『ほかげ』 「怖くなる」とは?

日本映画

『鉄男』『東京フィスト』などの塚本晋也の最新作。

主演は『もっと超越した所へ。』や、現在放送中のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』などの趣里

物語

女は、半焼けになった小さな居酒屋で1人暮らしている。体を売ることを斡旋され、戦争の絶望から抗うこともできずにその日を過ごしていた。空襲で家族をなくした子供がいる。闇市で食べ物を盗んで暮らしていたが、ある日盗みに入った居酒屋の女を目にしてそこに入り浸るようになり…。

(公式サイトより抜粋)

疑似家族の共通点

半焼けになった居酒屋で寝起きしている女(趣里)。彼女はそこで客を取って生きている。一杯だけ酒を出し、そして身体を売るのだ。客を斡旋している女衒の男(利重剛)は、足りなくなった日本酒を補充しにやってきては優しく彼女に声をかけ、彼女を抱いて帰る時もある。

そんな女がなぜか疑似家族を形成することになる。その場所に居つくことになるのは、居場所がない少年(塚尾桜雅)と復員兵(河野宏紀)だ。少年は盗んだものらしき食べ物を持ってやってきて、女に何かを作ってもらうようになる。復員兵は始めは客として現れるのだが、金は払ったものの酒を飲んで朝まで寝てしまう。ところが復員兵はまた次の日もやってきて、「金はまた次の日に」と言いながら居つくことになってしまうのだ。

3人がそこで疑似家族を形成することになるのは、どこかで同じ臭いのようなものを感じていたからなのかもしれない。それは戦争によって傷ついているということだろう。戦争はすべてを奪ってしまったのだ。

少年は家も家族も失い孤児になったのだろう。少年を受け入れた女も、開かずの間となっている奥の部屋には、今はいない旦那と息子の写真を隠している。女はすべてを失い、生きる希望もなく、ただ居酒屋で寝転んでいるだけの生活をしている。死ぬこともできずにただ生きているだけなのだ。

人のよさそうな復員兵も病んでいる。彼はその居酒屋に来た時に、久しぶりにぐっすりと眠れたらしい。普段、夜はうなされて眠れないのだ。戦場の体験が悪夢として襲いかかるのだろう。ところがそんな復員兵は突如として暴力を振るうようになり、少年が隠し持っていた銃によって追い出されることになる。

それでも3人は少しの間だけ幸福な時間を過ごす。女にとってその時間は、旦那と息子が戻ってきたかのような時間だった。それでもそれは長くは続かない。時代としては戦後だ。戦争は終わったはずだ。しかしながら戦争が残した傷跡は未だに人々を苦しめているのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

© 2023 SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

塚本晋也という監督

正直に言えば、私は塚本晋也の作品をうまく理解できていない観客なのだと思う。『鉄男』シリーズなんかが何を描こうとしているのかがピンと来ないままだからだ。暴力衝動とか肉体破壊に対する欲求といったものが、自分にはよく理解できないのかもしれない。そんな観客としては、もしかすると『野火』以降の作品のほうがわかりやすい部分があるのかもしれない。

本作公開に際して発表されたインタビューを参考にして、過去の塚本作品について理解してみようとすれば、こんなふうになるのかもしれない。

まずは鉄というものに対するフェティシズムがある。インタビューでは「鉄が大好きだから」とか、「機械と恋愛している」などとも語っている。このことに関し、塚本晋也監督自身が「変態」とも言っているから、凡庸な人間には理解しにくい部分があるということなのかもしれない。

そして、鉄というものは武器になる。刀にもなるし、その先には銃もある。だから鉄というもの対するフェティシズムは、暴力にもつながってくるし、そこにはエロスも感じてしまうことになるらしい。これは別の言い方をすれば、人間とテクノロジーの関係とも言える。鉄というものが人間をどんなふうに変えてしまうのか、そんなことを塚本晋也という監督は考えているらしい。

このあたりが凡人には厄介なところなのかもしれないけれど、最近の作品では変態性は失われ、暴力に対する怖さのほうが前面に出てきたらしい。それは『野火』を製作する前の頃に、当時の政権が戦争をする国になろうとしているように見えたからだ。

そんなわけで塚本晋也は戦争についての映画を製作することになり、それが『野火』『斬、』と続き、最新作が『ほかげ』ということになる。『野火』以降の作品のほうがわかりやすいというのは、かつてのようなフェティシズムは後退し、変態性も和らいでいるという意味で、凡人にも理解できるところがあるということだ。

© 2023 SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

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「怖くなる」とは?

そんなわけで『ほかげ』についてだが、本作は『野火』の戦場から帰還した男たちの話でもある。趣里が演じた女の旦那は、戦争に行って還ってこなかった人だ。少年はそんな男のことを指して、「かえらなかった兵隊さんは、怖くなれなかったんだよ」と女を慰めることになる。

これは逆に言えば、帰還した兵隊たちは怖くなれた人たちということを示している。「怖くなる」というのはどういうことだろうか? これには二つの段階があるのかもしれない。そして、それがそれぞれ『斬、』と、『野火』に対応している。

『斬、』の主人公の剣豪は、剣術の腕は抜群でも、未だに人を斬ったことがなかった。この主人公は大切な人が酷い目に遭っても刀を使うことができずにいる。最後に自分の命が危うくなる土壇場になるまで、刀を振れないのだ。それだけ人を殺めるということには大きな障壁があるということだろう。これに関しては、『フルメタル・ジャケット』の前半部の訓練でも描かれていた。簡単に銃を撃てるようになるには、それなりの鍛錬が必要ということになる。戦場を生きていくには、そうした心理的な障壁を乗り越えなければならないのだ。

そして、その戦場そのものを描いたのが『野火』ということになる。『野火』の戦場では、仲間たちは次々と肉体を破壊され、内臓をぶちまけて死んでいき、それでも帰る場所はなく、食糧もない。そんな場所で生きるにはどうしたらいいかと言えば、それはまさに気が狂うしかないということであり、そうやって狂気の中で人肉まで喰らって生き延びることになったというわけだ。

つまりは「怖くなる」というのは「狂気に陥る」ということでもあるわけだ。狂人にならなければ戦場を生き抜くことはできないし、生き抜いた場合はそのことによって苦しむことになる。

本作の前半に登場する復員兵もそんなふうに病んでしまった一人ということになるし、後半に少年が目撃する座敷牢に入れられた男もそんな一人ということになる。本作の後半では、少年とテキヤの男(森山未來)との旅が描かれることになるわけだが、そのテキヤの男も戦場でやってしまったことに苦しんでいるのだ。

© 2023 SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

暴力衝動に敏感だから

前半の居酒屋の暗さと、後半の青空の鮮やかさ。この対照性は意図されたものなのだろう。後半には居酒屋近くに人で賑わう雑踏があることも示されるわけで、前半にそれが一切出てこないのは、対照性が計算されたものだったからだろう。前半の居酒屋内部の閉塞感は、女の病んだ心を示していたのかもしれない。

女は少年が隠し持っていた銃のことを心配している。そんなものがロクなものをもたらさないことを知っていたからだろう。そして、その銃を置いて少年はそこを去ることになる。銃ではなく自分の力で働くことを学ぶのだ。

本作にはとても真っ当なメッセージがある。塚本晋也は鉄=武器に恋する変態だったわけだが、自分の暴力衝動に敏感だからこそ、その暴力の怖さをも敏感に察知しているということなのだろう。『野火』、『斬、』、そして『ほかげ』と観てきたら、誰も戦争なんてことバカなことをしなくなるかもしれない。

© 2023 SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

復員兵の突然の暴力には唖然としたのだけれど、それに対する趣里の絶叫もまた凄まじいものがあった。趣里という人は見た目は小動物のようなかわいらしいイメージだが、突如としてドスの利いた声を出すパワーを秘めている。趣里は『生きてるだけで、愛』もよかったのだけれど、最近は国民的人気番組のほうでも活躍中らしい。テレビばかりではなく、たまには映画でもお目にかかりたいものだと思う。

森山未來が演じたテキヤの男は、まるで『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三のようだった。テキヤの男は片腕が動かないのだけれど、彼は最後に動く片腕を空に突き上げることになる。その姿は『灰とダイヤモンド』のラストを彷彿とさせるものがあった。

何より一番印象に残るのは少年を演じた塚尾桜雅かもしれない。暗闇の中でも大きく光る眼が、戦後の人々の苦しみを映し出す鏡のようだった。

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