寸前という状態なのだ。

(C)2021「茜色に焼かれる」フィルムパートナーズ

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四面楚歌?

爆発寸前の怒りはどこへ向かっているのか? それは良子やケイなどの弱者を舐め切っている者たちということになるだろう。しかしながら、その怒りを直接的に相手に向けることになれば、ルールを犯したことになり、社会から閉め出されることになってしまう。上級国民にはそうしたルールを破ったとしても抜け道が用意されているわけだが、庶民にそれはない。庶民は一度の失敗が戻れないほどのダメージを与えることになる。だから良子はルールを遵守することに神経質になっているのだ。

本作において良子の怒りが爆発するのは、良子の気持ちを弄んだかつての同級生熊木(大塚ヒロタ)に対してなのだが、これはたまたまそうなっただけだろう。良子を舐めている者はほかにも何人も挙げられる。事故の加害者がそうだろうし、それを助ける弁護士(嶋田久作)もそうかもしれない。会社の都合で良子をクビにする花屋の上司もそうだし、弱い立場を知ってて言い寄ってくる旦那の元バンド仲間(芹澤興人)だって同罪だろう。いつどこで良子の怒りが爆発してもおかしくはなかったのだ。

(C)2021「茜色に焼かれる」フィルムパートナーズ

絶望の中で希望を

良子の立場が厳しいものであることは明らかだが、それ以上にキツいのはケイかもしれない。ケイは糖尿病を患っておりそれだけでも十分に不運だが、幼いころから父親からレイプされ、今でも彼氏から暴力を受けている。しかし信じ難いことに不運はさらに続く。堕胎のために行った病院の検査で子宮頸がんが見つかることになるのだ。

風俗店の休憩室で、良子とケイと店長(永瀬正敏)との間で「生きる意味」についての雑談が交わされる。店長は昔の従業員がリストカットばかりしているのを見て、「生きる意味」について感じるところがあったようだ。

もちろんその時の雑談の中で結論めいたものが出ることもないのだが、それからしばらくして病気が見つかったケイは、良子に貯金を残して自ら命を絶ってしまう。ケイが置かれることになった境遇では「生きる意味」を見出すことは難しかったのかもしれない。社会的弱者が蔑まれるような状況では、ますます追い込まれる人が増えることになるだろう。

しかし『茜色に焼かれる』はそんなどん底の状況を描いていながらも、なぜか最後は希望を謳うことになる。これは監督・脚本の石井裕也の願いみたいなものなのかもしれない。世の中は辛く厳しいものだけれど、それでもやはり希望はあって欲しいということだろうか。

振り返ってみると前作の『生きちゃった』『ぼくたちの家族』(2014年)なども絶望的な状況を描いているにも関わらず最後は明るく前向きなものを感じさせた。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』では、みんなに対する応援ソングを歌っていた路上ミュージシャンが奇跡的な成功を勝ち取るわけだけれど、石井裕也は頑張る人たちを応援したいのだろう。

最後は良子のアングラ芝居でそうしたテーマを笑いに紛らすことになるけれど、これは「生きる意味」とか頑張る人に対する応援など、あまりに真っ直ぐ過ぎるメッセージに対する照れだろうか。とはいえ、青臭いとも思えるほどのテーマに真正面から取り組む石井裕也は貴重な存在のようにも思えた。

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