『ワン・バトル・アフター・アナザー』 無限を追いかけて

外国映画

監督・脚本は『リコリス・ピザ』ポール・トーマス・アンダーソン

主演は『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』レオナルド・ディカプリオ

原題は「One Battle After Another」で、劇中の字幕では「戦闘に次ぐ戦闘」と訳されていた。

物語

最愛の娘と平凡ながらも冴えない日々を過ごす元革命家のボブ(ディカプリオ)。
突然、娘がさらわれ、生活が一変する。異常な執着心でボブを追い詰める変態軍人“ロックジョー”(ペン)。次から次へと襲いかかる刺客たちとの死闘の中、テンパりながらもボブに革命家時代の闘争心がよみがえっていく…。ボブのピンチに現れる謎の空手道場の“センセイ”(デル・トロ)の手を借りて、元革命家として逃げ続けた生活を捨て、戦いに身を投じたボブと娘の運命の先にあるのは、絶望か、希望か、それとも——

(公式サイトより抜粋)

アクション・エンターテイメント

前作の『リコリス・ピザ』は「軽くて、ファニーで、できるだけ早く完成させられるものをやりたい」という気持ちだったとかで、それまでのポール・トーマス・アンダーソン(以下、PTA)作品になかったような楽しい1本になっていた。

それまではジョニー・グリーンウッドの奏でる不協和音がマッチした『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』のような重厚な雰囲気の作品という印象も強かったので、意外な変化だったようにも感じられた。そんな意味では前作はひとつのターニングポイントだったのかもしれない。

今回の『ワン・バトル・アフター・アナザー』もあちこちで笑わせてくれるし、今までになかったアクションシーンも満載というエンターテインメント作品になっているのだ。

観る前には162分という長尺が心配だった。加えて本作がトマス・ピンチョンの小説からインスピレーションを得ているということで、同じピンチョン原作の『インヒアレント・ヴァイス』がまったくわからなかった者としては、また似たようなことになるかとも懸念してもいた。

ところが、フタを開けてみればタイトルの「戦闘に次ぐ戦闘」の通りに次々と主人公を危機が襲い、あっという間に終わった感もある162分だったのだ。

元革命戦士のボブを演じたディカプリオは、情けないダメ親父に成り切っている。かつての合言葉も忘れるほど耄碌気味で、延々と愚痴を垂れる姿が笑わせる。そんなボブをしつこく追い回すことになるショーン・ペンの変態っぷりも面白い(あの歩き方は何なのだろうか)。そして、ボブを助ける役柄のベニチオ・デル・トロも飄々としたいい味を出している。

アカデミー賞とかの賞レースを席巻するといった作品ではないかもしれないけれど、楽しめる作品だったことは間違いない。

©2025 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

追う者と追われる者

本作は2部構成のような形になっている。前半部は主人公の娘ウィラが誕生するまでで、後半はウィラが16歳くらいになってからということになる。

最初は「フレンチ75」という反政府勢力の活動から始まる。そこの幹部がペルフィディア(テヤナ・テイラー)で、彼女に指示されて爆弾を仕掛けることになるのが主人公のボブ(レオナルド・ディカプリオ)だ。二人は活動の中で惹かれ合い、つき合うようになる。

ところがそこに厄介な邪魔者が入ってくる。「フレンチ75」の主な活動は不法移民を強制収容している場所を襲撃し、彼らに自由を与えることだった。そこを守っていたロックジョー(ショーン・ペン)に対し、ペルフィディアは挑発行為を仕掛けることになる。ところがこのロックジョーは変態野郎で、その後はペルフィディアに対して執着し、彼女を追い回すようになり、これは後半にもつながっていく。

ペルフィディアは娘を産むことになるのだが、そうなると父親となったボブは革命のことなど忘れて娘の世話に夢中になる。しかし、母親ペルフィディアはそうではない。彼女にとっては家族よりも革命のほうが重要だったらしい。そして、ペルフィディアは二人のことを捨てて家を出ていってしまう。

それから時が経ち、ペルフィディアの娘ウィラ(チェイス・インフィニティ)は高校生となるのだが、ある理由からロックジョーはウィラのことを捜すことに必死になる。そうして16年の時を経て、再びロックジョーはウィラとボブのことを追い回す形になるのだ。

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政治的な話?

本作はいつの時代の話なのだろうか。スマホもあるから現代ということなのだけれど、「フレンチ75」のやっていることは古臭いようにも思える。不法移民の問題は第二次トランプ政権となった今では、世間の注目を浴びる話題となっているけれど、かといって「フレンチ75」のようなやり方が解決策になるとは誰も思わないだろう。

そういう意味では本作はそういう政治的な問題はあくまで背景であり、PTAがやりたかったのは家族の問題と追跡劇ということだったようにも思える。

本作はどちらかと言えば、自由を主張する左側の連中に同情的にも思えるけれど、「フレンチ75」のやっていることは滅茶苦茶だし、ペルフィディアも途中で仲間を売って国外へと逃げてしまう。お世辞にもカッコいい役ではないのだ。

ボブはなおさらそうだろう。彼は革命戦士を気取っていたけれど、娘ができるとたちまち宗旨変えしてしまうほどの日和見主義者なのだ。それからはほとんど被害妄想の強いダメ親父と化し、マリファナに溺れてラリってばかりの日々を送っているのだ。

右側の連中も同じように滑稽だ。ロックジョーが後半になって入れ込むことになる「クリスマス・アドベンチャラーズ・クラブ」という組織は、KKKの現代版みたいなものだろう。この組織はかなりマンガチックとも言える描き方になっていて、結局は左側も右側も茶化しているということなのかもしれない。

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斬新なカーチェイス

あまり見たことのない斬新なカーチェイスが本作のクライマックスだ。「丘の川(river of hills)」とか言われる場所らしい。いくつもの坂が延々と続く場所で、坂をうまく利用したのは『リコリス・ピザ』と同じだ。

坂道というのは先がどうなっているのかがまったく見えないような場所もある。東京の豊島区に「のぞき坂」という坂がある。この坂はWikipediaによれば「東京都内で自動車通行が可能な道路としては、傾斜・延長距離ともに最急の一つに数えられる坂」ということ。実は、新海誠はこの坂の風景が気に入ったのか、映画『天気の子』にもこの坂が出てきていた。

この坂が「のぞき坂」と呼ばれる所以ゆえんは、先がどうなっているのが見えないために、恐る恐る下をのぞき込むようなことになるからということらしい。私は自転車で「のぞき坂」を下ったことがあるけれど、坂を下る直前まで先がどうなっているのかまったく見えないために、崖に向って突っ込んでいくような怖さがある。もちろん下から上を見ても、坂の上に何が待っているのかはまったく見えるわけもない。

本作のアクションはそんな地形の特殊性をうまく活かしたものになっていて、このアイディアが見事にハマっていた。単に車3台が連なって走るだけなのだけれど、この地形の独特さが見たことのないようなラストを演出していて驚きだった。

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家族の物語

ラストは家族の物語になっていく。実はウィラの生物学上の父親はロックジョーだったことが明らかになるのだ。そのことを知るのはウィラだけで、ボブは何も知らずに彼女を迎えることになる。ウィラは恐らくロックジョーが父親であることをボブには知らせずに、今まで通りの関係を続けることになるのだろう。

PTAの作品では『ハードエイト』『ザ・マスター』などで、疑似親子関係のような師弟関係が描かれていた。一応、ボブもウィラの父親として、革命という闘いを生き延びる術を教えていた(ボブ自体は今回のウィラ救出には何の役目も果たしていないのだけれど)。その意味では、本作もPTAの考える家族の物語の系譜に連なる作品なのだろう。

全編でほとんどずっと鳴り響いていた本作のジョニー・グリーンウッドの音楽は、物語内容と違和感なく寄り添っていくようなものになっていた。ラストでかかる「アメリカン・ガール」のタイミングは、またもや完璧だった気がする。

新人のチェイス・インフィニティは空手着姿が凛々しい女の子なのだが、何より名前がカッコいい。「無限を追いかけて」みたいな意味合いを込めての名前だろうか?

 

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