監督は、ベルリンを拠点に活動するアンドレアス・ハートマンと、ベルリンと東京を拠点に活動する森あらたの二人。
ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭では最優秀作品賞を獲得した。
英語版のタイトルは「Johatsu – Into Thin Air」。
イントロダクション
日本では毎年、約8万人が失踪する。その多くはやがて帰宅するが、数千⼈は完全に姿を消してしまう。彼らは「蒸発者」と呼ばれる。理由は、⼈間関係のトラブル、借⾦、ヤクザからの脅迫など、さまざま。いわゆる「夜逃げ屋」の支援を受ける者もいる。すべてのしがらみを断ち、見知らぬ土地で、新しい生活を始める。深い喪失や挫折と、人生をゼロからやり直す希望が交差する。
(公式サイトより抜粋)
“蒸発”という現象
日本での失踪という現象を追ったドキュメンタリー作品。日本では失踪のことを“蒸発”といった言い方をする場合もある。これは日本独特ということなのかもしれない。
『蒸発』はドイツ人監督と長らく日本を離れている日本人監督の二人の共同監督作品だ。海外の映画祭などで評判になり、日本での公開に至ったということらしい。英語版のタイトルにわざわざ日本語の「Johatsu」を入れているのは、ほかの国にはない言い方だからということなのだろう。
日本にはすでに今村昌平監督の『人間蒸発』(1967年)というドキュメンタリー作品がある。ちなみにこの作品の英語のタイトルは「A Man Vanishes」となっている。“蒸発”という意味の英語では、海外では意味が通じないということなのだろう。『人間蒸発』は失踪者を追うドキュメンタリー作品とされていて、最初は失踪者の男性を捜すところから始まるものの、ドキュメンタリーの枠組には収まり切らないような奇妙な作品になっている。
この『人間蒸発』でも、失踪した男は見つからなかった。失踪を企てる人が本気でほかの人との関係を断とうと望めば、それを見つけることは困難ということなのだろう。『蒸発』においてもひとつのケースは、失踪した人の家族の話となっていた。今では携帯電話などもあるし、連絡手段はかつてよりもあるはずだ。それでも今ではかつてはなかった個人情報保護法というものが失踪者捜しを阻むことになる。家族が必死になって捜そうとしても、失踪者にはたどり着けないのが現実ということらしい。

©2024 OSSA FILM, BR, MORI FILM
失踪した理由は?
それでも失踪した人が空気の中に消えてしまうわけではないわけで、実際にはどこかで人知れず生きていることのほうが多いのだろう。本作では、そんな失踪した当事者に対するインタビューもある。
本来ならば失踪者がカメラの前に立つことは難しいはずだ。身元がバレてしまったら、すべてを捨ててやり直そうとしたことの意味がなくなってしまうからだ。だから本作は海外のみで上映することが前提で作られたということらしい。日本での上映がなければ、問題はなかったということなのだろう。
冒頭では夜逃げ屋の仕事が描かれている。同居人の目をかすめて夜に家から飛び出してきた失踪志願の男性を、安全な場所へと移送するというなかなかスリリングな出来事だ。夜逃げ屋の仕事は失踪のための手助けをすることだ。誰にも知られずに住み慣れた場所を離れ、新しい人生をスタートするために必要なもの、たとえば新しい住まいや仕事など、そうしたものを世話することになるのだ。
失踪する理由は様々だ。冒頭に出てきた男性は、束縛のきつい女性から逃れるために失踪という形を選んだらしい。具体的にそれがどれほどの束縛なのかはわからないけれど、精神的に病んでしまった女性ということでそんな方法しかなかったということらしい。
そのほかにもヤクザの経営するブラック企業から逃げてきたカップルは、場末のラブホテルで住み込みの仕事をしている。借金を抱えた会社経営者の男性もいる。空き缶を集めつつ暮らしている男性は、ギャンブルですべてを失い大阪の西成区に流れ着いたらしい。

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AIによる加工の是非
先ほども記したように本作はもともと海外でしか上映されないはずだった。ところが海外での上映が評判を呼び、日本での公開が決まったということらしい。そうなると顔出しができない人ばかりのために大きな問題が生じることになる。そのために本作では顔はぼかされたり、AIによるディープフェイクによって加工されている。
実は夜逃げ屋の女性社長の顔も加工されている。一応夜逃げ屋の仕事は合法だけれど、グレーな仕事をすることもあるようで、やはり顔出しはマズいということなのだろう。とにかく劇中ではボカシとディープフェイクが中途半端に入れ替わるところがあって違和感があったし、ディープフェイクによる加工が効果的だったのかと言えば、ちょっと疑問を感じざるを得ない気がする。
ディープフェイクによって顔を見ることができれば、その表情がわかるからという理由だとは思うのだけれど、やはり作り物感は否めない(妙にくっきりとした目鼻立ちになっている)。表情による感情の動きよりも、加工に対する違和感のほうが上回ってしまい、話している内容がすんなりと入ってこないのだ。
だから一番印象に残ったのは、西成で日雇いをしていた男性の話かもしれない。この男性だけは顔出しをしているからだ。というのはこの男性は最終的には実家に戻ることになるのだ。37年も失踪していたけれど、最終的には実家に戻れたというわけで、顔を出しても問題ないという判断なのだろう。

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なぜ日本なの?
最初にも記したように、本作は、普段はドイツのベルリンを中心に活動している二人の監督の作品だ。そんな二人がわざわざ日本にやってきて“蒸発”という現象を取材したということなわけで、そこには日本独自のものがあるのかと思っていたのだが、ちょっと早とちりだった。日本の社会は様々なしがらみが多すぎる、そんなふうに感じている私自身の勝手な思い込みがあったのかもしれない。
映画ライターの高橋ヨシキは本作についてこんなふうに指摘している。
これは日本に特有の現象なのか? といえば実はそうでもなくて、たとえばアメリカでは年間50万人以上、イギリスでも20万人以上の行方不明者が発生しており、いずれの国でもそのうち数千人が完全に姿を消してしまい発見されることはない。
髙橋ヨシキのデータはどこから出てきたものなのかはわからないけれど、公式サイトにもある日本の失踪者が年間8万人という数と比べると、海外のほうが断然多いのだ。私がネットで検索した情報によれば、人口10万人あたりの数で比較するとイギリスが一番多くて、さらにカナダやアイルランド・アメリカと続く。日本はそれらの国と比べるとそれほど多くはないのだ。


そうなってくるとベルリンで活動している監督が、わざわざ日本を舞台として選んだ理由がよくわからない気もしてくる。本作の英語版のタイトルは「Johatsu – Into Thin Air」というものだ。これは映画『イントゥ・ザ・ワイルド』(ショーン・ペン監督)を意識しているんじゃないかとも思える。
『イントゥ・ザ・ワイルド』はアメリカの話だが、偽りの家族と病んだ社会から離れることを望んだ男の話で、彼はすべてを捨てて独りで荒野で生きることになる。この男性も一種の失踪者とも言えるだろう(その動機は何かから「逃げる」というよりも、もっと積極的なものになっていたけれど)。どこの国でも失踪したいという願望を抱く人はいるのだろう。失踪という現象はほかの国でもあることであって、日本独自のものというわけではないのだ。
本作では失踪が日本独自の現象とは言っていないし、ほかの国と比べるような視点もなかったけれど、普遍的な現象として失踪を描きたかったということなのだろうか。そのあたりの立ち位置がよくわからなかった気もする。
失踪者たちは隠れて生きなければならないところがあるわけで、どこか日陰者みたいなイメージもあるけれど、大阪・西成だけはちょっと雰囲気が違っていた気もする。西成で生きていた男性は、西成はパラダイスだとまで言っていた。
西成では誰も人のことなど気にしない。どんな格好でも、偽名を名乗っていても誰も気にしない。いろんな人がそこに流れ着くけれど、誰も気にしてはいない。だからこそ西成でなら生きていけるし、自由を感じられるということらしい。それでも彼が帰ることを選んだというのは、やはり家族や故郷に対する想いというものが捨てがたいということなのだろう。


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