原作はヴィオラ・アルドーネの『「幸せの列車」に乗せられた少年』で、日本でも翻訳が出版されている。
監督は『心のおもむくままに』などのクリスチナ・コメンチーニ。
原題は「Il Treno dei Bambini」で、「子ども列車」という意味。
Netflixにて12月4日から配信中。
物語
1946年、イタリア。貧しさから逃れるため、母に北部地域へと送り出された少年が、別の女性のもとで新たな人生を送ることになる。
(公式サイトより抜粋)
「子ども列車」とは?
原題となっているのは「子ども列車」というものだ。これは戦後間もなくのイタリアで実際に行われていた活動だったようだ。その詳細については後で触れるつもりだが、この活動の背景にはイタリアの南北格差というものがあるらしい。
『幸せの列車に乗せられた少年』で最初の舞台となっているのはナポリだ。ナポリは、イタリアでは南部に位置する街ということになる。イタリアはもともとローマやミラノなどがある北部が発展していて裕福な地域で、南部はその反対に貧しい地域ということになる。
しかも戦争が終わった後だけに、余計に南部は酷いあり様になっていたらしい。主人公の少年アメリーゴ(クリスチャン・セルヴォーン)は見るからにガリガリだし、食うためにタバコの吸い殻を集めて商売をしていたりする。
それを救おうと考えたのがコミュニストの女性たちだったらしい。「子ども列車」というのは、南部の子どもたちを一時的に北部の仲間のところへと送り、それぞれの家庭で預かって世話をするという活動だったのだ。
ただ、初めての試みということもあり変な噂も飛び交っていて、アメリーゴの母親アントニエッタ(セレーナ・ロッシ)としても半信半疑だったらしい。旦那はアメリカに渡ってしまい、アントニエッタにとっては「アメリーゴだけがすべて」だ。それでも自分が食べていくのも精一杯という状況の中で、彼女は泣く泣くアメリーゴを「子ども列車」に乗せることになる。
戦争が終わったばかりの時代だ。戦争の記憶は生々しく残っている。子どもたちが「釜で焼かれるかもしれない」などと恐れているのは、アウシュビッツの話が子どもたちにも伝わってきていたということなのかもしれない。
観ている側の私としても、戦後のイタリアの状況について詳しいわけもなく、コミュニストが子どもたちを大量に連れ去って何かしらの悪だくみを考えているのかもしれないなどと心配になってくる。というのも、劇中でもコミュニストのことを信用していない人たちは、ソ連では子どもを食べるだとか、到着する場所はシベリアだとか噂し、「子ども列車」の活動を胡散臭い目で見ている人も多かったからだ。
北も南も同じイタリア
とはいえ、それも列車が北部に着くと杞憂に終わることになる。南部は戦後の復興の真っ只中という印象だったのだが、北部は戦闘の跡もなく整然としている。「子ども列車」が到着した駅には多くの家族が子どもたちを出迎えに来ており、歓迎ムード一色なのだ。
駅には「北も南も同じイタリア」というスローガンが掲げられ、コミュニストたちが貧しい南部の子どもたちを助けようとしているのは嘘ではなかったのだ。
南と北は様々な面で異なっている。地中海に面した南部のナポリと、子どもたちの受け入れ先となる北のモデナでは、気候からしてまったく違うようだ。南部の子どもたちは初めて見る雪を、砂糖やミルクと勘違いすることになる。何でも食べ物に見えてしまうのは、南部の子どもがそれだけ腹を空かせているということなのだろう。
加えて、南と北では文化的にも大きな差がある。南部の子どもにとってはモルタデッラというソーセージはカビが生えている代物に見えたらしい。それから南部の大人たちは文字が読めない人が多いようだが、北部ではそんなことはない。
アメリーゴが行くことになった家は、デルナ(バルバラ・ロンキ)という女性の家だった。彼女は子どもがいるわけではなく、子どもの扱いが苦手らしい。それでもアメリーゴは母親が大好きな甘えん坊だから甘え方もうまく、二人は次第に打ち解けていくようになっていく。
北から南へ、再び北へ
「子ども列車」の活動は、南の子どもたちを一時的に保護するもので、時期が来たら子どもたちは元の家へと戻ることになる。アントニエッタはやむを得ず「子ども列車」の活動に頼ることになってしまったけれど、彼女はそれを自分の汚点のように感じていたのかもしれない。
アントニエッタとしては北に行ってバイオリンなどを抱えて戻ってきたアメリーゴが、自分の息子とは別の“何か”に変わってしまったと感じていたのかもしれない。だからこそ「子ども列車」の活動にも素直に認めることができないというわけだ。
劇中でもアメリーゴの後にモデナにやってきた女の子は、「子ども列車」の活動自体を否定している。彼女が子どもながらに「施しは受けない」などと言っていたのは、親がそんなことを常に漏らしていたからなのだろう。「子ども列車」の活動には少なからぬ反発もあったということなのだ。
アントニエッタはデルナからの手紙をアメリーゴからは隠すことになる。アントニエッタは文字が読めない。デルナとアメリーゴだけが手紙のやり取りをすることが許せないとも感じられたということなのかもしれない。ただ、そのことがアメリーゴが南を飛び出して北へと渡るきっかけを与えてしまうことになる。
二人の母親とは?
本作の中心的な舞台となっているのは戦後の時代ということになるけれど、冒頭シーンでは現代のアメリーゴの姿が描かれている。その大人になったアメリーゴ(ステファノ・アコルシ)はみんなからマエストロと呼ばれている。バイオリンの演奏家として成功したからこそ、そんなふうに呼ばれているのだ。
冒頭の続きでは、アメリーゴに母親からの電話がかかってくる。アメリーゴはその電話を受け、しばし茫然としている。そのことを問われると、彼は「母が亡くなった」と返すことになる。母親からの電話なのに、母親が亡くなったとはどういう意味か? これはその後の「子ども列車」の活動によって明らかになる。
アメリーゴには産みの親であるアントニエッタと、育ての親のデルナという二人の母親がいたからということになる。その片方が亡くなったというのが冒頭の電話だったというわけだ。アメリーゴは電話を受けて動揺する。そして、かつての自分の姿の幻を見てしまい、それが長い回想シーンを導くことになるわけだ。
アメリーゴは南部にいる産みの母親を捨てて、北の育ての母親であるデルナを選んだということになる。それについてアントニエッタはこんなふうに語る。迎えに行くこともできたけれど、愛しているからこそ手放したというのだ。
アメリーゴはそれを知らなかったのだろう。一度は質屋に入れたはずのバイオリンが産みの母親の手元に戻っているのを見てアメリーゴが涙に暮れたのは、そこで初めて母親の想いを知ったからだろう。
アントニエッタは愛情表現が苦手だ。アントニエッタとしては彼のことを手放す覚悟はしていたけれど、同時に万が一戻ってきた時のためにわざわざバイオリンを取り戻していたということなのだろう。
本作を観て、私は何となく『砂の器』を思い出した。以下の議論は大澤真幸の『不可能性の時代』という本に書かれていることを参照している。その議論をかなり大雑把にまとめると、こんなふうになる。
1960年代から70年代中頃にかけて、日本では似たような構造を持つ小説が人気を博すことになった(これらはそれぞれ映画化もされている)。それが『砂の器』であり、『人間の証明』であり、『飢餓海峡』ということになる。どの作品にも共通しているのは戦後の混乱の中で、主人公には後ろめたい“何か”が存在しており、そこに殺人事件が絡んでくることになる。
もちろん『幸せの列車に乗せられた少年』には殺人事件などは出てこない。それでもアメリーゴに後ろめたいことがあったことは事実だろう。彼は産みの母親を捨てて、北のデルナを選んだ。そうしなければ今の成功はなかったのだ。彼が一度も産みの母のところへ帰らなかったのは、何かしらの後ろめたさがあるからこそなのだろう。
『砂の器』の主人公も、本作の主人公もクラシックの世界で成功していることになっているのは、クラシックという世界が貧乏人には縁のない世界だからだろう。どちらの主人公も過去を捨てることで、今の成功を手に入れたというわけだ。
アメリーゴはいつも母親の歌声を聴いていて耳が肥えていたのか、音楽の才能があったらしい。だからバイオリニストとして成功できたわけだけれど、そのために産みの母親を捨てなければならなかったというわけだ。
それを導いてしまったのが戦後の混乱であり、南部の貧しさだったということになる。『砂の器』と本作に似たようなものがあるのだとすれば、それは日本でもイタリアでも同じようなことが起きていたということなのだろう。
作りとしてはとてもオーソドックスだし、ちょっと短すぎるような気もするけれど、愛ゆえに息子を手放すという母親の行動には涙を禁じ得なかった。子どもに対する演出としては、たとえば最近の『太陽と桃の歌』のような自然さはない。とはいえ、アメリーゴは北部の育ての母であるデルナに気に入ってもらえなければ居場所を失ってしまうわけで、幾分のわざとらしさも子どもなりの媚びとして見えなくもなかった。地味だけれど、意外な掘り出し物という感じの作品だった。
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