原作はエイミー・リプトロットの回想録『THE OUTRUN』。この本は世界各国で翻訳され、ベストセラーになったらしい。
監督は『システム・クラッシャー』のノラ・フィングシャイト。
主演は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のシアーシャ・ローナン。
物語
ロンドンの大学院で生物学を学んでいた29歳のロナ(シアーシャ・ローナン)は10年ぶりにスコットランド・オークニー諸島の故郷へと帰ってくる。かつて大都会の喧騒の中で、自分を見失い、お酒に逃げる日々を送っていた彼女は、ようやくその習慣から抜け出した。
しらふの状態で、心を新たに生きるロナ。だが、恋人との関係に亀裂を生み、数々のトラブルも引き起こした記憶の断片が、彼女を悩ませつづける……。
冷たい海と荒れ狂う風の中、逃れたい過去を抱きしめ、鮮やかな明日に手を伸ばす──“わたし”に還る、はじまりの歌。
(公式サイトより抜粋)
アルコール依存症者の回想録
原作は世界各国の言葉に翻訳されたベストセラーらしい。日本では翻訳はされていないようだが、原作者のエイミー・リプトロットという人は誰でも名前を知っている著名人ということもなさそうだし、なぜベストセラーになったのだろうか?
原作本『THE OUTRUN』は、アルコール依存症になってしまった女性の回想録だ。もしかするとアルコール依存症の人は結構多くて、各国でベストセラーになるほど興味を抱く人が多いということなのだろうか?
ちなみに本作で主演を務め、加えて初めてプロデューサーの仕事までこなしているシアーシャ・ローナン自身も、アルコール依存症に苦しんだ時期があるらしい。公式サイトのインタビュー映像の中で彼女自身がそんなふうに語っている。若くして成功を収めることになったシアーシャ・ローナンだけに、プレッシャーなどは半端なかったということなのかもしれない。
彼女が本作のプロデューサーまで買って出て映画化したというのは、自身の体験もあってそうした役柄をうまくこなせるという想いがあったということなのだろう。アルコール依存に苦しむ場面ではほとんどスッピンで頑張っている。そんなわけで本作は最初から最後までシアーシャがほとんど出突っ張りで、彼女のファンには堪らない作品になっている。

©2024 The Outrun Film Ltd., WeydemannBros. Film GmbH, British Broadcasting Corporation and StudioCanal Film GmbH. All Rights Reserved.
セルキー伝説が示すもの
シアーシャが演じるロナという主人公は、なぜアルコール依存症になってしまったのだろうか? 『おくびょう鳥が歌うほうへ』では、それが具体的に示されるわけではない。彼女の父親(スティーヴン・ディレイン)は双極性障害を患っていて、躁状態の時は極端にハイになって危なっかしいことをしてみせたりもするし、鬱の時には寝たきりのような状態になってしまったりする。とはいえ、それが娘のアルコール依存症に結びつくわけではないだろう。
本作はセルキー伝説のエピソードから始まる。スコットランドに伝わるこの伝説では、波にのまれて溺れた人はアザラシになるとされる。そして、そのアザラシは夜になると皮を脱いで人間になって地上に上がってくる。ところが夜中を過ぎてしまうとアザラシの姿に戻れなくなってしまうらしい。人魚姫の話を思わせるこの伝説は何を言わんとしているのだろうか。
そんな元アザラシの人間たちは、地上で生きていくのが苦しい。なぜなら海こそが本来の居場所だからということになる。
この伝説を踏まえると、ロナは自分の本来の居場所ではないところで生きていたことが問題だったのかもしれない。ロナはスコットランドのオークニー諸島の出身なのだが、生物学を学ぶためにロンドンに出ていて、そこでアルコールに溺れるようになったのだ。
ロナにはデイニン(パーパ・エッシードゥ)という恋人もいたけれど、アルコールのせいで彼とも別れることになってしまう。デイニンと一緒に住んでいた頃のロナはすでにアルコール依存症で、彼に隠れてバスルームの中でこっそり酒を呷るような日々だったのだ。そして、酔っぱらって騒動を起こすことを繰り返し、自らデイニンとの関係を壊してしまうことになる。
彼女が最終的に立ち直ることになるのは、故郷のオークニー諸島に戻ってからだ。本来の居場所ではない場所で生きることは苦しい。だからロナはアルコールに溺れてしまったのだ。

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依存症との向き合い方?
『おくびょう鳥が歌うほうへ』は原作が回想録という形だからなのか、現在の時点からこれまでの出来事を振り返る形で描かれる。時の流れを順に追っていくわけではなく、その都度様々な回想が入り込んでくる形になっているため、わかりにくい部分はあるかもしれない。
一応はシアーシャの髪の色の変化が時の流れを示してはいる。ブルーの髪の頃は依存症真っ只中の時期で、それから抜け出そうとしている時期は金髪の毛先だけにブルーが残っている(このブルーは奇抜だけれど、シアーシャの瞳の色とも合っていて違和感はあまりない)。
たとえばある成功者の回想録ならば、でっかい成功を勝ち得た瞬間がクライマックスとして設定され、それに向けて物語を構築するのかもしれない。しかしながらロナという主人公はそういう人物ではない。
ロナはアルコール依存症になり、現在もそれと闘っている。この病は厄介で、10年間断酒したとしても、その次の日に一滴でも飲めばそこから連続飲酒が始まってしまうとされる。つまりは現在もその闘いの途上であり、完全にその闘いが終わることはないのだ。闘いは終わってはいないわけで、クライマックスに設定するべき瞬間もないということなのかもしれない。
そして、日々の闘いの中で折りに触れて過去が蘇ってくる。自分の過去の過ちを振り返りつつ、日々の闘いに対する決意を新たにするというのが依存症との向き合い方ということなのかもしれない。私自身も酒飲みなので依存症というものの怖さはわからないではない気もした。

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とはいえ本作が依存症の辛さだけを描くものではなく魅力的なものになっていたのは、シアーシャの存在もあるけれど、ロナという主人公の居場所がオークニー諸島になっているところも大きいかもしれない。劇中ではヨーロッパ大陸の先にグレートブリテン島があり、そのまた先っぽにオークニー諸島があるとされる。どこよりも海に直接向き合うような場所ということなのか、海からの風を直接受ける場所となっている。特に冬は冷たい風が吹き荒れることになる。荒涼としたものを感じなくもないけれど、一度くらいは旅行にでも行ってみたいと思わせるような風景になっているのだ。
とはいえ、そこに実際に住むとなると別の話だろう。厳しい自然の前では、ロナの母親(サスキア・リーヴス)みたいに宗教に慰めを見出すということもあるのだろう。それでもロナは、そんな故郷でアルコール依存症からゆっくりと回復していくことになる。
ラストでロナは妙に幼く聞こえる笑い声を上げることになるのだが、それはずっと姿を見せなかったウズラクイナ(おくびょう鳥)を見つけたからだ。この笑い声はどこかでノラ・フィングシャイト監督のデビュー作『システム・クラッシャー』の主人公のそれを思わせなくもなかった。ロナはさすがに『システム・クラッシャー』の主人公ほど暴れん坊ではなかったけれど、どちらの作品も窓の外から部屋の中に居る主人公を捉えた場面が印象的だった。




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