『あつい胸さわぎ』 消えた緑のTシャツ

日本映画

劇作家・横山拓也による演劇ユニット「iaku」の同名舞台の映画化。

監督は『ロマンス・ロード』『恋とさよならとハワイ』などのまつむらしんご

脚本は『ある朝スウプは』『凶悪』などの髙橋泉

物語

港町の古い一軒家に暮らす武藤 千夏(吉田 美月喜)と、母の昭子(常盤 貴子)は、慎ましくも笑いの絶えない日々を過ごしていた。
小説家を目指し念願の芸大に合格した千夏は、授業で出された創作課題「初恋の思い出」の事で頭を悩ませている。千夏にとって初恋は、忘れられない一言のせいで苦い思い出になっていた。その言葉は今でも千夏の胸に“しこり”のように残ったままだ。だが、初恋の相手である川柳 光輝(奥平 大兼)と再会した千夏は、再び自分の胸が踊り出すのを感じ、その想いを小説に綴っていくことにする。
一方、母の昭子も、職場に赴任してきた木村 基晴(三浦 誠己)の不器用だけど屈託のない人柄に興味を惹かれはじめており、20年ぶりにやってきたトキメキを同僚の花内 透子(前田 敦子)にからかわれていた。
親子ふたりして恋がはじまる予感に浮き足立つ毎日。
そんなある日、昭子は千夏の部屋で“乳がん検診の再検査”の通知を見つけてしまう。

公式サイトより抜粋)

“胸”が意味するもの

舞台劇の映画化である本作は、台詞の言葉に色々な意味が込められているようだ。“しこり”というのは腫瘍のことを指し、これは主人公・千夏(吉田美月喜)に見つかる乳癌のことを示しているだろう。また同時に、千夏が初恋の相手である光輝(奥平大兼)から投げかけられた言葉による“わだかまり”のことも表している。

それから「が高鳴る」「騒ぎがする」「が掻き乱される」という場合の“”は、心臓つまりハートということであり、それは人の心のことを指すだろう。

そして、乳癌が通常女性に特有の病なのと同じように、“胸”という言葉は女性にとっては単なる身体の一部位以上の意味も持つことになる。千夏が乳癌になって気にすることは、病気になってしまったという不安だけではない。「おっぱいなくなっても恋とかできるんかな…」という性的なものに通じる気持ちだったりすることになる。さらに言えば、子供が出来た時にもおっぱいは重要な役割を担うことになるわけで、千夏の将来に関しても考えざるを得ないことになる。

こんなふうに『あつい胸さわぎ』は、乳癌ということをきっかけに起こる千夏の様々な心の動き(その戸惑いや葛藤)、千夏にとっては未知のものである性的なものへの複雑な感情、さらにその先のことにまで話が及ぶことになる。そして、そんな闘いは彼女ひとりだけのものではない。それを見守っていく形になる母親・昭子(常盤貴子)との関係が重要な要素として描かれていくことになる。

(C)映画「あつい胸さわぎ」製作委員会

消えた緑のTシャツ

冒頭、千夏は部屋でブラジャーのまま、お気に入りの緑のTシャツを探している。千夏はその日、片想いの相手である光輝にある頼み事をするつもりで、そのために緑のTシャツが必要だと感じていたらしい。しかし、それは母親が勝手に洗濯してしまったようで、千夏はピンクのTシャツを代わりに着て出かけることになる。

本作の中で千夏は何度も服を替えることになるけれど、なぜかお気に入りの緑のTシャツは一度も登場することがない。これは意味ありげだ。登場しない緑のTシャツは、千夏が思い描いていた理想的な未来の姿だったのだろうか?

人生は時にうまくいかないこともある。理想として思い描いていたことが叶うとは限らない。千夏の意中の相手であり初恋の相手でもある光輝とは、ようやく一人暮らしのための物件探しを手伝ってもらう約束を取り付けた。光輝との関係もまさにこれからという時に、乳癌が見つかってしまうのだ。

(C)映画「あつい胸さわぎ」製作委員会

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“うまい負け方”とは?

千夏は幼い時に父親を亡くしたらしい。それ以来、昭子が女手ひとつで千夏を育て上げた。そんな昭子は千夏の病を知って千夏以上に落ち込む。そして、まだ子供だと思っている娘に代わって、彼女の将来のことまで考えなければと気負うことになる。

母親として当然なのかもしれないけれど、昭子が何より大事なのは娘の命であり、それ以外のことは些細なことになってしまう。そこでは「おっぱいなくなっても恋とかできるんかな…」という千夏の気持ちまで考慮することができない。「命あっての物種」であって、それ以外のことは無視されてしまうのだ。

そんな昭子とちょっといい関係になっていた木村(三浦誠己)が言うことも、昭子と同様の意味を持つだろう。木村は過去の経験から“うまい負け方”をすることを千夏に勧めることになる。“うまい負け方”というのは、「損して得取れ」的な処世訓ということになる。胸なんてなくなっても長い人生からすればたいしたことではないとして、命を最優先にした治療を選ばせようとしてくるのだ。

多分、昭子や木村の考えは色々と経験してきた大人の処世訓としては真っ当なのだが、それが千夏に届くかどうかと言えば別の話になる。大人としては自分たちの経験を踏まえてそう言っているわけだけれど、千夏自身はまだ何も経験していない。経験してないからそこには希望もあれば不安もある。やってみないと自分で納得できないことも大いにあるわけで、それなのに千夏は大人の考えを押し付けられることになり、母親の昭子とも衝突することになってしまうのだ。

千夏の病が判明した頃、たまたま周囲では昭子は木村といい感じになっているし、意中の相手であった光輝は千夏の友人でもあった透子(前田敦子)と付き合っていることを知ってしまう。そんな中で千夏が、自分だけが取り残されたような気持ちになってしまうのも致し方ないのかもしれない。

(C)映画「あつい胸さわぎ」製作委員会

千夏にエールを

本作は舞台劇の映画化だ。まつむらしんご監督は舞台を見てその物語に感動し、映画化したいと考えたらしい。それだけに物語はほぼ変えず忠実に再現しているようだ。そして、舞台劇では台詞で説明されているであろうと思われる部分を丁寧に映像化している。

千夏がブラジャーを買ってもらえていないことが悩みだった小学生時代や、光輝に「胸が大きくなった」みたいなことを言われてショックを受けた中学時代。また、木村の婦女暴行疑惑に関してや、サーカスの場面まで、ちょっと律儀過ぎるくらいにきちんと再現している。

そもそもまつむら監督が本作を映画化したかったのは、その物語を多くの人に伝えたかったということであり、不運な千夏に対してエールを送ることだったとのこと。そのために本作では舞台にはなかったキャラクターとしてター坊(佐藤緋美)が登場する。

(C)映画「あつい胸さわぎ」製作委員会

ター坊は千夏や光輝の幼なじみで、ちょっと知的障害があると思われる。それでもター坊はサーカスの仕事をしたいと頑張っている。千夏はそんなター坊が一度はその仕事を断られても挫けない姿に感化され、ター坊に「頑張れ」と叫ぶことになるわけだけれど、これはそのまま自分自身を鼓舞することになっている。

千夏に対して「頑張れ」と言ってやりたいのは誰もが感じることかもしれないけれど、したり顔をした大人がエールを送ったとしても説教臭くなってしまうだけだろう。ター坊の愚直な姿が、千夏を素直に感動させるというのはわからないでもない気がする。ラストのクローズアップはまさに映画でしかできないもので、千夏役の吉田美月喜の表情もとてもよかったと思う。ラストの表情を見る限り、千夏は“うまい負け方”なんかを狙うことなく、もっと前向きに生きることを選ぶことになるんじゃないだろうか。

乳癌という重いテーマを扱いながらも本作があまり湿っぽくならなかったのは、昭子役の常盤貴子が“関西のオカン”になりきっていて、吉田美月喜との軽妙なやり取りで場を和ませてくれたからだろう(“関西のオカン”とは言っても常盤貴子がフラれるとは思わなかったのだが、木村という男は空気が読めないやつだった)。常盤貴子には関西弁のイメージはなかったけれど、育ちは関西らしい。

脇役ながら美味しいところをさらった感があるター坊役の佐藤緋美は、『ケイコ 目を澄ませて』の時とは雰囲気からして別人みたいだった。実は浅野忠信CHARAの息子さんなんだとか。

また、最近あちこちで見かける気がする前田敦子だが、本作でもいい味を出している。千夏の光輝に対する想いはその表情からして誰からも明らかだったようにも感じられるけれど、そんな光輝に手を出しておきながら、千夏に対しては「大人になれ」と目を覚まさせることになる。そのビンタの思い切りの良さはピカ一だった。

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