原作は『東京タラレバ娘』、『海月姫』の東村アキコの同名漫画(東村は脚本も担当している)。
監督は『地獄の花園』の関和亮。
主演は『からかい上手の高木さん』の永野芽郁。
今年5月に劇場公開され、今月12月24日にソフト化された。
物語
漫画家になるという夢を持つ、ぐうたら高校生・明子。
人気漫画家を目指していく彼女にはスパルタ絵画教師・日高先生との戦いと青春の記録があった。
先生が望んだ二人の未来、明子がついた許されない嘘。
ずっと描くことができなかった9年間の日々が明かされる── 。
(公式サイトより抜粋)
有名漫画家の自伝
東村アキコという漫画家の自伝的な作品。劇中では「マンガ大賞」などを受賞したというエピソードもあったりして、“立派な漫画家”として認められている人とのこと。漫画に関しては不案内なので東村アキコのことは知らなかったけれど、自伝的な作品を描くくらいなのだから、かなりキャリアのある人なのだろう。その東村の恩師とされる人物がいて、その人との話が本作の中心となっている。
ある批評家は「教える」と「学ぶ」ということの非対称性みたいなことを論じていたりもしたけれど、『かくかくしかじか』の中心にあるのは教える側と学ぶ側のすれ違いみたいなことになるかもしれない。
劇中の主人公は、東村ではなくて本名の林明子(永野芽郁)という名前になっているのだが、その明子は宮崎県人の県民性というべきなのかのんびりしたところがある。宮崎県人はおおらかで、周囲は明子が絵がうまいことを褒め称えてくれる。
明子はそんな宮崎で育ち自意識を肥大化させ、自分は天才で将来は漫画家としてデビューするなどと夢見ている。明子に対して現実的でシビアなツッコミを入れてくれるのは、高校の同級生で美術大学志望の北見(見上愛)だけだ。
明子は北見が絵画教室に通っているということを知り、そこで日高先生(大泉洋)と出会うことになる。日高はなかなか強烈なキャラで、竹刀を振り回しながら「描け」と命ずるスパルタ教師だ。今、そんな教師がいたらたちまち炎上して、教師を辞めさせられることになるんじゃないだろうか。明子は日高の下で絵を学ぶことになるのだが……。

©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
教師の期待と……
自信満々で絵画教室に行った明子は、日高にその鼻を折られる。日高からすれば明子の絵はまだまだということらしい。明子はそこで美大受験のためのデッサン力を学ぶことになる。日高の教え方はとにかく描かせることだ。ただひたすらにデッサンをさせる。「描け」というのが日高の口癖みたいなもので、余計なことは何も考えずにただ「描け」というのが日高の教えということになる。
そんなスパルタ式教育で明子は何とか金沢の美術大学へと合格することになる。しかし明子の最終的な目標は漫画家になることだ。能天気な明子は、美大出身の漫画家という一種のステータスみたいなものを求めて美大を目指していたのであって、画家になろうとしていたわけではない。そのあたりが日高とのすれ違いになってくる。教える側と学ぶ側は求めることが一致するとは限らないのだ。
日高は何だかんだ明子に期待を寄せている。竹刀を振り回して怒鳴り散らすばかりの日高に対して、明子は意外と人に教えるのがうまかったりするので、明子は大学を卒業してからも日高の絵画教室で助手みたいなこともしていたのだ。日高が明子に「二人展をやるぞ」と言い続けているのは、明子が画家になりたいと思ってその教室にやってきたと日高が信じているからだ。
こういうことはそれほど珍しくはない。「先生」と「生徒」という間柄ではなくとも、「親」と「子ども」との関係でも、職場の「上司」と「部下」の関係でも、似たようなことはあるだろう。ただ、教わる側としては期待を寄せてくれるのは嬉しいけれど、その期待に応えられるかどうかはわからないのだ。
明子は日高の期待を知っている。けれども、知っていたからこそ漫画家としてやっていくつもりであることを言い出せないまま時が過ぎていくことになる。画家としてやっていくつもりがないことを知らせるのは、日高の期待を裏切ることになってしまうからだ。このあたりは誰にでも起こり得る話となっていて、明子の辛さが身に染みることになる。

©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
スパルタ式教育の効果?
私は日高式のやり方を見て、戸塚ヨットスクールのことを思い出した。このヨットスクールが有名になったのは、このヨットスクールで生徒たちが何人も亡くなることになり、経営者の戸塚宏が逮捕されたからだ。
戸塚ヨットスクールはスパルタ式教育で不登校や家庭内暴力に対して効果があるとされ、一種の更生施設みたいになっていたらしい。しかしやり過ぎの面があったのか、生徒が何人も死ぬことになり事件として取り上げられることになった。
この事件は当時はよくワイドショーなんかで取り上げられ、話題になっていた。生徒たちが何人も亡くなっているわけで、その点に関しては大いに問題があったことも確かなのだろう。しかしながら戸塚宏は逮捕されて刑期を終えた後も、テレビでスパルタ式教育の正しさを訴えたりもしていた。『朝まで生テレビ!』で戸塚宏がそんな話をしていたのを見た記憶があるけれど、その時はスパルタ式教育の効果というものを訴える戸塚の主張に対して賛意を示す人も多かったのだ。

©東村アキコ/集英社 ©2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会
本作の劇中では、ヤンキーだった今村(鈴木仁)が明子に誘われて日高の絵画教室に通うことになると、いつの間にか更生してしまうというエピソードもある。日高式のやり方はそういう人たちに効果覿面ということなのだろうか。本作はそこまでは言っていないけれど、日高のやり方が正しかったのかもしれないと思わせるところもある。
人はそんなに勤勉ではないし、ついついダラけてしまう。大学時代の明子もそんなものだろう。友達や彼氏(神尾楓珠)との楽しい時間に流れ、絵を描くことも疎かになり、漫画家デビューということも忘れてしまう。
もしかするとピカソみたいな天才は、自然にインスピレーションが湧いてきて、すらすらと絵を描けるのかもしれないけれど、多くの人はそんなことはない。明子が漫画を描くきっかけとなったのは、仕事を辞めたいという切なる思いがあったからだ。その切迫感がようやく明子に漫画を描かせることになるけれど、漫画を描くことは簡単ではないし楽しいことでもないのだ。
天才ではない凡人が改めて何か描こうとする。すると途端に何を描けばいいのかわからなくなり、そもそも自分には描きたいものなどないと悩むことになる。そうなると人は安易なところへと流れていくのかもしれないし、描くこと自体を諦めてしまうのかもしれない。
しかし日高みたいな人がいれば違ってくる。明子は日高の教室では絵を描くことができるのはなぜなのだろうと考えるけれど、それは日高がそこにいるからなのかもしれない。そこでは常に日高が𠮟咤激励して後押ししてくれる。日高は技術的なことはほとんど何も教えてくれないけれど、ただひたすら描かせる。しかもそれを半ば強制的にやらせることになる。とにかく余計なことは考えずに「描け」ということだけを言い続けるのだ。しかしながら、そういうやり方でしか身につかないことがあるのかもしれない。明子は知らず知らずのうちに日高から大きな恩恵を受けていたのだろう。
「親孝行したいときには親はなし」と言うけれど、恩返しも似たようなものだろう。日高はあっという間に病気で亡くなってしまう。それでも明子はそのことを漫画にすることで、彼女なりに恩師に対する感謝の気持ちを示したということになる。親孝行も恩返しもできていない身としては、身につまされるところがある作品だったかもしれない。
タイトルは「かくかくしかじか」というものだけれど、ずっと漫画を「描く」ということを続けている明子に対し、日高が「その通り(然り)」と受け応えしているようにも思えてきた。
ここまで一言も触れてないけれど、実はここで言いたかったことは永野芽郁がよかったということに尽きるかもしれない。もちろん日高を演じた大泉洋も忘れがたいし、『不死身ラヴァーズ』とは違う冷ややかな目を見せていた見上愛もよかった。それでも本作を引っ張っていたのは永野芽郁だった気がする。おおらかで能天気なキャラがとても似合っていて、見ていてほっこりするようなかわいらしさがある。どうも本作公開時期には世間を騒がせたらしいけれど、その騒動の真偽はともかくとして、それだけで(?)表舞台から放逐するには惜しい存在なんじゃないかと改めて感じた。




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