アメリカのケーブルテレビHBOで放送されたテレビドラマ(ミニシリーズ)。
日本ではスターチャンネルなどで視聴可能だったが、3月4日にソフトが発売になったもの。
監督は『ブレイキング・バッド』や『ウォーキング・デッド』などのテレビドラマを監督しているヨハン・レンク。
エミー賞ではリミテッド・シリーズの作品賞や監督賞などを受賞した。
物語
1988年4月、ヴァレリー・レガソフ(ジャレッド・ハリス)という男が録音したテープを誰かに託して自殺する。
そして、時はその2年前に遡る。1986年4月26日午前1時23分45秒、チェルノブイリ原子力発電所で爆発が起きる。突然の出来事に発電所内でも誰も事態を把握できずにいた。現場責任者であるディアトロフ(ポール・リッター)は、非常用のタンクが火災になったのだろうという憶測のもとに事態の把握に努めるのだが……。それは地獄の釜の蓋が開いたにも等しい惨劇の始まりだった。
前代未聞の原発事故
原子力は人類が抱えるエネルギー問題を解決する「夢のエネルギー」だと考えられていた時代があった。鉄腕アトムが原子力を動力にしているのも、そうした希望の表れだったということだろう。だから原子力の平和利用として原子力発電所が作られた時には、いつかは枯渇する石油や石炭などに代わるエネルギーとして期待されたのだろう。
ただ、原子爆弾の威力をすでに知っている人類としては、原子力の危険性も重々承知していたわけで、原子力発電所には二重にも三重にも安全の確保はしているはずだった。チェルノブイリで使われていたRBMK型原子炉(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)もそうした対策は十分だったはず。原子力の専門家も、そこで働いている原子力技師たちも、原子炉が爆発することなどあり得ないと考えていたようだ。しかし、あり得ないことが実際に起きてしまう。
チェルノブイリで起きていることを誰も把握できないなかで、唯一その危険性を理解したのがヴァレリー・レガソフ博士だ。彼は現場の状況を記した文書から、チェルノブイリで起きていることが最悪の事態だと見抜くことになる。レガソフ博士はゴルバチョフ書記長に進言して、事故対策の責任者に任命されたシチェルビナ副議長(ステラン・スカルスガルド)と一緒に現場へと向かう。
見えないものの怖さ
放射性粒子は人間の目には見えない。レガソフ博士によると、放射性粒子は弾丸のようなものなのだという。その弾丸はあまりに小さくて人の目には見えないが、人間の身体も木も金属も貫いてしまうらしい。だからそれを浴びた作業員は次第に身体に異常を来たすことになるし、精密機械などもダメになってしまう。
それでも放射能は通常人には見えないために、危険性もわからずにそれに近づいてしまう。現場の作業員や消防士たちは、通常の火事だと思っているから危険地帯に入り込んで酷い被爆をすることになる。
レガソフ博士が住民の避難を進言しても、その怖さを把握していない政府はすぐに動くことはない。事故のことを何も知らされていない住民たちは、原子力発電所が異様な色で燃えているのを珍しがって見物したりしているものの、その間も彼らは大量に被爆していることになるのだ。
代償の大きさ
本作は全5回のシリーズで、約330分。それでも矢継ぎ早の展開にあっという間に見てしまうだろう。しかし、その鑑賞後の印象はあまりにも重苦しいものだ。というのは、なぜ人間の力でコントロールできないようなものを作ってしまったのだろうかという疑問が沸くからだ。
本作では事故の収束のために決死隊による作業が決行される。レガソフ博士はやれば死ぬことがわかっている作業を誰かに命じなければならない。そして、被爆した人間の辿る末路もまざまざと見せられることになる。彼らは全身の細胞を破壊され、身体中から血をにじませながら、まるでゾンビのようになって息絶えていくのだ。エネルギー問題の解決策だとしても、その代償はあまりにも大きいのだ。
チェルノブイリのそうした事実を知っていたにも関わらず、日本では3.11東日本大震災で似たようなことを体験することになるわけで、なおさらその思いを強くすることになるだろう。
2つの原因
本シリーズは事故の発端から始まり、事態を収束させるための命懸けの闘いが描かれる。さらにソ連という国の体制の問題を感じさせつつ、ラストの第5話では「なぜ事故が起きたのか」についてを探っていくことになる。
それによれば事故には2つの大きな原因がある。ひとつは「人為的なミス」。もうひとつは「ソ連の嘘」だ。
原発にはマニュアルがあるわけだが、現場責任者のディアドロフは実験を成功させるために、それを悉く破る。ちなみに、ソ連の体制では上からの命令に背くことは危ない橋を渡ることになる。原発職員たちは現場責任者のディアドロフの命令が間違っていることを知っていても、それに従うほかない。というのも、ソ連は上司とケンカしても別の会社に転職できるような社会ではないからだ。そんな社会では逃げ場はないわけで、間違った命令でもやるほかなかったというわけだ。
そんな現場の判断によって原子炉が極限状態に陥ったことが最初の原因。それでも現場の職員たちは、非常用のボタンを押して原子炉を非常停止させてしまうという最終手段があると考えていた。しかしそれが間違いだったのだ。
ソ連の原子炉には重大な欠陥があったのだが、政府あるいはKGBはそれを認めることはしなかった。なぜならソ連が進める共産主義は素晴らしいものであり、決して間違いがあってはならないから。原子炉の欠陥はある科学者によって指摘されていたにも関わらず、その事実は隠蔽されてしまう。もし政府がそんな嘘をついていなければ、事故は起きていなかったかもしれないのだ。
真実を隠すための物語
レガソフ博士はすべてを裁判で明らかにすることになるわけだが、それによって彼は政府の監視下に置かれ、本シリーズの冒頭に描かれるように自殺に追い込まれることになってしまう。レガソフ博士は真実を明らかにしたはずだが、それも隠蔽されるのだ。レガソフ博士は自殺前にこんなことを語っていた。
「ウソの代償とは? 真実を見誤ることじゃない。本当に危険なのはウソを聞きすぎて真実を完全に見失うこと。その時どうするか。真実を知ることを諦め、物語で妥協するしかない。」
つまりソ連の公式見解としては、現場責任者のディアトロフがマニュアルを無視して作業をしたために事故が起きたということにされたのだろう。そして、その犯罪者であるディアトロフは10年間の強制労働を科され、事故に関してはケリがついた。そんな物語で妥協しろというのがソ連のやり方だったわけだ。
結局、ソ連も原子炉に欠陥があることを、のちに認めることになったようだ。しかしそれを広く知らしめることになった本シリーズを製作したのが、冷戦時代の敵国だったアメリカのHBOだったというのが皮肉かもしれない。
ただ、他国の会社が遠慮会釈もなく製作しているだけに、何の忖度もなしに作られている。だからこそ、ソ連という国の触れられたくない核心部分に迫るものがあったんじゃないかと思う。その点で現在公開中の『Fukushima50』が様々な忖度を感じさせるものになっているのとは対照的だと言えるかもしれない。
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