監督・脚本・製作『ミッドサマー』のアリ・アスター。
主演は『ボーはおそれている』のホアキン・フェニックス。
原題は「Eddington」。
物語
物語の舞台は2020年、ニューメキシコ州の小さな町、エディントン。コロナ禍で町はロックダウンされ、息苦しい隔離生活の中、住民たちの不満と不安は爆発寸前。保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、IT企業誘致で町を“救おう”とする野心家の市長テッド(ペドロ・パスカル)と“マスクをするしない”の小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と突如、市長選に立候補する。ジョーとテッドの諍いの火は周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。同じ頃、ジョーの妻ルイーズ(エマ・ストーン)は、カルト集団の教祖ヴァーノン(オースティン・バトラー)の扇動動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく。
エディントンの選挙戦は、疑いと論争と憤怒が渦を巻き、暴力が暴力を呼び、批判と陰謀が真実を覆い尽くす。
この先はあるのか? エディントンの町と住人は誰も予想できない破滅の淵へと突き進んでいく。
(公式サイトより抜粋)
コロナ禍から始まる大騒動
『エディントンへようこそ』は2020年の新型コロナ禍を題材にした作品なのだが、ほかにも様々なネタが詰め込まれている。それらがうまく整理されておらず交通渋滞を引き起こしているところがあるのは難点なのだが、後半は派手なドンパチが繰り広げられることになって幾分か盛り返したとは言えるのかもしれない。
コロナ禍のマスク着用の有無が、主人公である保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)と、エディントンという町の市長であるテッド(ペドロ・パスカル)との対立のきっかけになっている。ただ、このコロナ禍の話は途中で忘れ去られていくことになる。
本作で描かれる様々なネタの背後にあるのは、SNSの存在ということなのかもしれない。エディントンの人々は老いも若きもみんながいつもスマホを利用して、SNSで情報を取り入れたり発信したりもしている。
昨今は現実世界でもSNSについての規制が話題になっている。オーストラリアでは16歳未満の子どもたちはSNSの利用を禁止されることになった。日本でも愛知県の豊明市で、スマホの使用時間を制限する条例が成立したと話題になっていた。
SNSでは誰もが情報の発信者になれるわけだが、これはその情報がかなりあやしいものであるということでもある。それでもその情報を鵜呑みにしてしまう人もいる。そうした状況が本作の背景なのだ。

©2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
ポスト・トゥルース?
主人公のジョーはマスク否定派だ。ジョーには喘息の持病があるらしく、それが理由となっている。けれどもそれは後付けなのだろう。恐らくマスク着用を義務付けた市長が気に入らないのだ。
ジョーは市長のテッドと折り合いが悪い。実はジョーの奥様のルイーズ(エマ・ストーン)は、かつて一時期テッドと付き合っていたらしく、ジョーとテッドの対立の要因となっているのだ。ジョーが市長選に立候補するのは、保安官のジョーは自分が正しいと信じているからで、市長選によってテッドを追いやろうと考えているわけだ。
選挙戦の中で、ジョーはテッドに関してのデマを流すことになる。テッドはかつてルイーズのことをレイプしたというのだ。これに関してはルイーズ本人がすぐにそれを否定する動画を配信することになるのだが、実はこのネタはルイーズの母親であるドーン(ディードル・オコンネル)がいつもジョーに対して吹き込んでいたネタだったのだ。
個人的な感情によってジョーは市長選に立候補したというわけだが、似たようなことがエディントンの町ではいくつも生じている。2020年には黒人男性のジョージ・フロイドの死をきっかけに、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)という運動が盛り上がった。
エディントンの町でもBLMの運動が起きることになる。ただ、この運動を仕切っている女性は、どうも黒人警官のことを気にしているようでもあるし、この女性に惹かれて運動に参加している若者もいる。実際の運動の是非などよりも、そうした個人的な感情がエディントンで起きている出来事を左右しているのだ。

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こういったアレコレで本作が描こうとしているのは「ポスト・トゥルース」ということなのだろう。これは「世論の形成において、客観的事実よりも感情的・個人的な意見のほうがより強い影響力をもつこと」とされる。
SNSにおいて誰もが情報を発信できるようになると、あやしい情報も正確な情報も入り混じることになる。そうなってくると、どの情報が正しいのかもよくわからなくなってくるだろう。わざわざ時間とコストをかけて情報の正確さを求めるよりも、人は自分が信じたいものを信じてしまうということなのだ。
ジョーもルイーズにかつて起きたことを何となく把握している(どうもルイーズの父親があやしいらしい)。それでもジョーとしてはそれでは都合が悪い。ルイーズの母親ドーンがテッドを無理やり悪者に仕立て上げようとしたのと同じで、ジョーとしてもテッドを悪者にしたかったということになる。
ただ、本作ではそうしたことの真実が明らかになることはない。ポスト・トゥルースの時代は、みんなが勝手に信じたいことを信じるだけで、真実などどうでもいいことだからだろう。だから本作ではあやしげな陰謀論が渦巻いている。ルイーズもカルト宗教の教祖であるヴァーノン(オースティン・バトラー)に入れ込み、エディントンを去っていくことになる。

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渾沌のエディントン
エディントンという小さな町の市長選。そして、同時に起きるBLM運動に関する騒動。こうしたアレコレは狭い町のしょぼい闘いといった感も否めなく、酷く退屈な時間が長く続く。ところがジョーの狂気によって、後半は幾分か盛り返すことになる。
テッドとの対立によって体面を崩されることになったジョーは、暴力によって一気にそれを解決する。ジョーはテッドとその息子までライフルで狙撃してしまうのだ。ジョーはこれによって絶体絶命の危機に陥る。その後のジョーは自分の保身のためにさらに悪事を重ねることになるのだが、そこになぜか横槍が入ってくる。
ジョーはテッド市長の殺害をアンティファ(ANTIFA)によるテロだと断定することになる。アンティファというのは、「反ファシスト活動(Anti-Fascist Action)」の略で、ネオナチ、白人至上主義、ファシズムなどに反対する人々が、指導者を持たずに緩やかに連携する分散型の抗議運動ということらしい。
アンティファによるテロというのはもちろんデマだったわけなのだが、それに反応したアンティファらしき集団がエディントンにやってくることになるのだ。そして、ラストはジョーとアンティファたちとの派手な闘争が繰り広げられることになる。
そんなわけで後半は派手な場面もあってそこそこ楽しめることにはなるのだが、結局どんな話だったのかと考えるとよくわからなくなってくる。
前半では時間をかけてSNS時代における「自分の信じたいことを信じる」という状況を描いていた。しかしながら、ラストで巨大なデータセンターがエディントンに建設されるという帰結を見ると、途中からは別の話になっていたのだ。
劇中のアンティファ集団(といっても数人だが)は、自分たちの信じたいことを信じている連中というわけではなさそうだ。彼らの背景に関してはまったく謎だけれど、アンティファというのは確たる組織がないはずなのに、プライベートジェット機に乗っているというのは変な話だろう。恐らく彼らは誰かから依頼され、アンティファ集団を擬装していたということなのだ。
つまりは巨大データセンターを作りたい連中が、裏で何かをしていたということが仄めかされているというわけだ。これ自体も別の陰謀論ということなのかもしれないけれど、一体何をやろうとしているのかわからない話だった気もする。
アリ・アスターはデビュー作の『ヘレディタリー/継承』がとても評判になっていたけれど、個人的には最初からどうにもしっくり来ない。デビュー作がホラー映画だったからなのか、本作にもグロい場面があったりするけれど、前作の『ボーはおそれている』もホラーの要素はまったく皆無だったし、一体どんな方向を目指そうとしているんだろうか?




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