『逆転のトライアングル』 ラストシーンのその後に

外国映画

脚本・監督は『ザ・スクエア 思いやりの聖域』などのリューベン・オストルンド。カンヌ国際映画祭では前作『ザ・スクエア』に引き続き、2作品連続でのパルムドール受賞という快挙を成し遂げた。

原題は「Triangle of Sadness」。

物語

モデル・人気インフルエンサーのヤヤと、男性モデルカールのカップルは、招待を受け豪華客船クルーズの旅に。リッチでクセモノだらけな乗客がバケーションを満喫し、高額チップのためならどんな望みでも叶える客室乗務員が笑顔を振りまくゴージャスな世界。しかしある夜、船が難破。そのまま海賊に襲われ、彼らは無人島に流れ着く。食べ物も水もSNSもない極限状態に追い込まれる中、ヒエラルキーの頂点に立ったのは、サバイバル能力抜群な船のトイレ清掃婦だった――。

(公式サイトより抜粋)

映画史上最も壮大な地獄?

豪華客船クルーズに集うのは客となる富豪たちに、それに媚びへつらう客室乗務員、さらには縁の下の力持ちと言うべき見えない存在の清掃員たちもいる。ところがそんな豪華客船はあえなく沈没し、それまでの序列も崩壊することになる。

本作はそんな逆転劇となっているわけだが、見どころとなるのは富裕層がゲロまみれになるという中盤部分かもしれない。豪華客船が嵐で揺れに揺れ、船酔い客が続出しみんなが嘔吐する場面に一番金をかけているらしいのだ。海外版のポスターではまさにその瞬間が切り取られているという品のなさなので、見る人を選ぶ作品とは言えるかもしれない。

リューベン・オストルンドは本作でカンヌ国際映画祭で2作品連続でパルムドールを受賞した。これは史上3人目の快挙ということ。ゲロまみれの不快な作品を受け入れるほどカンヌは懐が深いということかもしれない。とはいえ正直に言えば、前作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』や、その前の『フレンチアルプスで起きたこと』ほどのインパクトはなかったような気もする。

確かに皮肉が効いている作品だ。冒頭からあちこちを皮肉っている。ファッション業界についてあげつらい、武器商人に愛を語らせ、最後はそれまで最下層にいたトイレの清掃員が富裕層を支配下に置くことになる。そして、監督が「映画史上最も壮大な地獄を作ることを目標」にしたというゲロまみれのシーンは確かに地獄のようなあり様を見せてくれることになる。

そんな見どころのゲロ祭りでは、役者陣がかなり巧妙に嘔吐していたのが印象的だった。リューベン・オストルンド監督のインタビューによれば、嘔吐シーンは3種類のやり方で撮られているらしいのだが、その中には実際に吐いている役者さんもいるらしい。

たとえば『バビロン』の嘔吐シーンなんかはかなり極端な噴射となっていて、かつての『スタンド・バイ・ミー』のそれみたいに笑えることにもなっていたのだけれど、『逆転のトライアングル』のそれは結構リアルで(実際に吐いている場面もあるのだから当然かもしれないが)、それだけに地獄のようなシーンになっている。そんな意味でとても力作なのだが、やはりゲロはゲロであるわけで嫌悪感を催す人はいるだろう。

Fredrik Wenzel (C) Plattform Produktion

何のトライアングル?

構成としては3部に分かれている。1部ではカール(ハリス・ディキンソン)とヤヤ(チャールビ・ディーン)のカップルのつまらないケンカが追われる。2部では、そのカップルも参加する豪華客船のクルーズが描かれ、ここでくだんのゲロ祭りが引き起こされる。そして3部では、沈没した船から逃げ出した者たちの無人島での暮らしが描かれる。

原題は「悲しみのトライアングル」というもので、これはファッション業界の言葉らしい。眉間にしわが出来るような人は苦労してるからダメということらしい。

邦題にもなっているこのトライアングルとは何を示しているのだろうか。作品全体が3部構成になっているということでもあるし、2部で見えてくる階級社会のことでもあるのだろう。豪華客船の中は、普段は見えないような格差が如実になる場所でもある。ここでは富裕者層と、その下の客室乗務員と、さらに下の清掃員という序列が明らかになる。

とはいえ富裕者層が一番上なことは確かだけれど、客室乗務員と清掃係にはあまり差異はないようにも思え、あまりトライアングルらしくないとも言える。『パラサイト 半地下の家族』ではないけれど、さして違いのない貧困層同士の醜い争いということなのかもしれない。ただ、清掃係が富豪たちと没交渉でほとんど気兼ねない感じなのに、客室乗務員のほうはもしかしたら給料はちょっとよくても卑屈に見えるかもしれない。

Fredrik Wenzel (C) Plattform Produktion

現代版の『流されて…』?

本作の予告編を見ると、無人島に着いて立場が逆転ということがすでに明らかにされている。この設定だけで1974年の『流されて…』(リナ・ウェルトミューラー監督)を思わせる。だから『流されて…』を改めて予習してから、本作に臨んだのだが、そうするとあちこちで『流されて…』が意識されているのを感じた。

『流されて…』はブルジョアの高慢な女性が、召使のようにこき使っていた料理人の男と一緒に無人島に流れ着く話だ。そこでは主従関係は逆転する。無人島では金は何の役にも立たないからで、サバイバル術を何も持たない女は、それまでアゴで使っていた男に逆に支配されることになる。

ちなみにこの男は共産主義の信奉者で、それを揶揄していた女を殴り付けることになるが、『逆転のトライアングル』においてウディ・ハレルソンが演じる豪華客船のキャプテンとロシアの大富豪(ズラッコ・ブリッチ)が散々共産主義に関する議論をやっていたのも『流されて…』の影響があるのだろう。

また、『逆転のトライアングル』のカールが、実はビジネスパートナーでしかなかったと判明したヤヤに対して「惚れさせてやる」と息巻いていたのも、『流されて』の男の台詞をそのままなぞっている。そんなわけで本作は現代版の『流されて…』とも言える。

ただ、男女の役割は逆転している。サバイバル術に長けているのはアビゲイル(ドリー・デ・レオン)という女性だし、男は無人島ではほとんど役に立たないのだ。「身体を武器にして生きていく」というのはかつては女性がするはずだった行動だろう。本作でも脳梗塞で言葉が不自由な女性が、かつてそんなことをしたというエピソードがある。しかし3部の無人島で「身体を武器にして生きていく」ことになるのはイケメンのカールの役割になるのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり! ラストにも触れているので要注意!!

Fredrik Wenzel (C) Plattform Produktion

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自分勝手なキャプテン

豪華客船の中では、富豪たち>客船乗務員>清掃員という序列だった。それが無人島では一変する。海の獲物を見つけ、火を起こして食事にありつく。そんなサバイバル術を持っていたのはアビゲイルという清掃員だったからだ。それまで一番下にいたアビゲイルは、無人島ではキャプテンとして振る舞うことになる。

このキャプテンという役割もちょっと皮肉めいている。豪華客船のウディ・キャプテンはアル中の引きこもりでほとんど何もしなかった。キャプテンズ・ディナーの時にようやく顔を出したと思ったら、嵐に遭遇してその場はゲロまみれになるけれど、彼はほとんど無策だ。やるべきことをせずに豪華客船の新しいオーナーとされるロシアの大富豪と共産主義に関しての無駄な話を繰り広げているのだ。そのことが豪華客船を沈没させることにつながっている。船内には武装した船員もいたのに、呑気にパーティーをしているうちに海賊に付け入る隙を与えてしまうからだ。

無人島でキャプテンとなるアビゲイルも似たようなものかもしれない。確かに最初はみんなの命を救ったのかもしれない。それでもその後のアビゲイルは無人島での地位を利用して、救命艇を独占してカールとの情事の快楽に耽ることになるからだ。この自分勝手なキャプテンの姿は、どこかの国の指導者とかを揶揄したものなのかもしれない。

Fredrik Wenzel (C) Plattform Produktion

ラストシーンのその後に

キャプテンがキャプテンらしい行動をしていれば、豪華客船も沈没しなかったし、ラストで起きるようなことにもならなかっただろう。

本作のラストでは、実は無人島だと思っていた島が、秘境リゾートみたいなものだったことが明らかになる。しかしそのことを知ったのはヤヤとアビゲイルだけで(実はカールも別ルートで知ったらしいが)、アビゲイルは無人島での地位を手放したくないためにヤヤを始末しようとする。キャプテンにあるまじき行動だろう。

映画はそこで終わってしまうのだが、そんなラストシーンの後に一体何が起きたのだろうか?

Fredrik Wenzel (C) Plattform Produktion

勝手な推測を述べれば、アビゲイルはその現場を誰かに見つかって気まずい思いをすることになるんじゃないだろうか? というのはリューベン・オストルンドの作品は、いつもそんな気まずさが描かれているからだ。

本作の1部ではカールとヤヤのケンカが延々と追われる。格差社会の逆転という全体の流れからすると異質なエピソードがわざわざ最初に置かれているのも、この気まずい感じを描いたということではないだろうか。

カールはヤヤと高級レストランで食事をするのだが、支払いの件でヤヤともめることになる。カールはいつも食事代を支払わされていることが気に入らないらしい。というのもヤヤはインフルエンサーとして有名で、彼よりも稼いでいるからだ。しかもその日はヤヤが奢ってくれるはずだった。それなのにヤヤは伝票を無視した態度を取り、支払いをカールにさせようとする。そんなことで二人はもめることになる。

カール曰く、男女平等なんだから、男が奢るべきだなんて考えは古臭いじゃないかということになる。それを通常世間で優遇されているはずの男のほうが言っているという時点でとてもカッコ悪いとも言える。しかし、カールが働くモデル業界では女性のほうが立場が上で、男性が弱い立場にあるからなのかもしれない。

結局、そのケンカでカールは男の小ささを露にし、ヤヤは自分が人身掌握術に長けた計算高い女であることを打ち明ける。ここには、すべてを明け透けに語ってしまった気まずさがあるだろう。

そんなわけでアビゲイルもヤヤを始末しようとした場面を誰かに見つかり、気まずい思いをしてキャプテンの座を明け渡すことになったんじゃないだろうか。コメディのオチとしては、そんなふうにならなければ丸く収まらないわけだから……。

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