『MEMORIA メモリア』 異物としての音

外国映画

監督・脚本は『ブンミおじさんの森』などのアピチャッポン・ウィーラセタクン
カンヌ国際映画祭では審査員賞を受賞した。

物語

地球の核が震えるような、不穏な【音】が頭の中で轟く―。とある明け方、その【音】に襲われて以来、ジェシカは不眠症を患うようになる。妹を見舞った病院で知り合った考古学者アグネスを訪ね、人骨の発掘現場を訪れたジェシカは、やがて小さな村に行きつく。川沿いで魚の鱗取りをしているエルナンという男に出会い、彼と記憶について語り合ううちに、ジェシカは今までにない感覚に襲われる。

(公式サイトより抜粋)

不穏な音に襲われて

冒頭、明け方のまだ暗い部屋に突然【音】が響き渡る。寝ていたジェシカ(ティルダ・スウィントン)は目が覚めてしまい、外を窺ってみたりもするけれど特段変わったことは起きてないようで……。

この不思議な現象は監督であるアピチャッポン・ウィーラセタクンが体験したことに基づいているとのこと。頭内爆発音症候群と呼ばれるもので、一種の幻聴ということだ。脳内の何かしらの不具合によって、あるはずもない音が頭の中で鳴り響くことになるのだ。

ジェシカはその音を、夜中に行われた何かしらの工事の音だったのではないかと思っているが、実際にはそんな工事はなかったことが明らかになる。この【音】は一体何なのか。ジェシカはそれを突き止めようとする。

ジェシカは自分の体験した音を再現するために、音響技師のエルナン(フアン・パブロ・ウレゴ)を紹介してもらい、彼と一緒に現実には存在しない音を再現しようと試みる。

このエピソードは、監督が自分の聞いた音を再現する過程を、ジェシカに辿らせているということだろう。そして、映画の中でその【音】を再現することになるのだが、それは「地球の核が震えるような」と形容されるような音であり、何かしらの破裂音のようでもあり、エコーがかかったような不思議な音となっている(予告編で使われている音とは異なる)。

Photo: Sandro Kopp (C) Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021

記憶を巡る話

本作は音を巡る話でもあるわけだが、タイトルが「MEMORIA メモリア」となっているわけで、記憶を巡る話とも言える。ただ、人の記憶というのはあやしいものなのかもしれない。

ジェシカの妹は病院に入院していた時に、犬の呪いをその病気の原因として語るのだが、退院するとそのことを忘れて別の原因を語り出す。また、ジェシカはある人を亡くなったと記憶違いをしている。これは人の記憶が曖昧なことを示しているのかもしれないのだが、もしかすると別の可能性もあるのかもしれない。記憶がおかしくなっているのではなく、世界のほうがおかしくなっているということなのかもしれないのだ。

音響技師のエルナンはなぜかいつの間にか姿を消してしまい、それを覚えているのはジェシカだけなのだが、そんなことがあり得るのだろうか。ただ、本作はそうしたことに明確に答えを与えてくれることはない。というよりも、観る人を煙に巻くような展開をしていく。

Photo: Sandro Kopp (C) Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021

物が持つ記憶

ジェシカは旅の最後に魚の鱗取りをしているエルナン(エルキン・ディアス)という男性に会う。音響技師のエルナンとは別人だ。このエルナンは何もかも記憶してしまう能力の持ち主なのだそうだ。だから新しい場所に行くことは避けているらしい。すべての情報を記憶してしまうと容量オーバーになるからだろうか。

エルナンは、石や木やコンクリートは、すべてを波動で記憶していると語る。通常、記憶と言えば人が持つものだが、ここでは物が持つ記憶というものが想定されている。それはジェシカが研究者に見せてもらった6000年前の少女の骨に刻まれた傷跡のようなものでもあるのだろうし、エルナンはもっと不思議な力で物の記憶を辿ることができ、その物が辿ってきた来歴を体験することができるのだ。そして、ジェシカはアンテナのように、エルナンの辿る記憶を受信することになる。

何とも不思議な話だ。最後に登場するアレについては一応伏せておくことにするけれど、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した『ブンミおじさんの森』で主人公が前世のことを知ることになるように、本作のジェシカもスピリチュアルな気づきを得たということだったのだろうか?

Photo: Sandro Kopp (C) Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021

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サウンドスケープ

正直に言って、わかった気にはなれない映画だ。タルコフスキー的に眠りを誘う映画でもある(突然の音で覚醒するけれど)。ただ、わかりすぎてしまって退屈になってしまう映画とは違うものもあるのかもしれない。個人的には見慣れた風景が、音によって壊される話だと思えた。

本作ではジェシカが【音】を探る旅をするわけで、音が印象に残る映画だ。何となく手に取った『映画に耳を 聴覚からはじめる新しい映画の話』という本で読んだことだが、視覚中心の「風景/ランドスケープ」に対し、聴覚性を前面に出したものが「音風景/サウンドスケープ」などと呼ばれるそうだ。『MEMORIA メモリア』という作品もそんなサウンドスケープを描いた作品とも言える。

森の中の小鳥たちのさえずり、小川のせせらぎ、雨だれの音、街の喧噪、そういった様々なサウンドスケープが本作では捉えられている。そんなふうに感じるのは、かなりゆったりとした間がある映画だからかもしれない。

ラスト近くではエルナンは仮死状態のようになり、ほとんど静止画となるシーンもある。そんな場面では映像はほぼ動きを止め、エルナンが横たわる地面に生えた草だけが微かに揺れるだけだ。観客は長い間そうした映像と対面するわけで、風がそよぐ音にまで耳をすましたり、あれこれと思考を巡らしたりすることになるだろう。そんな意味で本作はランドスケープだけではなく、サウンドスケープにも注意が向くことになるのだろう。

Photo: Sandro Kopp (C) Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF-Arte and Piano, 2021

異物としての音

ジェシカが体験した、誰にも聞こえていない音が聞こえる頭内爆発音症候群。これは妙な感覚だろう。音は存在しないのに、脳内の何かしらの不具合が音を聞かせることになる。劇中で突然爆発音がすると、それが聞こえるジェシカだけが反応するものの、ほかの人は何も聞こえないわけで平然としている。

映画内のこの【音】は効果音として後から付け加えられたものだろう。だから映像内部には音を発している対象物はない。それなのにジェシカだけは(あるいはジェシカと映画を観ている観客だけは)、その音を感じている。森の風景や、何気ない食事シーンに、不用意にあの【音】が鳴り響くのだ。

たとえば『家族ゲーム』のように、ヘリコプターの存在を音だけで示す手法もあるが、これはスクリーンの枠内に捉えられてないだけで、登場人物の視線の先にはヘリコプターがいるという設定だ。ところがジェシカが聞く音は、その世界の内部にはそれを発している対象がない。実際にはそれはジェシカの脳内の不具合なわけで、彼女の内部から響いているのだが、映像を見ているとその音は映像世界の外側から入り込んでいるようにも感じられる。映像に示されている調和の取れた世界に、異物としての音が侵入しているように感じられるのだ。

この音は一体何を意味しているのか。それは明確ではないのだが、劇中では駐車場の車の警報音が一斉に鳴り響くようなシーンもあり、何かしらの警告のようなものにも感じられてくる。その警告がどんなものなのかはわからないけれど、われわれ人間にある種の危機を伝えようとでもしているかのようにも響いてくる。だから本作には不穏な空気が流れているし、どこかで緊張感もある。

スクリーン上には森の緑や、何気ない街の風景が描かれる。そこに突然あの【音】が響き渡る。こうしたことが続くと、スクリーンに映し出されている映像そのものが、その【音】によって破壊されるんじゃないかという気がしてくる。そして、実際に映画の最後では、映像として示された森に切れ目が生じ、壊れたかのようにも見えるわけだが、これは予測されていたことだったようにすら感じられた。

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