監督は『恋は光』などの小林啓一。
脚本は『辻占恋慕』などの大野大輔。
主演は櫻坂46のメンバーである藤吉夏鈴。映画初出演ながらも主演という大抜擢。
物語
文学少女の所結衣(藤吉夏鈴)は憧れの作家“緑町このは”が在籍するといわれている名門・私立櫻葉学園高校に入学。
しかし、文芸コンクールを連覇するエリート集団の文芸部には入ることができなかった。
落ち込む結衣に文芸部の部長・西園寺茉莉(久間田琳加)が、正体不明の作家“このは”を見つけ出せば入部を許可するという条件を提示。結衣は、“このは”のインタビュー実績がある学園非公認の新聞部に潜入し、部長のかさね(髙石あかり)と副部長の春菜(中井友望)のもとで新米記者“トロッ子”として活動することになる。
教師たちの不祥事に切り込む新聞部を快く思わない学園の理事長・沼原(髙嶋政宏)に理不尽な圧力をかけられ、新聞部は窮地に立たされてしまう。しかし、結衣は一念発起し元文芸部の松山秋(綱啓永)らと協力して理事長、そして学園の闇に切り込んでいくのだった。
(公式サイトより抜粋)
日大騒動の副産物
公式サイトによれば、「当時、日本大学藝術学部・映画学科に在籍中だった宮川彰太郎が授業の課題で書いた、母校の不祥事に端を発した熱量溢れる原案がプロデューサーたちの心を動かし、まさかの映画化!」ということらしい。
そもそもこの宮川彰太郎という人物が何者なのかすら知らないのだが、『ふれる』という作品で助監督をしているとのことで、これから出てくる人なのだろう。そのくらいの情報しかないので日大の不祥事と言っても何のことかもわからないのだけれど、日大は色々とほかにも不祥事があったわけで学生たちが憤慨することも「宜なるかな」ということなのかもしれない。
『新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる!』は、日大が舞台となっているわけではないけれど、腹黒い大人たちが私腹を肥やすために学校を私物化しているような現状に対し、学生たちが半旗を翻すという、なかなか痛快な青春映画になっている。
日大と日藝の違い?
原案は日本大学藝術学部・映画学科の学生が書いたものということだが、日藝の人というのは日大の学生というよりも、“日藝”という意識が強そうに思える。数少ない自分の日藝の知人の様子からそんなふうに感じていたのだが、実際にwikipediaにも似たようなことが記載されているのであながち間違いではないのだろう。藝術学部にいるという意識は、日大は日大でもほかの学部とは違うという、ちょっとした選民意識みたいなものもあるのかもしれない。
『新米記者トロッ子』でも、そのあたりが受け継がれているっぽい。舞台となる私立櫻葉学園高校では、文芸部がエリートコースとして位置づけられている。櫻葉学園は文芸コンクールを連覇しているというのが一番の“売り”になっているのだ。
主人公である所結衣(藤吉夏鈴)も、櫻葉学園というよりはその文芸部に入りたかったのだ。結衣にとっては文芸部だけが特別の意味を持っていたのだが、あるトラブルによってその試験をマトモに受けることができずに文芸部に入れなくなってしまう。
ところが文芸部の部長・西園寺茉莉(久間田琳加)が、ある条件を提示してくる。“緑町このは”という正体不明の作家を見つけ出せば、入部を許可するというのだ。結衣はもともと“このは”に憧れて文芸部に入りたかったのだが、実は“このは”は文芸部の所属ではないのだという。そこで結衣は“このは”とのインタビューに成功した実績のある新聞部に潜り込み、部長のかさね(髙石あかり)と副部長の春菜(中井友望)たちと活動を共にすることになる。
ちなみにタイトルの「トロッコ=トロッ子」というのは、新聞業界用語で「新人記者」のことを指すらしい。「まだ記者(汽車)として一人前でない」、つまりは「トロッコ」程度でしかないといった意味合いということになる。
文学は果たして有効か?
学園ものとはいえ、櫻葉学園というのはかなり変わっている。普通のスクールカーストからすれば、頂点は体育会系ということになるだろう。ところが櫻葉学園では文芸部というのがみんなの羨望の的になっているのだ。
それだけでもあまり普通ではないのだが、その文芸部に所属するお嬢様たち、特に西園寺というキャラは「ごきげんよう」などと挨拶を交わす、マンガの世界から現れたようなキャラになっている。結衣はそんな西園寺のことを「お姉さま」と慕うようになる。そして、表向きは新聞部の部員として活動しつつも、文芸部に入るための“緑町このは”捜しを進めていくことになるのだが……。
そもそも今の時代に文学が果たして有効なのかということもあるのかもしれない。柄谷行人はどこかで「近代文学の終わり」とか言っていたはずだ。エンタメとしての文学が消えてしまうわけではないけれど、かつてのそれとは違ったものとして存続していくということだったんじゃないか。ところが、本作の世界においては文学というものが素朴に信じられているようにも見える。そのあたりもちょっと不思議な世界になっている。
文芸部は学園の顔であるのに対し、新聞部は学園から活動を認められていない。つまりは新聞部は部長のかさねが勝手にやっているだけのものとも言える。かさねが何をしたいのかと言えば、欺瞞に満ちた学園内部に真実をもたらそうということなのかもしれない。そんな調子だから新聞部は学園からは目の敵にされることになる。
本作は赤いスカーフをした文芸部と青いスカーフの新聞部の闘いということになっていき、文芸部のバックには理事長・沼原(髙嶋政宏)の姿が見えてくることになる。それぞれの部員がスパイ活動みたいなことを繰り広げていくことになるのだが……。
魅力的な若い役者陣
本作はオリジナル脚本で世の中に蔓延る不正を糾弾するというわけで、なかなか威勢がいい話になっている。とはいえ、小林啓一監督の前作『恋は光』や、前々作『殺さない彼と死なない彼女』あたりと比べてしまうと弾けきれてなかったという気もしてしまう(それだけ前作、前々作がよかったということでもあるけれど)。
それでも若くて役者たちが勢揃いしているところは、それだけでも観るべきものがあるとは言えるかもしれない。特によかったのは学生同士での争いとなっていたものが、最後には一致団結するようになっていくあたりだろうか。
観客の視点でもある結衣は駆け出しとして一生懸命に目標に向かって邁進することになるからわかりやすいが、ほかのキャラは結衣や観客にはわからない隠密行動をしている部分もあり、謎めいて見える時もある。
しかしながら、最後には学園の汚い部分はすべて理事長役の髙嶋政宏が一手に引き受けてくれるのだ。その髙嶋政宏が悪役として汚れれば汚れるほど、敵味方に分かれて闘っていた学生たちは突如として浄化されたようにも感じられ、学生たちが魅力的に映るようになっていたのだ。そんなわけでラストはスッキリとして後味は悪くない。
主役の藤吉夏鈴は欅坂46のセンターも務める人気者らしく涼しげな顔立ちが魅力的だったし、西園寺を演じた久間田琳加もお嬢様キャラが似合っていた。それでも一番美味しい役柄だったのは髙石あかりで、新聞部の部長かさねであり実は“緑町このは”でもあったというスーパーガールということになる。
そんな“かさね=このは”は、何でもこなしてしまう能力を持っているけれど、文学には興味がなさそうで、最終的には結衣もジャーナリズムのほうを選択することになる。やはり今では文学はあまり有効ではないということになるのだろうか?
ほとんど初めて見る若者たちの中で髙石あかりはすでに『ベイビーわるきゅーれ』などでの経験もあるからか、存在感が別格という印象で、頭一つ抜けて見えた。その『ベイビーわるきゅーれ』は第3作の公開も控えているし、さらにはテレビシリーズも始まるということで、髙石あかりはさらに活躍の場を広げそうだ。
最後に映画とは別の話。本作の中盤でやや中弛みといった時間帯に、スクリーンの中に自分の知っている顔を突然見つけて、つい身を乗り出すほど驚いた。そのキャラは結構目立つ脇役で、なぜ彼がその役をやることになったのかは知らないけれど、「ああ、映画業界で頑張ってるんだな」とわかって、他人事ながら嬉しかった。
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