監督・脚本はペトラ・フォルペというスイス出身の女性。
主演は『ありふれた教室』のレオニー・ベネシュ。
原題は「Heldin」。
物語
とある州立病院の外科病棟に出勤したフロリアは、プロ意識が強い看護師だ。人手不足が常態化している職場はただでさえ手一杯だが、この日の遅番のシフトは普段以上に過酷だった。チームのひとりが病気で休んだため、フロリアはもうひとりの同僚と手分けして26人の入院患者を看て、インターンの看護学生の指導もしなくてはならない。それでも不安や孤独を抱えた患者たちに誠実に接しようとするフロリアだったが、患者の要望やクレーム、他の病棟からひっきりなしにかかってくる電話、緊急のナースコールへの対処を迫られ、とてもひとりの手には負えない苦境に陥っていく。やがて極限の混乱の中、投薬ミスを犯して打ちひしがれたフロリアは、さらなる重大な試練に直面することに……。
(公式サイトより抜粋)
毎日が綱渡り
看護師の1日を描いた作品だ。ちなみに原題は「Heldin」というもので、これは「ヒロイン」ということらしい。看護師はヒーローみたいなものという意味が込められているとか。それから英語版のタイトルは「Late Shift」というもの。これは「遅番」ということだ。主人公のフロリアがその日「遅番」勤務だったからなのだろう。
フロリア(レオニー・ベネシュ)は遅番としてシフトに入るけれど、それ以外にも早番の人と夜勤の人がいる。3交代制で1日を回しているということなのだろう。そうすると1勤務は約8時間ということになる。その間、フロリアはほとんど休みなく働いている。食事をとる暇もなかったのか、帰りのエレベーターの中でパンをかじったりしている。そんな激務が看護師の仕事なのだ。
『ナースコール』は、看護師フロリアの仕事をまるでドキュメンタリー作品のように追っていく。仕事はひっきりなしにやってくる。まるで戦場みたいにも思えるけれど、看護師にとっては日常だ。それが毎日続くわけだから大変だ。
しかも、まったく気が抜けない。医療という仕事では、ひとつの間違いが患者の命に関わることにもなるからだ。そんなわけで本作で見る看護師の仕事は、ほとんど綱渡りみたいなことになっている。曲芸をこなしているようにも見えてくるのだ。

©2025 Zodiac Pictures Ltd / MMC Zodiac GmbH
猫の手も借りたい忙しさ
看護師の仕事は、医師の補助をしたり、その他の雑務全般をするということなのだろう。患者からすれば医師との橋渡しみたいな役割をしているというイメージもあり、病院内ではフロリアは度々患者やその家族から声をかけられる。
ひとつの仕事に向っているところを誰かに呼び止められ、別のことをしなければならなくなる。そうしたことが頻発する。いくつもの仕事を同時にこなさなければ、全てをうまくさばくことができないのだ。
仕事はいくらでもある。患者たちのバイタルチェックがあるし、下の世話も必要だし、痛みを訴えてくる人もいる。さらには命の危険がある人もいるわけで、そういうこと全てに対処しなければならない。身体がいくつあっても足りないような状態なのだ。
この日は特にひとりの看護師が休みだったこともあって、余計に忙しい。それでも患者たちは当然の権利として、様々な要望を言ってくる。中にはつまらないこともあるけれど、それを無視するわけにもいかないし、特別室の患者は看護師のことを召使いか何かと勘違いしているらしく、さらにストレスが溜まることになる。

©2025 Zodiac Pictures Ltd / MMC Zodiac GmbH
訴えかけたいこと
本作がいわゆる「お仕事映画」というものだったとするならば、綱渡りのような仕事も最終的にはうまく成功して一件落着ということになるのだろう。しかし本作はそうではない。看護師が働く現場の過酷さを訴えることを主眼としているのだ。だからフロリアはどんどん追い詰められていくことになる。
危なっかしい曲芸のような仕事の連続。それがいつまでも続くわけはなく、どこかで無理が生じる。フロリアは患者のアレルギーを忘れて失敗もするし、理不尽な患者の要求にキレてしまったりもする。しかしながら、それが当然と思えるように本作は描かれている。ひとりの看護師が抱える負担が大きすぎるのだ。
本作では一応、フロリアは何とか仕事を終えることになるけれど、これは1本の映画としてまとめるための半ば強引な処理という側面もあるのだろう。劇中では、医師からの診断結果を聞きたくても無視され、フロリアに手紙を残して消えてしまう患者がいたけれど、そんなふうに片付かないことのほうがリアルなのかもしれない。
そして、ラストでは奇跡のような出来事が描かれる。フロリアは、その日、自ら死を看取った女性の亡霊と寄り添うようにして帰宅の途につくのだ。そんな奇跡のような慰めでもなければやってられないような仕事が、看護師の仕事ということなのだろう。とはいえ、これが現実的な解決策にならないことは言うまでもない。
エンドロールの前の字幕では、スイスでは2030年までに3万人の看護師が不足すると予測されているとされる。本作はそんな看護師の厳しい状況を訴えかける作品なのだ。もちろんそれはスイスだけの問題ではない。全世界的にそういうことが問題となりつつあるのだ。

©2025 Zodiac Pictures Ltd / MMC Zodiac GmbH
日本はどうなの?
本作は看護師不足の深刻さを訴えかける作品だ。本作はスイスを舞台にしているけれど、日本の現状はどうなのだろうか? 日本は世界で最も高齢化が進んでいる国とされているわけで、もしかするともっと酷いことになっていく可能性もあるだろう。
劇中で描かれる病院の患者は、必ずしも高齢者ばかりではなかった。とはいえ、高齢になれば病院の世話になる可能性は高くなる。ピンピンコロリで死ねる人ばかりではないわけで、どうしても最期を病院で迎えることが多くなるからだ。そんな意味で、超高齢化社会とされる日本は余計に大変なことになることが予想されるのだ。
働く人は少なくなるのに、高齢者ばかりが多くなる。病院の世話になる人はどんどん増えても、看護師という激務をこなせる人が増えていくとは思えない。
2016年にNHKで放送された「縮小ニッポンの衝撃」という番組では、そんな日本の人口減少が取り上げられたらしい。この番組によれば、2050年には日本の「人口ピラミッド(年齢別人口構成図)」は「棺桶型」になるのだという。この「棺桶」というのは、ドラキュラが眠っているタイプの棺桶だ。肩のあたりが一番広く、足元にかけて狭くなっていく形だ。
つまりは第2次ベビーブーム世代の高齢者が極端に多く、それから若い世代はどんどん少なくなる形だ。これは世界でも類例のない「人口ピラミッド」の形として注目されているのだとか。この形をわざわざ「棺桶型」と呼んでいるのは悪趣味だけれど、年齢別の人口構成としては最悪な形になってしまっていることは確かなのだろう。少ない若い世代が、数多くの高齢者を支えることになるわけだからだ。
看護師の職場が本作に描かれているような現状だったとしたら、この先の日本の状況はもっとヤバいことになるのは目に見えている。そんな状況になったとすれば、『PLAN 75』みたいなことが現実になりかねないという気もするわけで、日本にとっては他人事ではない喫緊の課題ということなのだろう。



コメント