監督・脚本はローラ・ワンデル。長編作品としては本作が第1作とのこと。
カンヌ国際映画祭では国際批評家連盟賞を獲得した。
原題は「Un monde」。
物語
7歳のノラが小学校に入学した。しかし人見知りしがちで、友だちがひとりもいないノラには校内に居場所がない。やがてノラは同じクラスのふたりの女の子と仲良しになるが、3つ年上の兄アベルがイジメられている現場を目の当たりにし、ショックを受けてしまう。優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、なぜかアベルは「誰にも言うな」 「そばに来るな」と命じてくる。その後もイジメは繰り返され、一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラは、やり場のない寂しさと苦しみを募らせていく。そして唯一の理解者だった担任の先生が学校を去り、友だちにのけ者にされて再びひとりぼっちになったノラは、ある日、校庭で衝撃的な光景を目撃するのだった……。
(公式サイトより抜粋)
学校という名の「世界」
『Playground/校庭』は、主人公であるノラ(マヤ・ヴァンダービーク)の目線に寄り添って描かれる。冒頭、初めて学校に登校したと思しきノラは、怖くて兄のアベル(ガンター・デュレ)に抱きついて泣き出してしまう。何だかよくわからないまま、行きたくもない「学校」という知らない場所へと放り込まれる恐怖なのだろう。
原題は「Un monde」で、これは「世界」を意味する。本作における「世界」というのは、邦題にもなっている「校庭」のことであり、「学校」そのものということなのだ。というのも、本作ではノラの自宅での描写は一切登場しない。初めて登校した校庭の場面から始まり、すべては学校内部の出来事であり、外部の世界のことはまったく描かれないのだ。本作はそんな学校の世界を、ノラの目線に即して描いていく。
与えられた場所によって、人は立場が変わったりするし、その態度も大きく異なったりもする。多分、自宅でのアベルは、ノラにとっては年長者として頼りになる優しいお兄ちゃんだったのだろう。ところが学校でのアベルはちょっと違う。休み時間に一緒に遊ぼうとしても、「そばに来るな」と冷たく突き放されてしまう。そんなお兄ちゃんは初めてだったから、ノラとしては戸惑うことになる。
それでもノラもすぐに気づくことになる。アベルは学校でいじめられているのだ。背の高い同級生が中心となってアベルを攻撃し、身体が小さいアベルはまったく対抗できないのだ。自宅にいるお兄ちゃんとは違う姿が、学校にはあったのだ。ノラは戸惑いつつも、大好きなお兄ちゃんを助けようとするものの、その行動は余計にいじめを助長することになってしまい……。

©2021 Dragons Films/ Lunanime
テーマと一致した手法
本作は、その手法がバッチリと決まっている。予告編などでも宣伝されているように、「学校版『サウルの息子』」であるかのような手法となっているのだ。
『サウルの息子』は、極端に被写界深度の浅いカメラを使い、主人公が視野狭窄の状態に陥っていることを表現していた。この作品の舞台はアウシュビッツ強制収容所であり、主人公はそこで死体処理の仕事に励んでいる。彼の周囲には見たくないような光景が広がっているわけで、それを表現するための手法だったと言える。
『Playground/校庭』も同様の手法を使っている。ノラの場合は、初めての学校という世界に対して、自分自身の心を開けずに閉じこもっているという精神状態を表現している。それが被写界深度が浅い映像によって表現され、ノラだけに焦点が当たり、彼女以外の世界にはピントが合わない状態になっているのだ。
ノラはそれまでは慣れ親しんだ家族の中だけで暮らしてきたのだろう。それが突然見ず知らずの大勢の子どもたちと一緒の世界に放り込まれ、自分の殻の中に閉じこもってしまっているのだ。
本作はこんなふうにノラの撮り方そのもので、ノラにとっての世界というものを表現していく。カメラはノラの目線の位置で固定されていて、大人たちの姿は足元ばかりが映ることになる。たとえば父親や先生がノラの世界に現われることになるのは、大人のほうがノラの目線に寄り添うように腰を落とした時だけなのだ。
先ほどは、ノラが「自分の殻の中に閉じこもって」いると記したけれど、それは学校に慣れてきて友達もできてくると次第に変化が見えてくる。それまで隣の友達の顔すらぼやけていたものが、次第に周囲の友達にもピントが合うようになっていくのは、ノラにとっての世界が少しずつ広がっていくことを示しているのだ。そうした点で、本作は描こうとしているテーマと選択した手法がバッチリと決まっていたと思う。

©2021 Dragons Films/ Lunanime
残酷な世界
本作は残酷な学校世界を描くことになる。ここではいじめが起きている。いじめっ子がなぜそんなことをするのかはまったくわからないけれど、アベルはそのターゲットとなり地獄のような日々を送っている。ノラはそれを目撃し、とにかくお兄ちゃんを助けたいという一心で最初は行動する。ところがそれによって余計にいじめが悪化することを学ぶ。
学校では色々なことを学ぶ。知らなくていいことも知ることになる。家では頼りのあるお兄ちゃんは、学校ではいじめられる存在だったし、“専業主夫”という立場の父親というのは世間的には普通ではないことも知る。自分の家だけで過ごしていたとしたら気づかないけれど、社会の中で生きていくことを考えれば「いつか行く道」だったのかもしれない。
そうした中で、アベルに対するノラの感情も様々に変化していくことになる。「見て見ぬフリ」でやり過ごそうとしてみたり、いじめられっ子に同情することが自分に不利益になることを知ると、大好きだったお兄ちゃんを否定するまでになる。このあたりの描写はリアルでもあるし、痛々しくもあり、観ている側としてもキツいものがあった。

©2021 Dragons Films/ Lunanime
本作は72分という中編程度の上映時間なのに、なぜか体感時間がとても長く感じるのは、本作で描かれる世界があまりに残酷だったからかもしれない。正直に言えば、ラストは一応それらしく終わることになるものの、根本的には何も解決してないようにも見え、学校の実態を描いたところまでで終わってしまっているような気もした。もしもその先を見せてくれたならば、文句はなかったのだけれど、それと同時にそんな簡単に片付くものでもないのだろうとも感じられて、ちょっと複雑な気持ちになった。
監督のローラ・ワンデルはすでに次回作『L’intérêt d’Adam』も決まっているようで、ベルギーの大先輩であるダルデンヌ兄弟がプロデュースを務めるのだとか。ダルデンヌ兄弟の作品はいつも主人公をカメラが追い回すような形になっているし、『Playground/校庭』のカメラがずっとノラと対峙していくスタイルだったのは、どこかで似ている部分もあるのかもしれない。次回作も気になる作品になりそうだ。
ここまで書き終えた後に、かつて自分で書いた『ロゼッタ』のレビューを読み返してみたら、『ロゼッタ』でも主人公の裏切りが描かれるし、主人公が「自分の殻に閉じこもっている」とも記載されていた。ふたつの作品はテーマとしても似ている部分があるのだろう。ダルデンヌ兄弟もローラ・ワンデルに対して親近感を覚えたのだろうか?
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