『愛のように感じた』 戻りたくない青春時代

外国映画

『17歳の瞳に映る世界』などのエリザ・ヒットマンの長編デビュー作(2013年)。

原題は「It Felt Like Love」。

物語

あどけなさが残るライラ(ジーナ・ピエルサンティ)はまだ14歳。しかし、親友のキアラ(ジョヴァンナ・サリメニ)が新しい彼氏のパトリックといちゃつくのを見ていると、何だか妙な気持ちになってくる。キアラにはセックスの話も調子を合わせているけれど、ライラは実は何の経験もなく、そのために焦りもあるのだ。

そんな時、キアラの友達の大学生サミー(ローネン・ルービンシュタイン)が「誰とでも寝る男」だと聞き、ライラはサミーに興味を抱く。そして自分からサミーに近づいていくのだが……。

あらぬ性的妄想

ライラは冒頭なぜか白塗りの顔で登場する。海辺で塗った日焼け止めらしいのだが、まるで道化のようにも見えなくもない。この白塗りはラストのダンスシーンの仮面とも重ね合わせられているところからすると、ライラは自分の素顔あるいは本当の姿を隠したいと思っていたのかもしれない。だから経験豊富なキアラには虚勢を張って嘘をつくし、近所の年下少年には進んでいるお姉さんを演じてみたりする。

冒頭のシーンでは、その白塗りもあってライラの心情はあまり窺うことができない。物憂げな感じは受けるけれど、それ以上のものは読み取れないのだ。しかしそれに続くいくつかのシークエンスで、ライラの頭の中では様々な性的妄想が渦巻いているらしいことがわかってくるだろう。

(C)2013 IFLL MOVIE LLC

キアラからセックスの話を聞かされた夜にライラがしたことは、飼い犬を自分のベットに無理やり連れ込むことだった(これは犬に拒否される)。この時点でもライラが考えていることは疑問符のままとも思えたのだが、次のシークエンスで“ヤリチン”のサミーに積極的にアプローチするに至って、ライラの頭の中があらぬ性的妄想で溢れんばかりになっていることが明らかになる。飼い犬が自分の思い通りにならなくても、“ヤリチン”のサミーなら大丈夫と踏んだからなのだ。

ただ、ライラは素顔を隠していると思っているのかもしれないけれど、ほかから見たらそれは一目瞭然だったのかもしれない。サミーはライラに対して「俺に頼みでも?」と尋ねたりしているわけで、ライラの気持ちは筒抜けだったのだろう。もしかしたらサミーはその言葉でけん制したつもりだったのかもしれないけれど、ライラはさらに突き進んでいくことになる。

(C)2013 IFLL MOVIE LLC

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映像の切り取り方

サミーはドラッグをやったりしているし、あまり評判もよくない。経験豊富なキアラでも警戒するような男なのだ。それでもライラはサミーにつきまとい、パーティーや自宅に押しかけてイタい女を演じることになる。

酒を飲んでサミーの家で夜を明かしたライラをキアラが病院へと連れて行ったのは、ライラの嘘をキアラは素直に信じていたからで、ライラがやっていたことはそんな危なっかしい行為だったことは確かだろう。

日本でも先日から公開になったばかりの『17歳の瞳に映る世界』においても妊娠中絶が描かれていたが、ライラも一歩間違えばそんな憂き目に遭うことになったかもしれないのだ。

その意味でライラは何とも浅はかで周りが見えていない女の子だと言える。本作ではそんなライラの主観を映像の切り取り方で表現しているようにも感じられた。キアラとパトリックがたわむれる様子をライラが眺めるシーンでは、ふたりの姿が頭だけを除いたとして切り取られる。ライラが興味関心を持って見ているものが、肉体的なものだと示しているかのようでもある。それを「愛のように感じた」のだとしたら早とちりということなのだろう。

さらに特徴的だと感じたのは、シーンの全景を示さずに、登場人物のクローズアップからスタートさせるところ。たとえばライラがサミーとデートする場面では、ライラは何かに乗ってグルグルと回されるのだが、ライラが何に乗っているのかは最後までわからない。ほかにも遊園地の乗り物でも同じような撮り方をしていて、突然カメラが動きだしてようやく全景が示されてライラが遊園地にいることがわかることになる。こんなふうに近視眼的で全体を示すことがないのは、ライラが浅はかで周囲を見ることができていないことを示しているように感じられるのだ。

(C)2013 IFLL MOVIE LLC

幻滅のプロセス

監督のエリザ・ヒットマン『愛のように感じた』についてこんなふうに語っている。

本作で描きたかったのは、子供時代のアウトテイクです。そこにあるのは、孤独な瞬間、根拠のない自信の高まり、ささやかだけれど屈辱的な出来事といった、私たちの記憶の中に埋もれてしまいがちなものばかりです。私は、映画において「⻘春」のテーマが「幻滅のプロセス」として描かれることに常に魅了されてきました。この映画を観た人は、登場人物の行動に不快感を覚えるでしょう。しかし、その不快感こそ私たちが経験してきたことの真実です。この映画が、観客の心の奥底にある何かとつながることができれば嬉しいです。

アウトテイク”というのは、映画などで最終的にボツとなった部分のことを指す。つまりは本作で描かれるのは、子供時代の失敗のエピソードということになる。ライラが大人になってこの夏のことを思い出したとしたら、自分のイタさ加減に赤面し、そうした記憶を消し去りたいと思うのかもしれない。

ただ、映画において“アウトテイク”がまったくないということはあり得ないのと一緒で、われわれも若い頃に(あるいは未だにかもしれないが)何かしらの失敗をやらかしているはずだ。だからライラの行動はちょっと極端だったとしても、監督が語るところの「幻滅のプロセス」というのは理解できる気もする。

個人的にはたとえ若い頃に戻れるとしてもそれを望まないのは、そんな「幻滅のプロセス」を繰り返すのはキツいと思えるからだ。本作はそんな痛々しくて苦々しい青春を描いている。

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