原作は『朝が来る』などの辻村深月の同名小説。
監督はショートフィルム『ワンナイトのあとに』の山元環。本作は長編第1作とのこと。
主演は『ブルーピリオド』などの桜田ひより。
物語
2020年、コロナ禍で青春期を奪われた高校生たち。
茨城の亜紗は、失われた夏を取り戻すため、〈スターキャッチコンテスト〉開催を決意する。
東京では孤独な中学生・真宙が、同級生の天音に巻き込まれその大会に関わることに。
長崎・五島では実家の観光業に苦悩する円華が、新たな出会いを通じて空を見上げる。
手作り望遠鏡で星を探す全国の学生たちが、オンライン上で画面越しに繋がり、夜空に交差した彼らの思いは、奇跡の光景をキャッチする――。
(公式サイトより抜粋)
コロナ禍の青春
新型コロナ禍が収束してしばらく経ち、その真っ只中だった時期のことを改めて振り返るような作品が登場してくるようになってきた。
ちょっと前の『フロントライン』は、その初期に起きた大きな出来事を描いていた。船内で新型コロナの感染者が確認されたダイヤモンドプリンセス号が横浜港に入港して話題となったのは、2020年2月の始めだった。そして、WHOが新型コロナの収束というものを宣言したのが、2023年5月だったらしい。3年以上の月日を、われわれは新型コロナ禍のもとで過ごすことを余儀なくされたということになる。
3年は長い。中学や高校に入学した新入生は、まるまるコロナ禍の中で学生生活を過ごすことになったということだ。社会人になって以降の3年とはまったく異なる時期だけに、その大切な時間に不自由な生活を強いられることになった若者たちはどんな気持ちだったのか。本作は、そんな若者たちの姿を描いていく。
コロナ禍では感染拡大防止のためマスクの着用が義務のようになり、移動も制限され、学校は休校になり友達と会うことも難しくなった。それまでとは生活は一変し、不自由なことも多かったわけだが、本作にはそんな中でも前向きに生きる若者たちの姿がある。
先生のひとりが「失われたとか、奪われたとかいう言葉を使いたくない」と語るように、できないことよりも「何ならできるか?」という意識に貫かれている。そんな前向きなところが本作を心地よい作品にしている。
主人公と言える亜紗(桜田ひより)には明確な夢がある。彼女は夢を持って高校の天文部に入り、そこで同士のような同級生凛久(水沢林太郎)に出会う。亜紗は、宇宙飛行士として活躍している花井うみか(堀田茜)に憧れていて、彼女に追いつき追い越すことを目標にしている。凛久の場合は、ナスミス式望遠鏡を作ることが目標だ(なぜこの形式の望遠鏡なのかはのちに明らかに)。
二人は初めての出会いで互いの夢を認め合い、何も言わずに固い握手を交わす。その後の二人の高校生活は、コロナ禍によって「前途多難」とも言えるけれど、明確な目標を持った二人だったからこそ、それを乗り越えられたのかもしれない。

©2025「この夏の星を見る」製作委員会
スターキャッチコンテスト
『この夏の星を見る』において、ひとつのクライマックスとなっているのが〈スターキャッチコンテスト〉だ。自分たちの手作り望遠鏡で夜空の中から特定の星を見つけ、それにしっかりピントを合わせる(導入という言い方をされている)速さを競うというものだ。
通常ならばひとつの場所にみんなが集まってコンテストをやるのだろう。しかしながらコロナ禍に多くの人が集まることは憚られたわけで、それをオンラインでやってしまおうというのが亜紗のアイディアだ。ひとつの場所には集まれなくても、それぞれの場所は星空を通してつながっているわけでそんなことも可能になるのだ。
茨城に住む亜紗が発案者で、東京からは中学生の真宙(黒川想矢)たちが参加し、長崎の五島列島からも円華(中野有紗)たちが賛同の手を挙げる。

©2025「この夏の星を見る」製作委員会
東京の景色はよく見る風景だったけれど、茨城の風景は『リリイ・シュシュのすべて』を意識していたらしい。確かにだだっ広い空間に広がる緑と、鉄塔が見えるあたりは『リリイ・シュシュ』を思わせるところがある。そして、五島列島は風光明媚な海沿いの風景を見せてくれるし、その星空はほかの場所と比べても断然輝いて見えた。
そんな星空も印象的だったけれど、スターキャッチの夜のシーンも忘れがたい。ちなみに、スターキャッチの場面は、「day for night」という技法で撮られたのだとか(この技法は「アメリカの夜」とも言われていて、トリュフォーの映画のタイトルにもなっている)。日中に太陽の光のあるところで撮影し、それを撮影後に調整して夜のように見せているのだ。
通常、夜のシーンは人やその顔も暗闇に沈んでよく見えないことがあるけれど、本作のスターキャッチの場面は全体的にグレーの色調で、暗いけれど人物像がハッキリしているような気がしたのは、この撮影技法のおかげだろうか?
スターキャッチはチーム同士での闘いでもあり、これまでの星空に関する知識と、正確にターゲットを狙う技術が試される場となっている。天文部というと地味に思えるけれど、このシーンは競争だけにスポ根的に盛り上がりを見せることになる。

©2025「この夏の星を見る」製作委員会
瞳と瞳の呼応
本作は、たとえば今ではちょっと異様に思えなくもない“黙食”の風景など、コロナ禍の「あるある」ネタが色々盛り込まれている。
長崎・五島列島の円華は実家が観光業だけに、外部から来た人に接する機会も多く、一部では非難されることになる。まるでコロナウイルスを島を持ち込ませる要因になっているかのように、差別的な目線を浴びせられることになるのだ。そして、そのことは円華と幼馴染の小春(早瀬憩)の関係にまでヒビを入れることになってしまう。
多分、こうしたことはあちこちで起きていたのだろう。この時期はステイホームということが推奨され、県をまたいで移動することなどは嫌がられた。そして、田舎では珍しい人がいれば目立つからすぐわかるわけで、帰省することも諦めざるを得なかったということは多くの人が経験したことだろう。

©2025「この夏の星を見る」製作委員会
コロナ禍ではマスクの着用は半ば義務と化していた。本作の登場人物もきちんとマスクをしている。円華のマスクは親が作った手作りなのかもしれない。茨城の先生は、洗ってボロボロになったアベノマスクを愛用している。そんなわけで登場人物の顔はマスクでふさがれ、その表情の機微を見分けることは難しい。
東京の真宙は、スターキャッチの最中にミスをしてしまう。真宙は、それに対する天音(星乃あんな)の反応が気になっていたようだ。天音は彼を安心させるべく、素敵な笑顔を見せてくれることになるのだが、そのためにわざわざマスクを外さなければならなかったのだ。
そんなふうにマスクの着用は登場人物の表情が見えづらくなるわけで、映画としてはなかなか厄介な障害となるだろう。マスクをしている時に見えるのは、ほとんど瞳くらいになってしまうからだ。ただ、本作はその不利な条件も上手く利用していたのかもしれない。
冒頭、瞳の極端なアップから始まる。あまりに接近しすぎていて誰の瞳かはよくわからないのだが、多分、亜紗のそれだったのだろう。その視線の先には、講演中の宇宙飛行士の花井うみかがいる。亜紗の瞳と、花井うみかの瞳と連なる形で編集されていて、花井うみかの呼びかけに亜紗が応じているようにも見えるのだ。
本作の描写はあまり説明的ではない。たとえば亜紗と凛久の握手も唐突に描かれるけれど、その間の二人のわずかなやり取りで何となく観客にも通じるものがあるからこそ、妙に印象に残る瞬間になっているのだろう。
ラストではある種の奇跡が描かれている。まるで亜紗の願いが聞き届けられたかのように、超自然的存在の働きが感じられる演出もあった。これがあまり不自然なものに感じられなかったのは、観客もそんな奇跡を思わず願ってしまうほど、映画の中の若者たちに感情移入していたからなんじゃないだろうか。
本作は基本的には群像劇であり、多くの若くて新鮮な役者陣が顔を出しているのも見どころだ。それを長編第1作という若い山元環監督がうまくまとめあげていて、とてもエネルギッシュで魅力的な作品になっていたんじゃないだろうか。





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