『災 劇場版』 理由のない死

日本映画

監督・脚本・編集は、『宮松と山下』を製作した監督集団「5月」関友太郎平瀬謙太朗

主演は『宮松と山下』の香川照之

本作はWOWOWで放送された連続ドラマ『災』を再構成して劇場版にしたものということ。

物語

家族や進路に悩む女子高生、ある過去を抱えた運送業の男、冴えないショッピングモールの清掃員と理容師、負債を抱えた旅館の支配人、平凡な主婦。ある日、彼らのささやかな日常が、なんの前触れもなく不可解な〝災い〟に襲われる。
警察にはすべて自殺や事故として処理されるが、何かがおかしい。刑事の堂本だけが妙な気配を感じ取り、災いの真相に迫っていく。一方でその災いの周辺には、いつもある「男」が紛れ込んでいた―。

(公式サイトより抜粋)

久しぶりの香川照之劇場

監督集団「5月」の前作『宮松と山下』は、とても刺激的な作品だった。2022年の「ベスト10」にも入れたし、その年「一番の刺激的な作品」だとも持ち上げた。それほどインパクトがあったと個人的には思っている。

尤も、世間的には主演・香川照之の騒動などもあってほとんど宣伝もなく公開されたし、大きな話題にもならなかったのかもしれない。それでも製作した側としては手応えというものを感じたということなのか、本作でも再び香川照之を主演として迎えている。しかもその香川照之が何役もこなすような役回りとなっており、香川照之のあやしさで引っ張っていく映画となっている。

タイトルは「さい」と読むらしい。もともとは昨年WOWOWの「連続ドラマW」枠で放送されたドラマシリーズだ。このドラマ版は60分の計6回で、全部で6時間という長さだが、それを再編集して128分にまとめたものが本作ということになる。分量的には約3分の1程度になっているということで、だいぶ端折られているということになる。

ドラマ版は観ていないのだが、全6回のエピソードでは、舞台は毎回移り変わっていく。日本各地の異なる場所が舞台となるわけだが、そこには必ず香川照之が演じる男がいる。この男は名前も異なるし、職業も見た目も違っているのだが、すべて香川照之が演じるのだ。そして、彼が関わることになった人物は不思議な死を迎えることになる。これが6回に渡って繰り返されることになるのが、ドラマ版ということになるのだろう。

それに対して劇場版では、それらをすべて編集し直して再構成している。そうすると日本各地に香川照之演じる男が同時に何人も存在するかのようにも見えてくる。だから最初はこの男たちが別人なのかとも思えてくるわけだが、途中でそれは勘違いだと判明することになる。

本作は時系列を無視した編集をしていて、ある時点で時を遡って男の動きを追うことになるのだ。この男は1年ごとに日本各地を転々とし、そこで誰かに「災い」をもたらして去っていく。彼はなぜそんなことをしているのだろうか?

©WOWOW

理由のない死

『災 劇場版』で香川照之と接触した者は不思議な死を遂げる。最初に登場する漁港の食堂の女性(安達祐実)は溺死し、次の女子高生(中島セナ)は飛び降り自殺してしまう。運送業の男(松田龍平)の場合は、彼は無事なのに、なぜか奥さんが自殺することになる。清掃員の女(内田慈)はエレベーターで事故死した形になり、旅館の支配人(シソンヌじろう)も似たような死に方をする。

これらの死にはまったく事件性はない。だからそれらは自殺や事故死などとして処理されることになる。ただ、堂本刑事(中村アン)だけは疑問を感じる。人は理由もなく死なないはずだからだ。そして、堂本刑事は一連の事件にひとつの共通点を見つける。亡くなった人たちはなぜか髪の毛を切り取られていたのだ。だからといってそれが他殺の証拠になるわけではないわけで、謎は深まるばかりなわけだが……。

堂本の頑張りに触発されたのか、同僚の飯田刑事(竹原ピストル)は一連の事件の背後にいるある男の存在に気づく。それが香川照之なのだが、飯田刑事はその男と出会った後に自殺してしまうことになる。一体、何が起きているのか?

ここまでの設定からすれば、どんな結末が待っていると想像するだろうか? 単に証拠を残していないだけで、香川照之が連続殺人犯ということになるのだろうか。男と接触した者が次々と死んでいくという設定は、黒沢清『CURE』のそれを思わせなくもないのだが……。

©WOWOW

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前作が素晴らしかっただけに……

結論から先に記せば、本作にそうしたスッキリとしたオチはない。タイトルにあるように、香川照之の存在は一種の「災い」ということで終わるのだ。この結末にはかなり拍子抜けした。尤も、オカルト的に被害者の髪を利用した「呪い」なんてものがオチだったとしたら、それはそれで興醒めしたとは思うけれど、それでもこの結末も何の決着もつけずに終わってしまったような気になるのだ。

監督集団「5月」は、「手法がテーマを担う」ということを標榜している。とにかく何かしらの面白い映像というアイディアからスタートし、テーマはあとからついてくるということになる。

前作の場合、香川照之がエキストラとして登場し、何度も殺されるという映像がスタートだった。そこからスタートして整合性のある物語になっていたし、香川照之がエキストラをしなければならない理由も腑に落ちた。前作の場合は、「5月」の標榜する方法論がうまく機能していたのかもしれない。

ところが本作の場合はどうだろうか? 何のテーマが見えてくるのだろうか? 香川照之がなぜか別人のように姿を変えて日本各地に現れ、それが彼と関わる誰かが死んでいく。ところが香川照之が何者で、彼が何をしようとしているのかもわからずに終わるのだ。

堂本刑事は「人は理由もなく死にませんから」と語り、その背後に連続殺人鬼か何か、とにかく人が死ななければならない理由を捜していくことになる。それでも捜査の先には何の理由も見つからないのだ。最終的には最初に溺死した女の旦那が登場し、彼女の死が自殺か他殺かはわからないけれど、「災害だと思うことにした」とまとめることになるのだ。香川照之は一種の自然災害みたいなものということになる。人は理由のない死には耐えられないのだろう。

©WOWOW

昔から「地震 雷 火事 親父」などと言う。この言葉は、「この世で、特に怖いものを順に並べたことば」とされる。本作は冒頭に地震が発生するし、雷が落ちるシーンもある。火事は出てこなかったけれど、香川照之は「親父」ということだろうか。もしかすると、かつてはそんな理不尽で怖い親父というものがいたということなのかもしれない。

ただ、本作の香川照之の不気味さは、そんな自然災害と並べて納得できるようなものでもない気がする。被害者遺族が家族の死を「災い」と思って納得するしかないということはわからないでもない。被害者遺族は男の存在を知らないわけだし、亡くなった人が今さらどうなるわけでもないからだ。

しかしながら観客としては香川照之のあの顔をずっと追ってきているわけで、それが何かしらの意志を持つ存在であることもわかっている。そんな男を単なる自然災害の暗喩とするには、余計なものが多すぎる気がするのだ。

結局は「5月」の標榜する方法論が、うまく機能していなかったということなんじゃないだろうか。面白い映像があれば、テーマはあとからついてくる。そんな方法論で本作も作られているわけだが、設定としては面白くとも、それをうまく物語に落とし込むことが出来ていなかったように思えてしまったのだ。

改めて言うけれど、前作はとても刺激的な作品だったし、本作も不穏な雰囲気をうまく醸し出している。そして、香川照之の存在も大きい。女子高生相手に無言のまま静止している時間など、何か異様なものを感じさせる。けれども本作は香川照之の存在だけに寄り掛かっているわけではない。前作もそうだったけれど、日常の風景を捉えつつも、不穏な劇伴と共にそれを異化していくような映像のつらなりが見事なのだ。それだけにオチとも言えないようなオチが残念だったのだ。

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