原作はジョン・プレストンの小説。
監督は舞台演出家のサイモン・ストーン。
原題は「The Dig」。Netflixオリジナル作品。
サットン・フー遺跡発掘の実話
「最も著名なイギリスの考古遺跡のひとつ」(Wikipediaより)とされる、サットン・フー遺跡の発掘の実話を元にした作品。
この遺跡では長さ27メートルもの巨大な船が埋められていたのが見つかった。船葬墓と呼ばれるもので、それが棺の代わりになっていたとされる。そのほかの多くの副葬品なども出土し、それらは大英博物館に飾られているという。
そんな遺跡を見つけたのが、本作の主人公であるバジル・ブラウン(レイフ・ファインズ)であり、その土地の所有者で発掘を依頼したエディス・プリティ(キャリー・マリガン)がもうひとりの主人公となる。
サットン・フー遺跡はそれまでの歴史を変えるほどの発見だっただけに、国が関わったりして功績は横取りされるような形になってしまい、ブラウンとエディスの名前が大英博物館の展示資料に記されることになったのは近年になってからとのこと。本作ではそんなふたりの功績を世に知らしめるために製作されたものと言えるかもしれない。
掘削者と考古学者
エディスは自分の土地にある大きな塚のことが気にかかり、そこに何かが埋まっているんじゃないかと推測する。そして、最初は地元の博物館に自分の土地の発掘を依頼したものの、ほかの重要な仕事や間近に迫った戦争のこともあり断られてしまう。そこで白羽の矢が立ったのがアマチュア発掘家のブラウンで、ふたりは仕事の契約を結び、その塚を掘り始めることになる。そこで出て来たのが予想外とも言える船葬墓だったのだ。
そうなると事情が変わってくる。地元の博物館は手柄を自分の物にしたいと考え、さらには大英博物館の息がかかった考古学者フィリップス(ケン・ストット)までしゃしゃり出てくる。
ブラウンは発掘に関しては父親から実地で習ってきたために、サフォークの土ならどこでもわかると豪語するほどの熟練だが学位などはない。だから発掘の技術は持っているのだが、フィリップスが考古学者(archaeologist)と名乗るのに対し、ブラウンは掘削者(excavator)と名乗るしかない。そうしたことが影響してか、ブラウンの功績が認められるのが時間がかかったものと思われる。
悠久の時の流れ
『時の面影』はブラウンとエディスの伝記的事実を描いたものだが、それだけではなくフィクションも付け加えられているように感じられる(原作はジョン・プレストンという人物が書いた小説)。発掘に関する事実ばかりではなく、脇役の恋物語なども描かれることになるからだ。とはいえそれは、本作が「悠久の時の流れ」を感じさせつつも、同時に「はかない人間の営み」をもテーマにしているからだろうと思う。
発掘の発起人であるエディスは、病を患っていて人の命のはかなさを感じている。エディスの夫は息子のロバートが生まれた時に死んでしまっているからなおさらだ。しかも時代は第二次大戦間近で、エディスのいとこのローリーも戦争に駆り出されようとしている。自分も大切な人たちも死んでしまうだろうということを、エディスは如実に感じていたのだ。
「人は死ぬわ。死んで朽ちる。消え去るのよ」と泣きながら話すエディスに、ブラウンが語りかける言葉が印象的だ。ラスコーの洞窟で見つかった最初の手形からずっと続いているものがある。人は消え去ることはなく、悠久の時の流れの一部として存在していく。ブラウンはそんなふうに語る。
ツタンカーメンを発掘した人による言葉「時が意味を失った」という言葉も引用されているが、これは発掘によって過去の遺物が明らかになることで、土の中に隠されていた“時”が今に蘇るようなことを指しているものと思われる。
ブラウンは発掘は未来のためのものと考えている。発掘には次の世代に自分たちのルーツを伝える意義があると感じているからだ。サットン・フー遺跡もそれまでの歴史を変えることになり、そうした発掘の一翼を担うことになったのはエディスの慰めになったんじゃないだろうか。「悠久の時の流れ」を感じる発見の最初の発起人だったのだから。
はかない人間の営み
発掘に関わる出来事とは無関係のエピソードとして、ペギー(リリー・ジェームズ)とローリー(ジョニー・フリン)の恋物語も描かれる。これはある意味では脱線とも言えるのだろうが、「悠久の時の流れ」を前にした「はかない人間の営み」を示すために必要だったのだろうと推測する。
人が生きた証を後世に残す方法は様々ある。ローリーがしたように写真を撮ることもそうだろうし、芸術家なら絵画や詩を作るかもしれない。時の権力者ならば、サットン・フーのような墓を作ることもできる。
そうした遺跡を考古学者が発見すれば、そこから過去の時代に生きた人々の姿を再現することができる。ブラウンの功績を横取りした形になったフィリップスだが、彼は考古学者として1400年も前の船葬墓からの出土品を見て、暗黒時代は暗黒ではなく、その時代のアングロ・サクソンたちは野蛮な戦士ではなく、高い芸術性のある文化を有していたと演説をする。
考古学は「悠久の時の流れ」の中に存在する、過去の人たちの生きた証を今に蘇らせるロマンに満ちたものなのだ。もちろん出土した限られた宝物からだけでは、わからないことのほうが多いわけだが、過去の人々の姿に思いを馳せることがなければ考古学など意味がないだろう。
そんな意味で本作の脱線気味のエピソードは、考古学でも解明できないであろう、その時代を生きた人々の「はかない人間の営み」を示しているのだろう。第二次大戦が差し迫る中、戦争に行って死ぬことになるであろうローリーと、考古学者の夫のいるペギーは一夜を共にすることになる。そのペギーを後押ししたのは、「人生は一瞬よ」と語るエディスだった。そして、エディスの息子ロバートは、病を患う母親を光速で進む宇宙船に乗せ、自分の成長した姿を見せたいと夢想することになる。
それらの姿は人の生きた証として残るものではないかもしれない。実際にはそうした多くの人たちが「悠久の時の流れ」の一部となっていくわけだ。ただ、ペギーがローリーと過ごした一夜も、ロバートが母親エディスと空を飛ぶことを夢想した一夜も、それぞれにとっては「時よ止まれ」と叫びたくなるような美しい瞬間だったのだと思う。そうした瞬間を捉えたことは、本作を単なる伝記映画では終わらせなかった美点だったんじゃないだろうか。
原題は「The Dig」という何とも素っ気ないものだが、邦題の「時の面影」は情感に満ちているし、テーマにも即していてピッタリはまっている。ちなみに遺跡の宝物は戦争中はロンドンの地下鉄の中に隠されていたのだとか。戦争は「悠久の時の流れ」を知らせるはずの貴重な遺跡をも永遠に失わせることになる可能性があったからだ。
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