監督・脚本は『リアル・ペイン〜心の旅〜』のジェシー・アイゼンバーグ。日本では昨年の1月に劇場公開された初の長編監督作品。
主演は『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』のジュリアン・ムーアと、『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のフィン・ウォルフハード。
原題は「When You Finish Saving the World」。
物語
DV被害に遭った人々のためのシェルターを運営する母・エヴリンと、ネットのライブ配信で人気の高校生ジギー。社会奉仕に身を捧げる母親と、自分のフォロワーのことしか頭にないZ世代の息子は、いまやお互いのことが分かり合えない。しかし彼らの日常にちょっとした変化が訪れる。それは、各々ないものねだりの相手に惹かれ、空回りの迷走を続ける“親子そっくり“の姿だった……!
(公式サイトより抜粋)
親の心子知らず?
ジェシー・アイゼンバーグ監督の第2作『リアル・ペイン〜心の旅〜』がとてもよかったので、監督デビュー作の『僕らの世界が交わるまで』を観てみた。
『リアル・ペイン』の主人公はジェシー・アイゼンバーグが演じているデヴィッドだが、彼にはベンジーといういとこがいて、デヴィッドは彼に憧れている部分もあった。しかし、このベンジーは同時に“面倒なヤツ”でもあって、そこにはアンヴィバレントな感情があった。こういう点は『僕らの世界が交わるまで』とも共通している部分があると言えるだろう。
『僕らの世界』の主人公はエヴリン(ジュリアン・ムーア)と、その息子のジギー(フィン・ウォルフハード)という二人だ。この母と息子の関係にも、なかなか複雑でアンヴィバレントなものがあるのだ。
エヴリンは社会福祉活動に精を出している“意識高い系”の女性だ。彼女の仕事はDV被害者のためのシェルターの運営だ。原題となっている「When You Finish Saving the World」は、「世界を救い終えたら」といった意味であるわけで、これはエヴリンの今現在を示しているのかもしれない。
もちろんエヴリンが完全に世界のすべてを救っているわけではないけれど、エヴリンは困った人の助けになる仕事をしていて、それを誇りにもしている。それでもそれですべてが満足というわけでもなさそうだ。というのも、彼女の息子ジギーはエヴリンが願っていたようには育ってくれなかったところがあるからだ。
母エヴリンからすると息子のジギーはとても恵まれている。彼には何でもできる可能性があるにも関わらず、ジギーは自分の好きな狭い世界にしか目を向けていない。誰かの助けになろうとか、ボランティア活動とか、そんなことには関心がないのだ。エヴリンとしては、そこが何となく不満なのだろう。
エヴリンはジギーとの会話の中で、“善き人”という言葉を使っている。エヴリンは自身もそんな人になりたいと考えているし、息子にもそれを望んでいる。ところがその息子の興味はまったく別のものへ向っている。
ジギーは自分で作った曲をライブ配信して投げ銭を稼いだりしている。フォロワーが2万人もいるというなかなかの人気者だ。周囲にもそればかり吹聴しているところからすると、それがジギーにとって承認欲求を満たすための証になっているのだろう。
ただ、母親のエヴリンからすると、ジギーの曲はティーンのための曲でしかなく、中身は何もない空虚なものということになる。極端に言ってしまえば、エヴリンは自分のやっていることは「高尚で正しいもの」で、ジギーのやっていることがとても「くだらないもの」に見えているのだ。

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反発しつつも憧れる?
エヴリンとジギーの関係はなかなか複雑だ。二人は揃って、旦那(父親)から「自己愛が強すぎる」と非難されたりもしていた。実は似た者同士でもあるのだ。これに関して言えば、自分の表彰式に二人が来てくれなかったと言って責める父親自身も「自己愛が強い」とも言えるけれど、とにかくエヴリンとジギーは似た者同士であるからこそ、ジギーは母に対して反発している部分もあるのだ。
エヴリンは困った人の味方をしつつも、どこかで白人中流階級の特権意識みたいなものが透けて見えるところがある。クラシックを聴いてワインで乾杯しているあたりがそうで、ジギーはそれを「偽善的だ」と指摘したりもする。実はジギーがそんなことを遠慮なく言えるのも、母親に対する甘えがあるからでもあるのだろう。
しかし厄介なのは、ジギーは母親に反発しつつも、どこかで敬意を抱いているところがあるからだろう。ジギーが憧れているのはクラスの“意識高い系”の女の子ライラ(アリーシャ・ボー)で、彼女は政治や環境問題に敏感でしっかりとした自分の意見を持っている。ジギーはカッコいいライラと仲良くなりたくて堪らないのだが、そのライラはまるでエヴリンとそっくりなのだ。ジギーは心のどこかで母親エヴリンに対して憧れのようなものを抱いているところがあるのだ。
一方でエヴリンは息子のジギーが自分が望むような息子になってくれないと感じ、それをほかの人に投影することになっていく。その対象がシェルターに入所してくることになったカイル(ビリー・ブリック)だ。カイルは父親からDVを受けた母親を守って、一緒にそこに逃げてきた青年だ。カイルはジギーとは違って、母親に対する愛情に溢れている。エヴリンはそこにジギーにはないものを感じ、カイルに入れ込んでいくことになる。

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理想を実現した先で
私は『リアル・ペイン』のデヴィッドとベンジーの関係を、現実的な姿と理想像のように感じたのだが、『僕らの世界』にも同じような構図があるように見えた。
『僕らの世界』においては、エヴリンはカイルに理想の息子像を見出している。そして、ジギーも母親エヴリンに反発しながらも、実はどこかで憧れの部分も感じている。これも一種の理想像とも言えるだろう。
ジギーの承認欲求は動画配信のフォロワー数によって満たされていたけれど、本当はもっと賢くなりたいという気持ちも持っていた。ただ、それにはエヴリンが言うように“近道”はないわけで、今のジギーには無理ということになるかもしれない。そんなわけでジギーはライラに見限られることになる失敗をしてしまう。
私は、ジギーは密かにエヴリンを理想像として見ていると記したけれど、理想像たるエヴリンもジギーと同じように失敗することになる。エヴリンは困った人の助けになる仕事をしていて、シェルター利用者たちからは感謝の言葉をかけられたりもする。その意味では「世界を救い終えたら」という状態にあるとも言える。
エヴリンは“善き人”になりたいがために、福祉の仕事をしている。その善意は多くの人のためになっているけれど、時にそれが暴走してしまうこともある。エヴリンはカイルに入れ込み過ぎて、彼に自分の善意を無理に押し付けることになってしまうのだ。カイルはいい人だから丁寧にそれを拒否することになるけれど、言ってみれば“ありがた迷惑”ということだろう。
エヴリンは自分の理想としている仕事を実現しているわけだけれど、その先に別の落とし穴があったということになる。この点でも『リアル・ペイン』と共通しているものがあったんじゃないだろうか。

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『リアル・ペイン』のベンジーは、主人公デヴィッドの理想像でもあった。それでもベンジーは感受性が豊かすぎて、現実社会をうまく生きられないところがあったのだ。
人は自分の理想像をほかの人に投影することになる。あんなふうになりたいという像を、ほかの人の姿に見出すのだ。ところがそうした理想像たる人には、別の生きづらさみたいなものがある。理想を実現した先で、別の現実にぶち当たるとでも言うべきだろうか。ある人にとっては理想像でも、その当人にとっては別の問題もあるということだろうか。そういう部分で『リアル・ペイン』と『僕らの世界が交わるまで』は通じ合うものがあった気がする。
『僕らの世界が交わるまで』は地味な作品だけれど、音楽の使い方などとても考えられていたと思う(フィン・ウォルフハードの自作曲もよかった)。ラストはあっさりしているけれど、クドクドしいよりは好印象だし、失敗を機に反省してすれ違っていた世界が交わるというのもわからないではない。上映時間が90分以内というのもいい。
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