『哀愁しんでれら』 子供は王様?

日本映画

監督・脚本は自主制作映画『かしこい狗は、吠えずに笑う』で「ぴあフィルムフェスティバル」において、エンタテインメント賞と映画ファン賞を受賞した渡部亮平

本作は「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」でグランプリを獲得したオリジナル脚本で、渡部亮平にとっては監督としての商業デビュー作になるとのこと。

「シンデレラ」の続き?

“シンデレラ・ストーリー”と言うと、一種の“玉の輿”として滅多にない成功を勝ち得ることを指すことになるわけで、そのくらい「シンデレラ」はポピュラーなおとぎ話だが、本作はその続きを描いているとも言える。

なぜ続きが求められるかと言えば、「シンデレラ」においては、幸せの絶頂で物語は終わるから都合がいいわけだが、実際にはさらに人生は続いていくわけで、シンデレラは本当に幸せになったのかということになると、そこには疑問が生じることになるからだ。

本作のシンデレラたる小春(土屋太鳳)は、冒頭から散々な目に遭う。「泣きっ面に蜂」みたいな不運の連続で、家は半焼、彼氏には浮気され、父親(石橋凌)は職を失い、妹(山田杏奈)は大学受験を諦めるほかない状況に。それを一気に解決したのが、たまたま出会った泉澤大悟(田中圭)で、「白馬に乗った王子様よりも外車に乗ったお医者様」のほうがいいに決まっているという友人たちの薦めもあり、小春は大悟と結婚することになる。それによって抱えていた問題はあっさり解決し、何の不自由もない幸福な毎日がやってくる。

しかし、現実はそんなに甘くないわけで、大悟にもその娘・ヒカリ(COCO)にも色々と問題があることがわかってくるのだが……。

(C)2021「哀愁しんでれら」製作委員会

難しい親と子の関係

出会ってすぐに結婚することになった大悟と小春だが、すぐに意気投合したところもある。「子どもの将来はその母の努力によって定まる」というナポレオンの言葉に、ふたりは共感を抱いていたのだ。

小春は幼い頃に「あなたの母親をやめます」と宣言して出て行ってしまった母親のことを見て、「あんな親にはなるまい」と決意した過去がある。一方で大悟は母親(銀粉蝶)からビンタされ、耳が悪くなったことを未だに根に持っている。どちらも母親の存在を反面教師としている点が共通している。そのことが母親の力を神聖視するかのようなナポレオンの言葉への共感へとつながっているのだ。

親と子の関係においては、知らず知らずのうちに自分の親と同じことをしているというケースもあるわけだが、それとは逆に親とは正反対の方向へ行くというパターンもある。小春の場合は後者で、児童相談所で働いているのも、妹の前では母親のように振舞うのも、母親から捨てられたことが逆に家庭というものを過大評価する方向へと働いているのだ。

そもそも親と子の関係においては、誰もがわからないことだらけなのだろう。小春の父が言うように、自分の娘である小春のことはわからないけれど、それでも彼は父親であることは確かで、結局正解などわからぬままに親は子供を育てるものなのかもしれない。また、大悟の母親が語るように、子育ては成功したとしても決して褒められることもないにも関わらず、失敗した時は必ず親のせいにされるという理不尽なものと言えるのかもしれない。

(C)2021「哀愁しんでれら」製作委員会

子供は王様?

街で小さな子供をベビーカーに乗せた若い夫婦の姿などを見かけると、ベビーカーに乗ってふたりの親を従えている子供がまるで王様か何かのようにも感じられる時がある。

人間の赤ちゃんはほかの動物と比べると圧倒的に未成熟で生まれてくるとされる。たとえば子牛などは生まれてすぐに自力で立つことができるわけだが、人間の赤ちゃんは自分で栄養を摂取することもできずに、誰かの手を借りなければ生きていくことはできない。だから常に母親や父親が付き従う形になるわけで、そんな姿が王様と下僕のようにすら見えてくる時もある。

泣き声ひとつで親を動かし、自らの問題を解決してしまう。赤ちゃんにはそんな力がある。そして、そんな状態の赤ちゃんは全能感のようなものを抱くことがあるとのことで、それは「幼児的万能感」などとも言われるようだ。

もちろんそんな全能感は、どこかの時点で打ち砕かれる時がくるわけで、赤ちゃんは親からのしつけなどによって社会におけるルールを学んでいくことになるのだろう。そうしなければ多くの人の集まる社会においては生きていくことができなくなるからだ。

本作のヒカリは、幼くして母親を事故で亡くし、父親の大悟は厳しかった自分の母親を反面教師としているからヒカリには常に甘くなり、どこかで全能感を維持したまま成長してしまったのかもしれない。ヒカリは学校では同級生の渉くんの気を引こうとして様々なトラブルを起こすことになる(さらにそれは同級生殺害という疑念にまでつながっていく)。

小春としてはヒカリの嘘には気づいていても、継母としての気兼ねからか、それを本人や大悟にぶつけるまでには至らないのだが、ヒカリとの関係が悩みの種になっていく。また、優しい旦那様である大悟だが、その反面、人を見下すような態度があることも判明してくる。それは人間的に尊敬できるものではないわけで、小春の幸せな結婚生活は次第に雲行きがあやしくなってくるのだ。

(C)2021「哀愁しんでれら」製作委員会

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愛しすぎたことから生じた悲劇?

家庭における悲劇としては、子供への虐待を描いた映画は色々あって、たとえば『MOTHER マザー』のように子供を利用して犯罪に加担させたり、『万引き家族』のようにネグレクトによって家から放り出されるようなことも描かれている。弱者である子供への虐待はもしかしたらわかりやすい悲劇なのかもしれないのだが、本作はそれとは逆に子供を無条件に愛しすぎたことから生じた悲劇と言えるかもしれない。

『哀愁しんでれら』は冒頭の矢継ぎ早の転落とそこからの一気呵成の逆転など、かなりベタな展開をするわけで、後半になって転調してホラー的ものを感じさせるものの、ラストの悲劇すらもブラックコメディのようにすら感じられるかもしれない。とはいえ描かれていることは、子供の虐待とは正反対の悲劇ということになるのだろうと思う。

すでに上述したように小春は、母親の行為の反作用として、家庭というものを過大評価していて、それはほとんど呪縛のようになっている。さらに戻るべき場所を失ったことがそれを強化する。小春は一度ヒカリを叩いてしまい、大悟に「母親失格」という烙印を押され、実家に戻ろうとするものの、実家で見たのは大悟の尽力によって父親たちが不自由なく生活をしている姿だったのだ。

小春としては、たとえ大悟が尊敬できない旦那だったとしても、ヒカリが嘘つき(さらには人殺し)だったとしても、それを守ることが母親としての務めだと決意することになってしまうわけだ。

小春はちょっと古臭い人間なのかもしれない。冒頭のナレーションでは「女の子は漠然とした1つの恐怖を抱えている。私は幸せになれるのだろうか」などと語るのだが、それが結婚して家庭を築くことに直接結びつくのも古いだろうし、母親のように家庭以外のところに価値を見出している人間のこと受け入れることができないのも柔軟性に欠けるものだったのかもしれない。

ラストで小春にだけ示されるのは、「ヒカリが人殺しではないことをみんなが知っているよ」という手紙だったわけだが、これもなかなか皮肉な終わり方だった。小春はヒカリのことを疑っていたわけで、もしかしたらヒカリは同級生を殺しているんじゃないかとまで考えていたはずだ。しかし逆説的だけれど、ヒカリが信用できない娘だからこそ、母親である自分だけは信じなければという思いに駆られ、ヒカリを問い質す方向を閉ざしてしまったわけだ。かなり極端に戯画化されたラストだけれど、あり得ないことではないのかもしれないとも思えた。

(C)2021「哀愁しんでれら」製作委員会

その他のあれこれ

本作の渡部亮平監督の自主製作作品『かしこい狗は、吠えずに笑う』を、『哀愁しんでれら』の後に観たのだが、この作品は自主製作とは思えないほどとても完成度が高かった(『哀愁しんでれら』よりも出来がいいかも)。

『かしこい狗は、吠えずに笑う』でも、ナポレオンの言葉が引用されていたり、目が赤くなったり青くなったりするというギミックが使われている。『哀愁しんでれら』において、家族の肖像画の目が青く塗られているのも、渡部監督が何らかの意味を込めているものと思われる。その意味でも必見の作品と言えるかもしれない。

それから主演の土屋太鳳に関して。熱心に主演作を追っているわけではないのだが、2013年には土屋太鳳主演の『赤々煉恋』の完成披露試写会に参加し、その時の舞台挨拶でご本人を遠くから拝見した。

まだ全然名前も知られてない頃で、珍しい名前だからそれも話題になっていたように記憶している。舞台挨拶では共演した清水富美加(今の千眼美子)と一緒だったのだが、ふたりの会話のやり取りで、いい人ぶりが伝わってきたように感じた(清水富美加は別のほうへと行ってしまったわけだけれど)。

昨今では作品内の演技とかばかりではなく、私生活や普段の行動がその人を評価するものとなってきているようにも感じる。そして、そういう人物でなければ成功しないし、使いづらい世の中にもなっているのだろう。

そんな意味では、『赤々煉恋』は正直あまり褒められた作品ではなかったとしても、普段の人柄において評価されていたからこそ、土屋太鳳はあっという間にあちこちで顔を見かける人になったのかもしれない。とても優等生に見えるし、実際にそうなのだろう。

だから本作のようにダークサイドに堕ちていく役柄をやることには躊躇いがあったというのも理解できる。とはいえそんな役柄ばかりではやはりつまらないわけで、たまにはこんな役もいいんじゃないだろうか(最近のNetflix作品『今際の国のアリス』では、笑顔を封印して身体能力の高さを発揮したアクションを見せているのも印象的だった)。

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コロムビアミュージックエンタテインメント
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