『さかなのこ』 “好き”の力

日本映画

『横道世之介』などの沖田修一監督の最新作。

脚本は沖田修一と前田司郎という『横道世之介』と同じコンビ。

原作はさなかクンの『さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜』

主人公のミー坊を演じるのは“のん”こと能年玲奈

物語

お魚が大好きな小学生・ミー坊は、寝ても覚めてもお魚のことばかり。他の子供と少し違うことを心配する父親とは対照的に、信じて応援し続ける母親に背中を押されながらミー坊はのびのびと大きくなった。高校生になり相変わらずお魚に夢中のミー坊は、まるで何かの主人公のようにいつの間にかみんなの中心にいたが、卒業後は、お魚の仕事をしたくてもなかなかうまくいかず悩んでいた…。そんな時もお魚への「好き」を貫き続けるミー坊は、たくさんの出会いと優しさに導かれ、ミー坊だけの道へ飛び込んでゆく――。

(公式サイトより抜粋)

さかなクンの自伝?

原作はさかなクンの自伝的な本だが、本作はそこからかなり自由に作られている作品だ。『さかなのこ』は、お魚が大好きなミー坊(のん)が成長して“さかなクン”となるまでを描くことになるわけだけれど、恐らく単純にさかなクンの自伝映画を作るつもりはなかったのだろう。

本作には明確なメッセージがある。そのメッセージとは、最後にさかなクンとなったミー坊がテレビの向こう側に語りかけるように「好きに勝るものなしでギョざいます」ということだ。これはさかなクンの生き方にもつながるものだけれど、本作はそれを明確に示すためにさかなクンの自伝からはちょっと離れて自由に物語を構成しているのだ。

冒頭で示されるのは「男か女かはどっちでもいい」という言葉だ。これはミー坊=さかなクンを描くに当たって、性別なんかを気にすることはないということなのだろう。かといってミー坊を女性という設定にするわけではない。高校時代のミー坊は学ランだから男性なのだが、髪は肩に付くくらいまでの長さで中性的にも見える。

ミー坊は「普通って何?」ということを素朴に問うてしまうような人だ。みんなが世間の多くの人とズレないことを意識する中では珍しいのかもしれないけれど、ミー坊は自分の好きなように生きてきただけなのだ。その意味でミー坊はとても個性的だ。そして、本作はそんな人それぞれの個性を肯定してくれるような映画となっている。

実際に本作を観た人の多くが、のんが演じるミー坊ことさかなクンをごく自然に受け入れることになるだろうし、この人以外にあり得ないんじゃないかという感覚にすらなるだろう。のんという人が持つ不思議な空気感がこの主人公にはピッタリなのだ。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会

成功者の影には

本作が自由な作品だというのは、男性であるさかなクンを女性であるのんが演じるところにも感じられるけれど、加えて本物のさかなクンがミー坊とは別の“ギョギョおじさん”という役柄で顔を出したりもするところにも表れている。この自由度は沖田修一の過去作品『おらおらでひとりいぐも』において、田中裕子演じる主人公の分身がなぜか3人の男たちによって演じられたこととも似ているかもしれない。

脚本を書いた前田司郎は、このギョギョおじさんというキャラクターを、「さかなクンの影というか、もしも歯車が1つズレていたらと思って」創作したとのこと。さかなクンはお魚が大好きで、その絵を描くことが好きで、そんなことをやり続けていたら、いつの間にかにテレビの世界で成功することになってしまった。

とはいえ、お魚が好きな人はさかなクンだけではない。ギョギョおじさんもさかなクンに負けないくらいのお魚好きなのだが、彼はちょっとした勘違いで不審者扱いされることになってしまう。さかなクンのような成功した人の影には、そんなふうに多くの成功できなかった人がいるということなのだ。

本作はギョギョおじさんというキャラクターによって、ミー坊ことさかなクンが周囲の多くの人に助けられて今の位置にいるということを際立たせることになっているのだ。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会

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家族の力

ミー坊を支えたのは、まず第一に家族だろう。特に母親(井川遥)のミー坊に対する理解はなかなか真似できないものがある。母親はミー坊がお魚が好きだということを決して否定することがないのだ。好きな部分を伸ばすためにはちょっとくらい勉強がダメだって構わない。みんなが同じように優秀じゃなければならない理由はないというわけだ。

これを実践できる親は珍しいんじゃないだろうか? 世間では成功に至る正規ルートはある程度決まっている。いい大学に入って、いい就職先を見つけ云々というルートだ。一度そのルートを外れると、復帰することは難しい。そんな状況下でもミー坊の母親は、そんな世間一般の普通というものにまったく頓着しない。ただひたすらにミー坊のお魚好きを全肯定し続けるのだ。

ミー坊の家族は4人家族だったが、どこかの時点で恐らく離婚したのだろう。高校時代のミー坊は母親とふたりきりの生活になっている。これは母親がミー坊の教育方針で父親(三宅弘城)とぶつかったからなのかもしれない。母親は離婚してでもミー坊の好きなことを妨げることを避けたということなのだ。

しかも驚くべきことに、ミー坊がさかなクンとなりお茶の間の人気者になって初めて、母親も父親もあまり魚が好きではないということが明らかになる。ミー坊以外の家族は魚はあまり好きではなかったのだけれど、ミー坊のためにそれも我慢していたということで、とにかく徹底しているのだ。この家族の徹底ぶりがなかったらさかなクンの誕生はなかったんじゃないだろうか。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会

“好き”の力

ミー坊はお魚が大好きという点で一貫している。そこには確固たる世界がある。その道の達人みたいな雰囲気がある。だからミー坊はヤンキーたちと付き合っても、ヤンキーの世界に引きずられることもなく、ミー坊の世界に引き込んでしまう。ヤンキーたちもミー坊の前ではミー坊のペースに乗せられてしまうのだ。

そんなミー坊がちょっとだけ脱線した時があって、それがモモ(夏帆)とのエピソードなのだろう。ミー坊はモモが住むところを失って窮乏状態にあることを知ると、彼女を助けようとする。ミー坊はモモと彼女の子供のために、飼っていたお魚を売ることで金を捻出しようとする。ミー坊はモモのために大好きな魚を手放したのだ。

それに気づいたモモは自らミー坊の前から姿を消すことになる。モモはミー坊のお魚好きを知っていたから、それを自分が妨げてしまっていることを許せなかったということなのだろう。モモがミー坊をうまく利用しようと考えるような女性だったとするならば、ミー坊がさかなクンとして成功することもなかったのかもしれないのだが、ミー坊の周囲はいい人ばかりなのだ。

ミー坊がさかなクンとしてテレビに出演するきっかけとなったのも、小学校時代の同級生ヒヨ(柳楽優弥)のおかげだ。ヒヨはある時彼女(島崎遥香)にミー坊を紹介するけれど、その時の彼女の態度に憤慨して、彼女よりもミー坊を選ぶ。これは彼女よりもミー坊のほうが人間的に魅力的だったからなんじゃないだろうか。ヒヨがミー坊のことをテレビに出したいと思ったのも、ミー坊のことを多くの人に知ってもらいたかったからであり、それほどミー坊は魅力的だったのだ。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会

好きなことを持っていることはすごいことだ。さらにはそれをやり続けられることもすごいことだ。そういう人は周囲から見ても魅力的に見える。なぜかと言えば、人生を楽しんでいることがほかの人からもわかるからだろう。

多分、お魚をあまり好きではない人も多いだろう。ミー坊の家族も本当は魚が苦手だったように。それでもさかなクンが魅力的に映るのは、さかなクンがお魚が大好きということが伝わるからだろう。そして、好きなことを夢中でやっている人はそれだけで人生を楽しんでいるし、それは周りから見ても気持ちがいいものなのだ。まさに「好きに勝るものなし」であり、何かを好きでいるということはそれだけで人としての強みになるということなのだ。

本作はこれまでの沖田作品と同様のんびりしている(カブトガニの歩みくらいに)。139分という上映時間は決して短いものではないけれど、いつの間にかにミー坊のペースに巻き込まれていたようで、長尺はまったく気にならなかった。ミー坊の父親のタコに対する仕打ちに笑わせられつつも、その明確なメッセージは心に響くものがあり、極めて真っ当で見応えがある映画だったと思う。

そして、のんの瞳の輝きにも魅せられた。のんという人はとても個性的で独特な魅力がある。改めてそんなことを感じさせてくれる映画でもあった。

created by Rinker
バンダイナムコフィルムワークス

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