監督・脚本は『ターミネーター』などのジェームズ・キャメロン。
主演は『アバター』シリーズのサム・ワーシントン。
原題は「Avatar: Fire and Ash」。
物語
舞台は、神秘の星パンドラ──地球滅亡の危機に瀕した人類はこの星への侵略を開始。アバターとして潜入した元海兵隊員のジェイクは、パンドラの先住民ナヴィの女性ネイティリと家族を築き、人類と戦う決意をする。しかし、同じナヴィでありながら、パンドラの支配を目論むアッシュ族のヴァランは、人類と手を組み復讐を果たそうとしていた。パンドラの知られざる真実が明らかになる時、かつてない衝撃の”炎の決戦”が始まる!
(公式サイトより抜粋)
映画館での体験
公式サイトでは「全世界歴代興行収入1位&3位を誇る伝説のシリーズ!」と銘打っている。1位は『アバター』で、3位が『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』、さらに4位には『タイタニック』が位置しているわけで、ハリウッドで最も成功した映画監督と言っても誰も異論をはさめないのがジェームズ・キャメロンだ。そして、そのキャメロンが持てるすべてつぎ込んで製作しているのが『アバター』シリーズなのだろう。
キャメロンは最近、Netflixがワーナーを買収しようとしていることを批判していた。動画配信サービスのNetflixが映画会社を買収することが、映画館で映画を観るということを脅かすことになると危惧しているのだろう。キャメロンは映画館での体験というものを神聖視していて、この『アバター』シリーズも今ではあまり流行らなくなった3D上映にこだわっている。映画館でしか観られない映像。それを追求しているからこそのこだわりだ。
前作の『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、『アバター』の久しぶりの続編としてその3D映像の技術革新には目を見張るものがあった。これは動画配信サービスでは享受できない体験ということになるだろう。そして、今回の第3弾『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』ということになる。
前作からのスパンとしては約3年ということもあって、技術的にはそれほど変わりはない。これはそもそも第2作と第3作は最初はひとつの物語として構想され、長くなり過ぎたために二つに分かれたからということがあるのだろう。撮影も同時並行的に進められたという話もあったわけで、第2作と第3作はひとつの物語の前半と後半のような位置づけでもあるのだ。
とはいえ、技術的には前作とあまり変わらなくとも、物語的には舞台となるパンドラという星の秘密(?)が明らかになるところもあって、個人的には前作よりも楽しめた。さすがに3時間17分は長いけれど、毎度お馴染みの畳み掛けるようなアクションの連続を見せてくれるし、やはり滅多にない映像体験だったんじゃないだろうか。

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スパイダーを巡る争い
本作でもスカイピープルと呼ばれる地球人とナヴィの闘いは続いている。第1作の『アバター』では、地球のエネルギー問題を解決するためにパンドラが狙われることになっていたけれど、第2作では状況はさらに悪化していた。どうやら地球はダメになったのか、地球人はパンドラを植民地として狙っているのだ。
それでも地球人の侵略は限定的なものだった。というのは、地球人はパンドラの大気では呼吸することができなかったからだ。地球人はパンドラでは空調設備の整った場所でしか生きることができず、外に出る時にはマスクを常に必要としていた。ところが本作でそれを一変させる出来事が生じる。
それがスパイダー(ジャック・チャンピオン)の変化だ。スパイダーはこのシリーズでしつこくジェイクを追ってくるクオリッチ大佐(スティーブン・ラング)の息子であり、純粋な地球人だ。だからスパイダーにはマスクは必需品だった。ところがスパイダーはトラブルに遭遇し、キリの機転によってパンドラの大気に適応するように変化するのだ。
スパイダーがパンドラの大気に適応したことは喜ばしいことなのかもしれない。しかし、スパイダーが地球人の手に渡れば、地球人は彼を研究し、同じ適応能力をほかの地球人にも施すことになるだろう。そうなれば地球人がパンドラの星の至る所に進出していくことになってしまう。そうなった時にはパンドラはナヴィたちの住む星ではなくなってしまうだろう。こうして地球人たちとナヴィたちとのスパイダーを巡る激しい争いが始まるのだ。もちろんそこにクオリッチ大佐も絡んでくることは言うまでもない。
第2作からの伏線
ジェイクの妻ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)は、前作で地球人及びクオリッチ大佐との闘いの末に殺されてしまった長男ネテヤムのこともあり、地球人憎しという思いを募らせている。そこで板挟みになるのがジェイク(サム・ワーシントン)だ。スパイダーはサリー一家の一員だったけれど、ナヴィ全体のことを考えると、ネイティリが考えるようにスパイダーを殺すべきなのかもしれないと思い悩むことになるのだ。
ジェイクはそれに関してはギリギリのところで思い止まることになるものの、地球人との闘いはそれをせざるを得ない状況に追い込まれることになる。ここで重要になってくるのが前作から登場したクジラのようなトゥルクンという生き物だろう。
トゥルクンたちは海の民たちの家族みたいなもので、高度な知能を持ち、ナヴィたちと意思疎通が可能だ。そして、彼らはかつての時代の経験から、暴力というものを否定している。「殺し」をしたものは群れから追放されることになるのだ。
第2作でも、「殺し」をしたためにのけ者にされたパヤカンというトゥルクンが登場していた。そして、本作ではパヤカンがなぜ「殺し」をしなければならなかったのかが明かされ、そこには地球人の横暴があったことが示される。第2作からの伏線のようなものがここで回収されることになり、暴力を否定していたトゥルクンたちもようやく地球人たちと闘うことを決意することになるのだ。
ジェイクも同じように闘いについて逡巡しつつも、最終的にはトゥルーク・マクトとして地球人たちと闘うことを選択することになる。闘わなければならない時もあるということなのだろう。

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灰の部族とキリ
本作で新たに登場するのが灰の部族とされるアッシュ族だ。彼らは火山の炎によって多くの仲間を殺され、エイワに裏切られたと感じている部族だ。リーダーのヴァラン(ウーナ・チャップリン)はエイワは自分たちを助けてくれなかったと語る。そのことがアッシュ族をエイワというものから切り離されたような部族にしてしまう。
本作のタイトルは「ファイヤー・アンド・アッシュ」というわけで、アッシュ族は重要な役割を与えられている。アッシュ族はこれまでに登場したナヴィとは異なる存在として登場してくる。それがエイワとのつながりを絶ってしまった部族ということだろう。
『アバター』シリーズでは第1作からフィーラーと呼ばれる触覚によってナヴィたちがほかの生物とつながる様子が描かれていた。さらにはエイワが宿るとされる魂の木を媒介にしてエイワとの接触も可能となっていた。
本作においてアッシュ族と対照的なのがキリ(シガーニー・ウィーバー)だろう。キリは第2作でも自分は何者かということについて悩んでいた。というのも、キリは第1作に登場したグレース(シガーニー・ウィーバー)の娘という設定だが、父親については謎だったからだ。
本作ではそれが明らかにされることになるわけだが、キリはグレースが単為生殖で産んだ娘だったのだ。これはエイワがグレースに産ませたとも言えるわけで、エイワの娘とも言えるのかもしれない。そんな意味で、キリは最もエイワに近しい存在であり、アッシュ族とは対照的にエイワと強い結びつきを持っているのだ。

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「母なる大地」としてのエイワ
では、エイワとは何なのか? ナヴィにとってエイワは神のような存在と言える。しかしそれは間違いではなくとも、正確とは言えないのかもしれない。ナヴィたちはエイワに対して「偉大なる母よ」と呼びかけていた。そして、エイワとはパンドラという星そのものでもある。つまりはエイワというのは「母なる大地」としてのパンドラの自然ということにほかならないのだ。
この点ではエイワは超越神というよりは自然崇拝に近い気もする。とはいうものの、キリの願いによって何度も奇跡的な出来事を生じさせてもいるから単なる自然とは異なるのかもしれないけれど……。
たとえば聖書においては、人間は神が土塊をこね合わせて作ったとされる。現実世界においてはそれほど単純ではないけれど、生物というものが生まれたのは地球という大地の中からであることは間違いないだろう。長い長い時間をかけ、地球の中にある材料で生きとし生ける者は誕生したというわけだ。大地が母と呼ばれるのはそういう意味だ。
第2作の最後では、ネテヤムの葬儀が描かれていた。ナヴィの世界では命は借り物とされた。だからネテヤムの遺体はエイワに抱かれるような形でパンドラの大地に戻されることになった(『風の谷のナウシカ』のワンシーンみたいだった)。大地から生まれ、大地に還る。それが本来のあり方だということだろう。
その本来のあり方から逸脱しているのが地球人だろう。このシリーズでは地球人は愚かな存在として描かれる。地球人が愚かだというのは、パンドラに植民地を求めるほど、地球そのものを破壊してしまったことにも表れているだろう。そして、それは鉄からできた兵器などによってもたらされたのだろう。
パンドラでは鉄の武器は忌まわしいものとされていた。それは鉄というものが大地に戻すことができないものだからだろう。鉄も地球人が大地から取り出したものから作り上げたものだ。しかしそれは大地に還元することができないものに変質してしまっている。地球人は大地とのつながりを忘れ、大地に還元できないものを生み出し続けることで大地そのものを破壊することになったのだ。
そして、エイワとのつながりを絶ってしまったアッシュ族は、クオリッチ大佐を通じて愚かな地球人たちと結びつく。アッシュ族は地球人と同じ轍を踏もうとしているわけで、アッシュ族が進もうとしている道は、地球人が辿ってきた道なのだろう。
大地とのつながりというものの重要性を示すために、その大地とのつながりを絶ってしまったアッシュ族が登場することになったのだろう。そんなわけでキャメロンがこのシリーズを通して言わんとしていることが垣間見えてきた気もするのだが、全5部作とされるこのシリーズにはまだ先があるということになる。
ここまで来たら最後まできちんと映画館で3D映画として観たいものだが、果たして続編はどうなるんだろうか? 今回の第3作を観た劇場の混雑状況からすると、続編製作の費用を稼ぎ出せるのか心配になってしまうけれど……。




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