監督は『セントラル・ステーション』などのウォルター・サレス。
原題は「AINDA ESTOU AQUI」で、英題の「I’M STILL HERE」と同じ意味らしい。
アカデミー賞では作品賞、主演女優賞などにノミネートされ、国際長編映画賞を受賞した。
物語
1970年代、軍事独裁政権が支配するブラジル。元国会議員ルーベンス・パイヴァとその妻エウニセは、5人の子どもたちと共にリオデジャネイロで穏やかな暮らしを送っていた。しかしスイス大使誘拐事件を機に空気は一変、軍の抑圧は市民へと雪崩のように押し寄せる。ある日、ルーベンスは軍に連行され、そのまま消息を絶つ。突然、夫を奪われたエウニセは、必死にその行方を追い続けるが、やがて彼女自身も軍に拘束され、過酷な尋問を受けることとなる。数日後に釈放されたものの、夫の消息は一切知らされなかった。沈黙と闘志の狭間で、それでも彼女は夫の名を呼び続けた――。自由を奪われ、絶望の淵に立たされながらも、エウニセの声はやがて、時代を揺るがす静かな力へと変わっていく。
(公式サイトより抜粋)
軍事政権下での出来事
『アイム・スティル・ヒア』は、ブラジルで実際に起きた出来事をもとにしている。これはブラジルの軍事政権時代が背景となっているわけだが、それについての説明らしきものはない。本作はブラジルの歴史を振り返るというわけではなく、ある家族の視点から描かれていく。
Wikipediaの記載によれば、ブラジルは1964年にクーデターが起き、そこから1985年に文民政権が誕生するまで軍事独裁政権の時代だったらしい。
元国会議員のルーベンス・パイヴァ(セルトン・メロ)とその妻エウニセ(フェルナンダ・トーレス)は、リオデジャネイロで5人の子供たちと暮らしている。ルーベンスは今では建設業か何かをやっていて、海の近くの邸宅も豪華だし、お手伝いさんも一人いる。かなり裕福な家庭なのだ。そんな幸せを絵に描いたような家族が、ある日突然、不幸に見舞われることになる。
もちろんまったく予兆がなかったわけではない。軍事政権下で革命勢力は大使を誘拐し、政治犯の釈放を要求するという事件が何度も起きている。本作のキービジュアルとなっている家族写真で、笑顔のルーベンスの隣で奥さんのエウニセが明後日の方向を見ているのは、たまたま軍のトラックが通ったのを不安そうに見つめていたからだ。娘の一人は誘拐犯と疑われて、怖い目に遭ったりもする。
それでもルーベンス一家は幸せな生活を送っていたし、流行りの音楽に合わせてダンスをするような自由もあった。ところがある日、軍の関係者が突然現われ、ルーベンスのことを「事情聴取だ」として連れ去ってしまうのだ。

©2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiracao/MACT Productions/ARTE France Cinema
帰らなかった父
ルーベンスはかつて政治家だったものの、今では民間企業の経営者だ。そのルーベンスはなぜか軍事政権に連れ去られてしまう。エウニセとしては驚天動地の出来事だ。夫が仕事以外でやっていたことをほとんど知らされていなかったのだ。
そして、エウニセと娘の一人も軍事政権の人間に連れ去られることになる。車の中で頭から袋を被さられて、どこへ行くのかわからなくさせるやり口は、ほとんど誘拐犯のやっていることと同じで、それを体験することになるエウニセと娘としては生きている心地もしなかっただろう。
二人は連れ去られた場所で尋問を受ける。娘は翌日には自宅に帰されることになったらしいのだが、エウニセは12日間も拘束され、ルーベンスがやっていたことについて何度も質問されることになる。その後、ようやくエウニセは自宅に戻されることになるものの、いつも監視の車が邸宅の外に停まっている。彼らは監視対象としてマークされているのだ。
結局、ルーベンスが自宅に戻ることはなかったというのがこの出来事の結末だ。軍事政権はどうやら彼を拷問して殺してしまったのだ。

©2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiracao/MACT Productions/ARTE France Cinema
軍事政権の怖ろしさ
横暴で好き勝手なことをしている軍事政権というものがあったとしたら、本当に恐ろしい。本作とはまったく別の作品だけれど、同じく南米のアルゼンチンを舞台にした『エル・クラン』という作品も、軍事政権が背景となっていた。
『エル・クラン』の一家は、誘拐を職業としているという恐ろしい家族なのだが、それを当時の軍事政権は見逃していたらしい。真っ当に機能している政府があれば、そんなトンデモないことはあり得ないわけで、軍事政権の恐ろしさという点で本作を観ながら『エル・クラン』を連想したのだ。
ブラジルの軍事政権時代について描いた作品は初めて観たし、『アイム・スティル・ヒア』はその意味でとても貴重な作品なのだろう。5人の子供たちがみんな個性的でとてもかわいらしいことが多少の救いになっているけれど、それ以上に重くて辛い話になっているのだ。
それから、先ほども「背景の説明はない」と記したけれど、本作はブラジルのことをよく知っている人にはわかるという描写も多いらしい。
町山智浩によれば、音楽の使い方も当時の流行りの音楽というだけではない意味があるらしい。カエターノ・ヴェローゾというアーティストが出てきたけれど、この人物は軍事政権に睨まれて国外に追放された人物なのだそうだ。ブラジルの人ならば多分そういうことは知っているわけで、知っている人にとっては別の意味を持ってくることになってくるというわけだ。

©2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiracao/MACT Productions/ARTE France Cinema
どっちつかず?
本作は奥さんのエウニセの視点から描かれている。原作は、そうした母親の姿を子供時代に見ていた長男マルセロが回顧録として描いたものらしい。
軍事政権は、ルーベンスが政治家は辞めたものの、裏でテロリストたちに支援をしていると判断したということなのかもしれない。そのあたりはよくわからないのだが、エウニセはルーベンスを取り戻すために闘う女性へと変貌していく。
しかしながら本作において中心に描かれているのは、そうなる前のエウニセの姿とも言える。エウニセが夫を奪われ、経済的にも困窮していき、リオデジャネイロの邸宅を売り払い、サンパウロへと引っ越すまでの部分が大方を占め、つまりは闘う前の部分がほとんどになっている。
その分、何も知らない家庭の主婦エウニセが軍事政権の非道によって、絶望的な状況へと叩き落とされる様は明確になるけれど、一方で闘う様はあまり見えてこなかった気もした。闘う女性としてのエウニセと、その前のエウニセ。その両方を描こうとして、どっちつかずになっている部分があるのだ。
闘う女性としてのエウニセの姿は、後日談のような、「25年後」と「2014年」のエピソードに描かれている。具体的な闘いが描かれるわけではなく、その結果めいたものが提示されるだけだ。しかし、個人的にはこの後日談が非常に長ったらしく感じた。
「25年後」になってようやくブラジル政府はルーベンスを殺したことを認めることになるのだが、そうした結果はエンドロールの字幕で済ませば、もっとスッキリしたんじゃないかと思えた。





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