監督・脚本は『かもめ食堂』などの荻上直子。
主演はKinKi Kidsのメンバーの堂本剛。今回はENDLICHERIとして音楽も担当している。
物語
美大卒だがアートで身を立てられず、人気現代美術家のアシスタントをしている男・沢田。
独立する気配もなければ、そんな気力さえも失って、言われたことを淡々とこなしている。
ある日、通勤途中に事故に遭い、腕の怪我が原因で職を失う。
部屋に帰ると床には蟻が1匹。その蟻に導かれるように描いた○(まる)が知らぬ間にSNSで拡散され、正体不明のアーティスト「さわだ」として一躍有名になる。
突然、誰もが知る存在となった「さわだ」だったが、段々と○にとらわれ始めていく…。
(公式サイトより抜粋)
諸行無常の響き
冒頭から主人公の沢田(堂本剛)は『平家物語』の冒頭部分を唱えている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」というヤツだ。これは琵琶法師が語り伝えたとされるもので、仏教的無常観が描かれているとされる。沢田はそれを念仏でも唱えるように繰り返し、隣人が奇声を発していてもあまり気にしてないように見える。
『まる』は沢田がある騒動に巻き込まれていく話だ。舞台は現代美術の世界で、沢田は人気現代美術家の秋元(吉田鋼太郎)のアシスタントとして働いている。秋元はアイデアだけは出すものの、あとの作業は時給の安いアシスタントの役割ということになっているらしい。
沢田は秋元の手足となって働く作業員というわけなのだが、沢田はそのことに疑問を抱いているようには見えない。ところがたまたま自転車で事故ってしまい、利き腕を使えなくなり、あっさりと仕事をクビになってしまったことで転機が訪れる。
部屋の中に迷い込んできた蟻と戯れるように、沢田は何となく○を描くことになる。その○を古道具屋(片桐はいり)に預けたところ、いつの間にかに○が評判を呼ぶことになり、「さわだ」という名前は正体不明のアーティストとして美術界に知れ渡ることになるのだ。

©2024 Asmik Ace, Inc.
世間のプレッシャー
公式サイトの「物語」にもあるように、沢田は「言われたことを淡々とこなしている」。この公式サイトの「物語」の記載からすると、沢田はかつてはアーティストとしての成功を求めて頑張っていたけれど、今では諦めてしまいアシスタントとしての仕事をするだけになっているという意味合いが込められているようにも感じる。しかし本当にそうなのだろうか?
沢田には絵を描きたいという思いはもちろんある。しかし、それは功名心とは別のもので、彼は誰にも知られていない法隆寺の大工にシンパシーを抱いているように、絵を描くという行為そのもので満たされていたのかもしれない。ただ、世間はそうじゃない。沢田は「今のままでいい」と考えていたとしても、周りは「それで本当にいいのか?」と迫ってくるのだ。
沢田と同じく秋元の下で働いている矢島(吉岡里帆)は、沢田を見ると辛いのだと言う。沢田のような人は搾取されていることに気が付いていないというのだ。矢島は今のままではいけないと感じ、社会を変えるためにしなければならないことがあると考える革命家のようなタイプなのだ。
また、隣人の漫画家の横山(綾野剛)は成功に飢えている。その漫画はなかなかの腕前なのだが、それだけで成功が得られるわけではないということなのか、未だに鳴かず飛ばずの状態でそれに苛ついている。横山は成功しなければ意味がないと考えているのだ。
横山は沢田に「二割の蟻」という話を聞かせる。働き蟻はみんな働いているようで、実は二割は働いてないのだとか。面白いことには、この働き蟻の働いてる側の八割だけを別の巣に移すと、やはりその中の二割は働かなくなるのだという。働き蟻とはいえ、そんなふうに常に二割の働かない蟻がいることになるのだ。
動物行動学とかの本にも書かれている有名な話だが、横山はそれを変なふうに解釈している。本来、この話は働かない二割の蟻というものも、何らかの必要があってそうしているという結論になる。「二割の蟻」も決して無駄ではないというところにこの話の興味深い点があるわけだが、横山はそれをなぜか「二割の蟻」には絶対になりたくないと捉えているのだ。
横山という人は傍若無人に振舞っているところがあるけれど、実は人からどう見られるかということに敏感だ。横山が「二割の蟻」の話を役立たずを戒める話みたいに捉えているのも、役立たずというものに対する世間の風当たりがそれだけ強いということだろう。
こんなふうに矢島の感じている「社会を変えなければ」とか、横山が感じている「役立たずはクズだ」といったプレッシャーは世間一般を広く覆っている。これをかなり大雑把にまとめれば、世間は「頑張れ」と叱咤激励しているということになるのかもしれない。

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自分を見失う沢田
沢田は単なる作業員でも満足していたのかもしれないが、世間はそうは思わない。矢島も横山もどこか超然としているように見える沢田に、自分たちの考えを押し付けようとしてくるのだ。それでも沢田はしっかりとした自己を持っていて、矢島や横山からの揺さぶりくらいではビクともしないのだが、仕事をクビになりコンビニでアルバイトをして生計を立てている身となると、金の話にはグラっとくることになる。
見ず知らずのアートディーラー(早乙女太一)がやってきて、○に対して1枚100万円までなら出すなどと言われると沢田としても騒動に巻き込まれざるを得なくなるのだ。
沢田は蟻の導きによって◯を描いた。今度は意図してそれを描こうとするとうまくいかない。沢田が無意識に描いた○は、仏教では「円相」とか「円相図」とも呼ばれる。これは「悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したもの」とか言われるものだ。
◯の中には「無」があるなどとも説明されていたけれど、沢田が意図して描いた◯の中には「欲望」が垣間見えてしまうらしい。そうなると何をどう描いたらいいのかもわからなくなってくる。沢田はそれまでは『平家物語』をつぶやきながら平然としていられたのに、夜も眠れないような状態になってしまうのだ。
結局、沢田がそうした苦しみから解放されることになるのは、金を払ってくれるアートディレクターやギャラリーの経営者(小林聡美)の価値観に従わないと宣言するために、自分が描いた絵そのものに拳で穴をぶち開けることだった。
皮肉なのはその絵がさらに評判になってしまうことではあるのだが、沢田はそんな騒ぎとは距離をとることを学び、元のような生活に戻ったということなのだろう。

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「頑張れ」に異を唱える
本作の主演の堂本剛は、単独の主演作としては1997年の『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来ということ。荻上直子監督はそんな堂本剛に本作を当て書きしたらしい。堂本剛の飄々としてテンションの低い感じが本作の味になっている。
面白いのは荻上監督が彼を主演に抜擢した理由だ。テレビで堂本剛を見て、「自分よりももっとツラそうな人がいる」と感じたかららしい。堂本剛のWikipediaを見ると、確かにそういう時期もあったようだ。本作において荻上監督が意図したのは、ツラい人でももっと楽に生きられるようになる方法を描くことだろうか。辛そうにしていた堂本剛にも楽になって欲しかったということなのかもしれない。
そして、その楽に生きられる方法論というものが、荻上監督が考える「仏教」の教えということになる。これは先ほど記した世間からの「頑張れ」という叱咤激励に異を唱えるものになっているのだ。
「先生」と呼ばれている人物(柄本明)が茶室で教えてくれたことは、円相の別の見方だ。先生は仏教の悟りを象徴的に描いたとされる円相の◯を饅頭に見立てて、「これ食うて茶飲め」と世間が考える小難しい円相の解釈をズラしてみせるのだ。先生は「分からないならジタバタすればいい」とも語るけれど、世間が押し付けてくるような「頑張れ」というプレッシャーとは微妙にズレてくるものだろう。
さらにバイト先の同僚モー(森崎ウィン)は、仏教国ミャンマー出身で日本では差別されたりしながらも、祖国で学んだらしき「福徳円満、円満具足」という言葉を大事にして生きている。
この「福徳円満」、「円満具足」という言葉を辞書で調べると、それぞれ「幸福と財産に恵まれ、精神的・物質的ともに満たされている様子」、「すべてが十分に満ち足りていて、何の不足もないこと」となる。
コンビニでバイトをしている外国人が十分に満ち足りていることなどあり得ないとは言わないけれど、多分、滅多にいないだろう。それを証拠にモーはその後に「そう思わないとやってられない」と付け足している。それでもモーはポジティブで、「福徳円満、円満具足」と唱えることで、何とかやり過ごすことができるのだ。
ちなみにモーを演じた森崎ウィンは、この言葉を「自分の現状に満足することを促す言葉と捉え」たとインタビューで語っている。これは現状を肯定してしまう考え方ではあるけれど、先ほども記したように「頑張れ」というプレッシャーが蔓延している世間においては、そうした流れに棹さす言葉としては有効なものになるんじゃないだろうか。
もちろん「頑張れ」に対して「頑張るな」と言うわけではないけれど、「頑張らなくてもいいんじゃないの?」とちょっとだけ世間のプレッシャーに抗うことになるのだ。沢田は最初から横山の「成功しなければ」という考えに異を唱えていた。そんな意味で沢田は最初から最後まで変わっていない。
ただ、○の騒動に巻き込まれ、一度はそうした世間的な流れに乗ることになり、調子を狂わせる。そこから沢田は再び自分を見つめ直し、元と同じようなところへと戻ってきたということなのだろう。しかしながら混乱を経ているだけに、より一層堅固な「何か」を掴みとって元に戻ってきたのだろう。沢田は以前よりもちょっと楽に生きられるようになったんじゃないだろうか。
どうにも息が合いそうにない沢田と横山との居酒屋での長回しが、綾野剛の壊れっぷりもあって面白かった。横山としても沢田に「成功しなくてもいいじゃないか」と言ってもらえたことが救いになったのだろうし、だからこそ騒動後の沢田に壁の穴の向こう側から優しい言葉をかけられるほどの落ち着きを取り戻したのだろう。横山も少しは楽に生きられるようになるのかもしれない。
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