監督・脚本は『ナミビアの砂漠』の山中瑶子。
『あみこ』は2017年製作の山中瑶子監督の初監督作品。第39回ぴあフィルムフェスティバルでは観客賞を受賞した。
今回はポレポレ東中野のリバイバル上映にて鑑賞。残念ながら東京での上映は終了しているけれど、今度は大阪でもやるらしい。
物語
「どうせ死ぬんだから頑張っても意味がない」という考えを持つ女子高生あみこが、同じようなニヒリストだがサッカー部の人気者のアオミくんに恋をする。一生忘れられない魂の時間を共有した2人は、運命共同体になるはずだったが……。
(『映画.com』より抜粋)
「どうせ死ぬんだから」
山中瑤子監督は日本大学芸術学部の映画学科に進学したものの中退してしまったようで、スタッフ・キャストをSNSで探すなどして、独力でデビュー作『あみこ』を製作したらしい。映画の技術を学ぶよりも、自分だけで好き勝手にやりたいということだったのだろうか。そのあたりの事情はわからないけれど、当時はまだ20歳そこそこという年齢だったとのことで、とにかく若さで無理やり押し切ってしまうような作品だった。
あみこ(春原愛良)は「どうせ死ぬんだから」といったことを、アオミくん(大下ヒロト)に自然な調子で話す。多分、あみこも普段からそんなことを誰彼ともなく言うわけではないのだろう。それでもアオミくんは魂の運命共同体になる人だと思い込んでいたわけで、だからつい口が滑ったのかもしれない。アオミくんならわかってくれるという意識もあったかもしれない。
この「どうせ死ぬんだから」という意識は、山中瑶子監督のオブセッション(強迫観念)みたいなものなのかもしれない。『ナミビアの砂漠』でも似たような台詞が出てきていたからだ。主人公カナの隣人として印象的に唐田えりかが顔を出すのだが、その唐田がカナに言う台詞だ。唐田は「100年後にはみんな死んでるんだから」と、あみこと同じようなことを語る。
『あみこ』の主人公と『ナミビア』のカナは、どちらも山中監督の分身なのかもしれない。ただ、『あみこ』と『ナミビア』では違いもある。『ナミビア』の場合、例のシーンの隣人・唐田はカナが思い描いた幻想だ。つまりはカナは誰かにそんなふうに言って欲しかったということになる。
自分でそんなことを言うほど若くはないけれど、誰かがそれを言ってくれれば留飲が下がるということだろうか。そんな意味ではカナは大人なのだ。一方であみこは自分の感じていることをストレートに言ってしまうというわけで、それは若さがあればこそなのだ。
カナはあみこの成長した姿に見えなくもない。この二作品のチラシでは、『ナミビア』のカナは冷めた表情をしているのに対し、あみこは世間を敵視した睨むような目をしている。あみこの怒りをうまく隠せるようになると、カナの冷めた目になるのだ。逆に言えば、あみこは素の部分が丸見えで、真っ直ぐということになる。
私は先ほどは「どうせ死ぬんだから」という意識をオブセッションと言ったけれど、実際にはこのこと自体は紛れもない事実とも言える。今まで死ななかった人はいないわけだし、今後も当分は変わらないはずなのだから。それでも普通はそんなことは言わないことになっている。それを言わないと気が済まないのがあみこであり、若さなのだ。

山中瑶子監督のデビュー作『あみこ』
あみこという奇妙な生き物
あみこはブスだ(演じている春原愛良は岸井ゆきのっぽいかわいらしさがあるけれど)。友人を相手に大衆文化の女どもを腐す口の悪さもブスなところだろうし、自分だけは特別だと思い込んでいるところもイタい部分だろう。スパゲッティの食べ方の品のなさにはドン引きさせられるし、なぜか風呂の中で大量のレモンを丸かじりするという奇行もあり、奇妙な生き物に見えなくもない。
そんなあみこが恋をしてしまうのが本作だ。あみこは冒頭「アオミくんがいない」とつぶやいてぶっ倒れる。それからアオミくんとのエピソードが描かれるわけだが、あみこはアオミくんにずっと片想いしていたとか付き合っていたとかではない。
たった一度だけ、あみこはアオミくんと部活の終わりに山に登って、山の上から街の明かりを見ただけだ。それでもあみこはその出来事が忘れられないことになる。長野の田舎でレディオ・ヘッドなんかを聴いている人はいないと思っていたのに、アオミくんはそれを知っている。そんなことだけで、彼のことを魂の会話ができるパートナーだと信じ込んでしまうのだ。
ところがアオミくんとの関係はそれだけで何も進まない。彼はサッカー部の練習で忙しく、あみこは帰宅部で、なぜアオミくんが急に変わってしまったのかといった思いに悶々とすることになる。さらにアオミくんは家出して別の女と一緒に東京へ行ってしまったらしい。あみこはそれを知り東京へと乗り込むことになるのだが……。

山中瑶子監督のデビュー作『あみこ』
支離滅裂な爽快さ
『あみこ』は二部構成のような形になっている。前半は長野が舞台で、あみことアオミくんのたった一度のデートが描かれる。その後、アオミくんは学生生活を放り出して東京へと出奔し、後半ではあみこはアオミくんを追って東京へと向かうことになる。この東京編の壊れっぷりがおもしろい。
あみこというキャラクターの姿を描くことだけでなく、山中監督が自分の好きな映画と同じことをやってみたいというのが前面に出て、唐突にわけのわからないシーンが入り込んでくる支離滅裂な部分があるからだ。若さゆえの勢いということなのだろう。
『狩人の夜』と同じように指に「PURE」という文字を入れるあみこは、自分のことを「PURE」と規定している。池袋の街で「みんな嘘つきだ」とか大声を上げている男がいると、みんながそれを避けて通る中、あみこだけはそのヤバい男の奇行に付き合うことになる。男はみんな嘘つきだから「死んでしまえ」とは言ってなかったかもしれないけれど、世界を敵視しているという点であみこはこのヤバい男に共感しているのだ。
奇妙なのは『シンプルメン』のそれを思わせるダンスのシーンだ。唐突に「日本人は自然に身体が動き出したりしない」とか注釈を入れつつ、ダンスのシーンが始まるのだ。嘘は許せないとか言いつつも、嘘のダンスが描かれてしまうわけで矛盾しているだろう。矛盾していたとしても山中監督としてはダンスシーンをやりたかったということなのだろう。あみこが後先考えずにアオミくんに突進していったように、山中監督も勢いでやり切った感があって、とても爽快な作品になっていたと思う。
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