『愛なのに』 肉は悲し

日本映画

脚本は『愛がなんだ』などの今泉力哉

監督は『アルプススタンドのはしの方』などの城定秀夫

『L/R15』という名前のプログラムピクチャーによる第1弾。

物語

古本屋の店主・多田(瀬戸康史)は、昔のバイト仲間、一花(さとうほなみ)のことが忘れられない。その古本屋には、女子高生・岬(河合優実)が通い、多田に一途に求婚してくる。一方、亮介(中島歩)と婚約中の一花。結婚式の準備に追われる彼女は、亮介とウェディングプランナーの美樹(向里祐香)が男女の関係になっていることを知らずにいて……。

(公式サイトより抜粋)

コラボレーション企画

宣伝文句によると「異色のコラボレーションによる新たなプログラムピクチャー」ということで、『愛がなんだ』の今泉力哉と、『アルプススタンドのはしの方』の城定秀夫がコラボレーションして2つの作品を公開するという企画らしい。1作目の『愛なのに』は、今泉力哉が脚本を担当し、城定秀夫が監督する。2作目の『猫は逃げた』では逆になって、城定脚本を今泉が監督するということになる。

互いに相手の書いた脚本を映画化するというちょっとおもしろい企画だ。脚本は映画の設計図みたいなものかもしれないけれど、それを具現化する“監督”という仕事によってどんなふうに映画が変わってくるのか。そんなことを感じさせるからだ。

ふたりの映画監督の関係性は知らないけれど、『街の上で』では主要なキャラクターに“城定じょうじょう”という苗字を与え、台詞の中でも「城定秀夫監督の“城定”」と言わせていたわけで、今泉監督は城定秀夫監督に対するリスペクトがあったということなのだろう。

城定秀夫はピンク映画やVシネなどで数多くの作品を監督してきた人で、昨年は『アルプススタンドのはしの方』という作品で職人的な腕前を見せていた。この作品は野球を題材にしつつも、一切野球のシーンがなく、アルプススタンドの観客だけを映して物語を展開させる。それでいて映画が終わった時には野球を見ていたような気持ちになってしまうという作品だった。

(C)2021「愛なのに」フィルムパートナーズ

心と身体

『愛なのに』はちょっと風変りな恋愛の話から始まることになる。古本屋の店主の多田(瀬戸康史)は、ある日、店の商品を万引きした女子高生を捕まえる。ところが、「なんでこんなことしたの?」という問いに対して、女子高生・岬(河合優実)は多田のことが気になっていたからだと告白してくる。さらには岬は唐突に「結婚してください」とまで言い出すことに……。

店主の多田は30歳を過ぎたいい大人だ。そんな成人男性が18歳未満の女の子に手を出したりしたら、当然ながら条例なんかに引っかかりヤバいことになるだろう。多田は丁重にそれをお断りすることになるのだが、岬はなぜかあきらめることもなく、店を訪れては求婚の言葉が書かれた手紙を多田に渡すことになる。

多田と岬の関係性は風変りだけれど、とてもほのぼのしている。一方で本作はいつもの今泉作品とは異なり、レーティングとしては「R15+」とされているほどのラブシーンが用意されている。これはピンク映画出身の城定監督の得意分野を意識したものなのかもしれない。

とはいえ、そこには必要性もあるのだろう。本作は「心と身体の問題」を扱っているとも言えるからだ。岬がどんなきっかけで多田のことが好きになったのかはわからないけれど、肉体的な関係を求めているわけではない。ただ一緒にどこかに出かけたり、ご飯を食べたり、そんなことを望んでいる。そんな意味で多田と岬の関係はプラトニックな「心」のほうの問題に焦点を当て、一方の一花と亮介たちのエピソードは「身体」の問題に焦点を当てている。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

(C)2021「愛なのに」フィルムパートナーズ

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衝撃(笑劇)の事実

多田には一度はフラれたにも関わらず未だに忘れられない女性がいて、それが一花(さとうほなみ)だった。そこから本作は一花たちのエピソードへ移行していく。一花は亮介(中島歩)という婚約者がいるが、その亮介はウェディングプランナーの美樹(向里祐香)と浮気をしている。ところがその浮気は呆気なくバレ、一花は亮介に対する復讐として自分も浮気をすることになり、その相手として一花が思い浮かべたのが多田だったのだ。

多田にとって一花は未だに好きな女性ということになる。一方の一花にとっては、多田は過去に告白されたことがある気まずい相手ということになる。一花はそんな多田とセックスをしようとするわけだが、多田としては複雑な気持ちになるだろう。一花は多田のことが好きでそういう行為をするわけではないわけだから。

ところがこのことによって衝撃の事実が判明してしまう。明け透けに言えば、それは愛がなくてもセックスは気持ちいいということだ。これは愛がある亮介とのセックスが気持ちよくなかったということでもある。このことは亮介と美樹のエピソードによってさらに裏書きされることになる。

美樹は、結婚式という訳の分からない儀式に振り回されて疲弊するお客様に対するオプションサービスとして、亮介と浮気をしていると語る。これは冗談交じりの言葉とも思えたのだが、美樹が亮介としていたセックスはサービスだったことがふたりが別れる際に明らかにされる。美樹曰く、亮介は「群を抜いてヘタ」だったからだ。何度もヘタと連呼されてうだれることになる中島歩の情けない感じが笑いを誘う。本作はコメディなのだ。

(C)2021「愛なのに」フィルムパートナーズ

肉は悲し

今泉作品『愛がなんだ』で描かれた恋愛は、ちょっとストーカーめいていて普通とは違った種類の愛と言えるかもしれない。『愛なのに』の多田と岬の関係もありふれたものとは言えないし、岬の同級生(丈太郎)や親からしてみれば、「気持ち悪い」ものにしか見えないのだろう。しかし脚本を書いたのは今泉力哉なわけで、『愛がなんだ』と同様に『愛なのに』の恋愛も肯定されることになる。

多田と岬の関係も「愛なのに」と語り、「愛を否定するな」とまで言い切ってしまう。ストーカー的な一方的な愛も、ロリコンまがいの歳の差の関係も、本人たちにとっては愛なわけでそれを否定できない。それは確かだろう。しかしそれは「心の問題」に過ぎないとも言え、一方で「身体の問題」を持て余してもいるのだ。

多田は一花とのセックスを拒否しつつも、結局はしてしまうことになる。一花は多田との浮気の後、罪悪感からか神父さんに懺悔し、「御心のままに」という言葉を勘違いして、自分の心の赴くままに(というか身体の赴くままに)多田ともう一度セックスをしてしまう。行為後のピロートークでは、ふたりが天地逆さまに映されていて、その背徳感を示しているわけだけれど、それでもセックスでは大いに盛り上がってしまうのだ。

この辺のセックス描写はこれまでの今泉作品にはなかったもので、激しい描写があればこそ「心と身体の問題」も浮かび上がってくるわけで、城定監督の手腕が活かされたところだっただろう。

フランスのある詩人は「肉(肉体)は悲しいのだ」と詠ったらしいが、ここにはそういうもの悲しさがあるかもしれない。愛はなくても肉体は感じてしまうし、それに抗することはなかなか難しいということだろうか。とはいえ、一花は「群を抜いてヘタ」な亮介と結婚することになるわけだし、心と身体は別だから、セックスがヘタでも結婚には支障はないという朗報でもあるのかもしれない。

さとうなほみ『窮鼠はチーズの夢を見る』にも出ていたが、本業(?)はミュージシャンだとか(「ゲスの極み乙女」のドラマー)。最近ではNetflix『彼女』水原希子と共演していて、そこでも思い切りのいい脱ぎっぷりだった。『彼女』の時はDV被害者という役柄で脱いでも痛々しい感じがしてしまっていたわけだが、今回はエロかった。

それからゲスな男を演じつつも憎めない感じの中島歩も良かったし、多田と岬の大事なやり取りの間でネコもいい演技をしていたと思う。第2弾の『猫は逃げた』も本作と地続きの作品なのか同じネコが出てくるらしい。そちらも楽しみ。

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