『アフター・ザ・クエイク』 暴力はどこへ?

日本映画

原作は村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』

監督は井上剛。NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』でチーフ演出を務めていた人とのこと。

脚本は『ドライブ・マイ・カー』大江崇允

物語

1995年、妻が突然姿を消し、失意の中で釧路を訪れた小村は、UFOについての不思議な話を聞く。2011年、家出した少女・順子は、たき火が趣味の男との交流を通して自身を見つめていく。2020年、信仰深い母のもとで「神の子ども」として育てられた善也は、不在の父の存在に疑問を抱く。2025年、警備員の片桐は、漫画喫茶で暮らしながら東京でゴミ拾いを続けていた。そして、人々の悲しみや不幸を食べる“みみずくん”が再び地中でうごめきだした時、人類を救うべく“かえるくん”が帰ってくる。

『映画.com』より抜粋)

1995年の2つの出来事

原作は2000年に出版された村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』だ。この短編集は1995年の阪神・淡路大震災が大きく関わっている。

阪神・淡路大震災は当時から日本全体としても大きな出来事だった。この年の「10大ニュース」のトップがこの震災だった。当時は大きなビルが横倒しになったり、高速道路も倒壊している映像がニュースで放送され、地震の威力の凄まじさをまざまざと感じることとなった。

しかしながら、関西圏以外の人にとっては影響は少なく、言い方は悪いけれど他人事として済ますこともできなくはなかったのかもしれない。ただ、原作者の村上春樹は出身が兵庫県ということもあり、大きなショックを受けたものと思われる。

1995年には、震災に加えてさらにもうひとつ大きな事件があった。オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件だ。『神の子どもたちはみな踊る』という短編集は、1995年の2つの出来事からインスピレーションを受ける形で書かれたものなのだ。

この短編集の中では「UFOが釧路に降りる」には、阪神・淡路大震災がきっかけとなり、家を出ていってしまう女性が描かれているし、「神の子どもたちはみな踊る」では新興宗教が登場することになる。そもそもこれらの短編は、雑誌に「地震のあとで」という連作として発表されたものだったらしい。

ちなみにこの短編集の最後に収められている書き下ろしの「蜂蜜パイ」という作品は、ある小説家の話となっている。この小説家は「兵庫県西宮市出身」ということになっていて、原作者である村上春樹と同じだ。

村上春樹の小説は私小説とは異なるわけで、こんなふうに作者と主人公が似た設定の小説は珍しい気もする。「蜂蜜パイ」の主人公を自分と近しい設定にしているのも、村上春樹が阪神・淡路大震災から受けた衝撃というものを素直に表現したものであるということを示しているようにも感じられた(この短編自体は映像化されていないけれど)。

©2025 Chiaroscuro / NHK / NHKエンタープライズ

ドラマ版の再編集

チケットを買ってから知ったのだけれど、『アフター・ザ・クエイク』はNHKドラマで放送されたものを再編集したものらしい。このドラマは『神の子どもたちはみな踊る』の6つの短編の中から4つを映像化したものだ。ドラマ版のタイトルは『地震のあとで』で、4話のドラマシリーズとしてすでにNHKで放送していたらしい。

その時は1本あたり45分だったとのことで、4本合わせると180分になる。映画版の『アフター・ザ・クエイク』は132分ということで、だいぶ短くなっている。それでも一部は4つのエピソードをまとめるようなドラマ版にはないシーンも追加されているらしい。

映像化された4つのエピソードは、原作とは時代背景が異なっている。原作ではすべてのエピソードが1995年を背景としていたのだが、ドラマ版とそれを再編集した映画版は、1995年から始まるもののその後も30年に渡って続く話になっているのだ。

第1話の「UFOが釧路に降りる」は1995年を背景としていて、原作と同じように阪神・淡路大震災が起きることになる。第2話の「アイロンのある風景」の設定は2011年だ。2011年には東日本大震災が起きることになるけれど、劇中で描かれるのはその手前までで、「311」という数字が意味あり気に示されたりする。第3話の「神の子どもたちはみな踊る」は2020年だ。この年に新型コロナの流行が始まることになる。そして、第4話は「かえるくん、東京を救う」ということになるのだが、原作とは違ってその「続編」という形になっていて、現在時である2025年という設定になっている。

1995年から始まり、2025年という現在時まで、この30年間で日本に起きた大きな出来事を振り返るような構成になっているのだ。

©2025 Chiaroscuro / NHK / NHKエンタープライズ

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暴力はどこへ?

時代背景を変えているため、辻褄を合わせている部分は当然あるけれど、基本的には村上春樹の原作を忠実に映像化しているという印象だ。

一番原作のイメージにも合っていて違和感がなかったのは第2話だったけれど(鳴海唯堤真一も良かった)、個人的に面白かったのはお気に入りの橋本愛が登場する第1話で、橋本愛がUFOに向けて宙に手を上げるシーンは『美しい星』のようだった。

しかしながら、この第1話のキモの部分は映画版では損なわれているような気もした。原作でのこのエピソードは、主人公が一瞬だけ「圧倒的な暴力の瀬戸際に立っている」ことに気づくところが重要だと思えたのだが、映画版ではそのシーンで暴力というものをあまり感じさせないのだ。

第1話の主人公を演じたのは岡田将生だ。そして、脚本が大江崇允で、原作が村上春樹というわけで、どうしても『ドライブ・マイ・カー』を想起させる。岡田将生が突発的な暴力に駆られるという点でも両作は共通しているとも言える。しかしながら、なぜかその大事なシーンで岡田将生は暴力が向かうべき相手(唐田えりか)に驚かされてしまうというよくわからない演出になってる。

本作はそういうどす黒い部分を脱色したかったのだろうか。第3話のエピソードは新興宗教の話になっているものの、原作では主人公が母親に欲情しそうになっているという危なっかしい設定があったはずなのに、そういう部分は映画版ではほとんど省かれている(もしかしたらドラマ版にはあるのかもしれないけれど私は見ていない)。

©2025 Chiaroscuro / NHK / NHKエンタープライズ

第4話は原作とは異なるオリジナルであり、原作の「続編」とされる。原作では1995年にかえるくんが登場し、片桐という主人公とみみずくんと闘い、東京に起きるとされた大地震を未然に防ぐことになる。映画版では、その出来事がいつだったのかはわからないけれど、とにかくかつてかえるくんは一度東京を救い、2025年に再び東京の危機を救うために戻ってきたことになっている。

原作でもかえるくんは暗喩などではない現実的な存在だとされている。身長2メートルのカエルが実在したら怖いけれど、劇中ではその声を演じているのが“のん”だからか、かわいらしくも見えてくるかもしれない。

かえるくんは自分は実在だとか言いつつも、空っぽの白い箱(これは第1話にも出てくる)を出してきて難しいことを語り出したりするわけで、何らかの象徴といったものと戯れているような気もする。

メッセージとしては「未来はあなたの想像力次第でどんな風にも変えられる」ということらしいのだが、それが地震とどんな関わりがあるのだろうか。かえるくんは再び東京の地震を止めたのかもしれないけれど、結局、東日本大震災は起きている(第3話にそうしたエピソードがある)わけで、かえるくんが守るのは東京だけなのかというツッコミはあり得るだろう。総じて、村上春樹の映像化は厄介ということなのかもしれない。

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