『帰らない日曜日』 距離の感覚

外国映画

原作はグレアム・スウィフト『マザリング・サンデー』

監督は『バハールの涙』などのエヴァ・ユッソン

原題は「Mothering Sunday」で、これは「英国およびアイルランドで祝われている母の日」のこと。

物語

1924年、初夏のように暖かな3月の日曜日。その日は、イギリス中のメイドが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉。けれどニヴン家で働く孤児院育ちのジェーンに帰る家はなかった。そんな彼女のもとへ、秘密の関係を続ける近隣のシェリンガム家の跡継ぎであるポールから、「11時に正面玄関へ」という誘いが舞い込む。幼馴染のエマとの結婚を控えるポールは、前祝いの昼食会への遅刻を決め込み、邸の寝室でジェーンと愛し合う。やがてポールは昼食会へと向かい、ジェーンは一人、広大な無人の邸を一糸まとわぬ姿で探索する。だが、ニヴン家に戻ったジェーンを、思わぬ知らせが待っていた。今、小説家になったジェーンは振り返る。彼女の人生を永遠に変えた1日のことを──

(公式サイトより抜粋)

特別な〈母の日〉

本作の元々のタイトル「Mothering Sunday」は〈母の日〉を意味する。主人公のジェーン・フェアチャイルド(オデッサ・ヤング)はメイドだ。住み込みのメイドはいつでも仕事に拘束されていることになるわけだが、〈母の日〉だけは実家に帰ることが許されるのだという。しかしジェーンは孤児のため、帰る場所もない。その日、ジェーンは自転車で遠乗りすると言いつつ、実はある男性と会うことになる。それがポール(ジョシュ・オコナー)だった。

その日のポールは婚約者であるエマたちとの昼食会を控えていたのだが、それに遅刻を決め込み、ジェーンを待っている。すでに結婚が決まっている名家のお坊ちゃまポールと、メイドであるジェーン。ふたりは身分の違いもあり、決して結ばれることのない関係だ。昼食会へ参加するためにポールの両親も出払い、誰もいなくなった屋敷へジェーンは初めて招待される。

ジェーンとポールはそこで愛し合い、ゆっくりとした時間を過ごすことになる。そして、ポールは両親や婚約者が待つ昼食会へ出席するために出ていくと、ジェーンは屋敷に独り残される。しばしの自由な時間に、ジェーンは裸のまま屋敷を歩き回り、美術品や膨大な蔵書を見て回る。そしてお腹が空くと、パイを食べビールを飲んで贅沢な時間を過ごすのだが……。

(C)CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE AND NUMBER 9 FILMS SUNDAY LIMITED 2021 All rights reserved.

時間の隔たり

『帰らない日曜日』を時間軸で見ると、3つに分かれる。ジェーンがポールと過ごした〈母の日〉は、1924年とされている。そして、その日のことを振り返って本を書こうとしているのが1948年だ。映画の中ではこの時間の隔たりはあまり明白ではない(ジェーンの髪型も変わっているから、それが1924年より後のことだと推測できるけれど)。

公式サイトによると、実際にはそんな時間の経過があり、つまりはジェーンは決定的な出来事から24年の時を経て、そのことを想い出しながら本を書いていることになる。本作で描かれる〈母の日〉も後から振り返ったものということになる。また、1980年の年老いたジェーンも登場する。この時のジェーンはあらゆる文学賞を受賞した大家となっているということが示される。

この「時間の隔たり」は何だったのだろうか? それだけ〈母の日〉に起きた出来事が衝撃的なもので、ジェーンの中でそれを冷静に見つめるまでに時間がかかったということかもしれない。もしくは書くための修行が足りていなかったということかもしれない。ジェーンは48年の時点で作家にはなっている。ただ、自分にとって決定的な出来事だった〈母の日〉のことはまだ書いていない。とにかくジェーンは24年の時を経てそれを本にしようと決心することになる。

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勝利の代償は?

本作では三つの名家が登場する。主人公であるジェーンがメイドとして住み込んでいるのがニヴン家で、ポールはシェリンガム家の三男だ。そして、ホブデイ家のエマはポールと結婚することが決まっている。

この三つの名家は、昔から様々な場所で示し合わせたように一緒になることが多かったと語られる。これは親たちが仕組んでいたことらしい。三つの家の子供たちはそんなふうにして自然に仲良くなっていったのだろう。多分、名家を継ぐ者とすれば、子供の結婚相手も由緒正しい家柄の者が好ましいわけで、子供たちが仲良くなるように仕向けていたのは、親たちの様々な思惑もあってのことだろう。

ただ、その思惑はうまく行かない。序盤でニヴン家の朝食風景が描かれるのだが、そこで示されるのは奥様であるクラリー(オリヴィア・コールマン)の、夫ゴドフリー(コリン・ファース)に対する苛立ちのようなものだ。これが何を要因としているのかがわからないまま進んでいくのだが、クラリーの苛立ちは昼食会の最中にぶちまけられることになる。

1924年は第一次世界大戦が終わってそれほど時間は経っていない。劇中の新聞にも「勝利の代償は大きい」などと書かれていたが、ニヴン家の二人の息子はその戦争で死んだのだ。そして、シェリンガム家ではポールの二人の兄も戦死した。〈母の日〉の昼食会は、ポールとエマの結婚の前祝いとしてめでたい席なのだが、参加した誰もが4人が戦死したという事実に打ちのめされているのだ。

また、ポールと結婚することになったエマは、ニヴン家の長男ジェームズの恋人だった。ふたりがそのまま結婚することが、もともと名家の親たちが望んでいたことだろう。しかし、ジェームズは戦死してしまったわけで、エマの苛立ちはポールが昼食会に遅刻していることよりも、ジェームズがその場にいないことだったのだろう。

そうしたこともあり、この結婚を心から喜べる者はおらず、「今日はとてもいい天気だ」などとゴドフリーがその場を繕おうとする振舞いが空々しく感じられることになるのだ。そんな状況の中で、クラリーは「みんな死んでしまったじゃない」と叫ぶように言い、周囲を慌てさせることになるのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

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ノブレス・オブリージュ

ゴドフリーはイギリスの名家の主人としていかにもそれらしい佇まいを持っているし、いつも紳士的な振舞いをしている。劇中で描かれることはないけれど、ゴドフリーは息子たち二人を戦場へ送り出す役目を担ったのだろう。ノブレス・オブリージュ(地位の高い人の義務)という意識があったのではないだろうか。しかしながらそれはクラリーから二人の息子を奪うことになる。クラリーを苛立たせているのは、そんなことがあった今でも、未だにゴドフリーの貴族ぶった振舞いをしていることなんじゃないだろうか。

優雅で何不自由ない印象の三つの名家の姿だが、そこには戦争の影が見え隠れすることになるのだ。そして、そのことが主人公ジェーンにとっての決定的な出来事へとつながっていく。というのは、〈母の日〉にジェーンと一時を過ごしたポールは、その後に昼食会へ向かう途中で事故に遭って死んでしまうからだ。とはいえ、それは予測されることだったとも言えるのかもしれない。ゴドフリーが憔悴した様子でポールの自殺を疑っていたことからもわかるように、ポールはそんなことをしかねない状況にあったとも言えるからだ。

ポールは三つの名家の子供たちの中で、唯一生き残った息子ということになる。だからポールがエマと結婚することが義務だということも理解していただろう。ただ、それ以上にサバイバーズ・ギルトという感覚に支配されていたんじゃないだろうか。

ポールは亡くなったジェームズを褒め称え、自分を卑下するようでもあった。また、ジェーンに女性用の避妊具を付けさせていたのも、後になって面倒なことを避けるためというよりも、ポールが厭世的な感情を抱いていたからなのかもしれない。だからこそ、ポールの最期の表情は、ジェーンに永遠の別れを告げたかのようにも見えてくるのだ。

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距離の感覚

さて、本作は主に1924年と1948年が主な舞台となるわけだが、先ほどもこの「時間の隔たり」に関して疑問を記しておいた。なぜこれほどの時間が必要だったのか?

1924年が第一次世界大戦の戦後と言える時代だったように、1948年は第二次世界大戦の戦後と言えるだろう。もしかすると再び戦争があったことが妨げだったのかもしれない。しかし、それ以上にドナルド(ソープ・ディリス)という黒人男性に出会ったことが大きな要因だったのだろう。

ジェーンは1948年に哲学者(?)であるドナルドと出会う。そして、ドナルドとの会話の中でジェーンは作家になったきっかけを語っている。一つ目は生まれたこと。二つ目はタイプライターをもらったこと。しかし、三つ目は秘密だとされる。この三つ目のきっかけはドナルドが病気で死ぬことになっても、最後まで秘密のままなのだ。とはいえ、これはジェーンの過去を知っている観客には明らかなことだろう。

三つ目のきっかけは、1924年の〈母の日〉にジェーンに起きた決定的な出来事だったのだ。ジェーンはドナルドの質問によって、自分が作家になったきっかけ、その最も重要な出来事を再び意識させられたのだ。

ジェーンはあの〈母の日〉に、クラリーから重要な言葉を授けられる。クラリーはジェーンにこんなことを言う。あなたは何も失うものがない。しかし、それがあなたの強みだと。この言葉は「持つ者」が「持たざる者」に言う言葉としては、かなり危なっかしいものを含んでいるだろう。それでもジェーンはクラリーの言葉を自分のノートに書き記すことになる。このことがジェーンが作家を志して初めて書き付けた言葉と言えるものだったのだ。

ちなみにある作家曰く「小説は牢屋に入っても書ける」のだとか。多分『クイルズ』という映画だったと思うが、マルキ・ド・サドが牢屋の中で紙とペンを奪われても、壁に自分の糞尿で文章を書いていたというエピソードがあった。

作家というのは本当に何も持たなくてもできる仕事なのかもしれない。その意味で、老齢に達したジェーンが今までの人生を振り返って「書くしかなかった」と言うのは、孤児院出身で身一つだけだったジェーンができることは、何も持たなくてもできる作家になるしかなかったということだろうか。しかし、同時にそれはジェーンにとっては強みでもあったのだろう。もともと身一つのジェーンがポールを失ったことで、さらに何も持っていないという強みを自覚することになり、作家として大きな成功をもたらすことになったのだ。

本作はとても地味な作品なのかもしれない。目立つのはポールとジェーンの裸ばかりかもしれない。激しいセックス描写があるわけではないけれど、レーティングが「R15+」になっているのは、監督曰く「ふたりの親密さ」を見せるために裸で過ごすシーンが多いからだ。だからレンタル店に並ぶ時には「エロティック」というコーナーに置かれてしまうことになるのかもしれないけれど、それだけには終わらない繊細な表現がされているようにも感じられた。

たとえば映像手法として、1924年においては、被写界深度が非常に浅い映像が印象的に使われていた。これはある特定の部分だけにピントが当たり、それ以外はぼかされたような映像だ。ある部分だけに焦点を合わせ、ある部分を捨てているとも言えるかもしれない。

本作は「後から振り返れば」という視点によって描かれているわけで、ジェーンはあの〈母の日〉の出来事から24年の時を経て、改めてその出来事だけに焦点を合わせているわけだ。被写界深度の浅い映像はもしかしたらそんな意味合いがあったのかもしれない。あまりに衝撃的な出来事は、近すぎるとよく見ることが不可能だろう。時を隔て距離を取ることで、ようやくその出来事が理解されることがあるのだ。そんな距離の感覚が映像によって示してされていたようにも感じられたのだ。

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