監督は『シックス・センス』や『ノック 終末の訪問者』などのM・ナイト・シャマラン。
主演は『ブラックホーク・ダウン』などのジョシュ・ハートネット。
物語
溺愛する娘ライリーのために、彼女が今夢中の世界的アーティスト、レディ・レイブンが出演するアリーナライブのプラチナチケットを手に入れたクーパー。父親と会場に到着したライリーは、最高の席に大感激。遂にライブが幕を開け、3万人の観客が熱狂に包まれる中、彼は異変に気付く。異常な数の監視カメラ、会場内外に続々と集結する警察…普通ではない。口の軽いスタッフから「ここだけの秘密」を聞き出すクーパー。指名手配中の切り裂き魔についてタレコミがあり、警察がライブというトラップを仕組んだという。だが、その世間を騒がす残虐な殺人鬼こそ——優しい父親にしか見えないクーパーだった!
(公式サイトより抜粋)
ツッコミどころが多すぎて
M・ナイト・シャマランの最新作となると、どうしても何かやってくれそうと期待してしまう。もちろんそれはスカされたりもしたけれど、『トラップ』の場合は色々とツッコミどころが多すぎて困ってしまった。
退屈な映画なのではない。観ている間は「次はどうなる?」と引き込まれるのだが、終わってみれば騙された感が強いのだ。シャマランは勝算があって本作に取り組んだのだろうか。そんな気持ちにすらなってしまう映画だった。
舞台となるのは世界的アーティストのライブ会場だ。主人公クーパー(ジョシュ・ハートネット)は娘のライリー(アリエル・ドノヒュー)と一緒にライブを楽しむつもりでやってくる。ライリーはレディ・レイブンの大ファンですでに興奮が収まらない様子で、そんな娘のことを微笑ましく見守るクーパーなのだが、実はそのクーパーこそが世間を騒がす残虐な殺人鬼だった。
クーパーが殺人鬼であることは予告編でも仄めかされているし、公式サイトの文章にもしっかりと記載されていることでありネタバレというわけではない。『トラップ』はそこから先が見どころということになる。
ライブ会場は約300人の警官が包囲していて、たった1人のサイコキラーを狙っている。クーパーもあまりの物々しい警戒に、会場の様子がおかしいことに気づく。口の軽い関係者から情報を聞き出すことになり、自分が警察が仕込んだ罠にハマってしまったことに気づくのだ。
娘を愛する父親としての家族サービスだったはずのライブが一転し、クーパーのもう一つの顔であるサイコパスであることがバレてしまう瀬戸際に立たされることになってしまうわけだ。クーパーは何とかしてそこから脱出することを考えることになるのだが……。
親バカのシャマラン
ツッコミどころを並べれば限りないほどあるのだが、最初の設定からしてちょっとあり得ないのかもしれない。「フラッグシップ作戦」という本作がモデルにしているアメリカで実際にあった伝説的な警察の作戦がある。指名手配犯にアメフトの無料チケットを送り、そのエサに引っかかって会場にまんまと現れた犯人たちが一網打尽にされたという作戦だ。
「フラッグシップ作戦」の場合、実際にはアメフトの試合はなかったのだろうし、現れた人をすべて逮捕するだけの間違いのない作戦だったのだろう。ところが本作の場合は、警察が狙っているクーパーの情報は曖昧で、最終的には会場にいる男性約300人を片っ端から逮捕すればいいというかなり大雑把な作戦になっているのだ。
会場にやってきているのは有名アーティストのライブを観るために大金を払って集まってきている観客なわけで、最初の設定からしてかなり無理がある。まあ、それは措くとしても、ライブ会場でライブを観ることもなく歩き回ってばかりのクーパーはすぐに警察に目をつけられそうな気もするのだが……。
さらなるツッコミどころとしては、シャマランの親バカぶりがあるだろう。実は本作で有名アーティストという設定のレディ・レイブンを演じているのは、シャマランの長女であるサレカ・シャマランなのだ。サレカ・シャマランは実際にアーティストでもあり、本作のライブで歌われている曲は彼女が作ったものだ。
本作は前半はライブ会場が舞台となり、後半ではそこから抜け出してからの話になるわけだが、この前半が結構長い。すでにクーパーは絶体絶命の状態で逃げられそうにないわけで、それ以上の展開はないにも関わらずライブシーンが続いていくのは、本作がサレカ・シャマランというアーティスト自体のプロモーションを兼ねているからだろう。親バカのシャマランは長女のために一肌脱いだということなのだ。
ちなみに次女のイシャナ・ナイト・シャマランは、映画界での父の威光もあって『ザ・ウォッチャーズ』ですでに監督デビューをしているわけで、父シャマランとしては長女のサレカにも何かしてやらなければならないという気持ちに駆られたのかもしれない。
クーパーは超能力者?
クーパーはライブ会場を脱出することに成功するわけだが、この後半のほうが展開が読めなくてハラハラさせられる。クーパーは最終的には自分が殺人鬼だと打ち明け、レディ・イレブンに脅しをかけることになる。なぜクーパーがある被害者をいつでも殺せるように準備していたのかは謎だが、そこは措くとしてもクーパーは超能力者なんじゃないかと思うほど、いつの間にかに警察の目をすり抜けてしまうシーンが連発していく。ここが一番のツッコミどころだという気がする。
ライブ会場の中では、クーパーが売店を覗き込んでいると、次のカットではフライドポテトを揚げるコンロの温度を上げるクーパーの手がアップになる。そして、売店の中に入るシーンさえないのに、いつの間にかに油の中にはビンが仕込まれており、それが爆発することになって大騒ぎになるのだ。
クーパーが包囲された自分の家から脱出するシーンも、一応は隠れた脱出口があったと説明されるけれど、いつの間にかにクーパーは逃げ出している。さらにクーパーはレディ・イレブンのリムジンに警察のフリをして乗り込んでしまう。それだけだって驚きなのだが、街中で群衆に囲まれて絶体絶命だったはずなのに、次のカットではなぜか瞬間移動したかのようにクーパーは群衆に紛れて逃げ出すことになるのだ。
常識的にはまったくつながらないのだが、シャマランはそれを平気でやっている(編集がヘタというより、無理があるからこそ強引なのだろう)。だとすればクーパーはもしかしたら瞬間移動でもできる超能力者なんじゃないだろうか。そんな邪推すらさせることになり、私は本作が実は超能力者たちが登場する『アンブレイカブル』シリーズにつながっていくんじゃないのかとすら疑っていたのだ。とにかくそのくらい変なことが連発しているのにも関わらず、その点に関してはまったくスルーのまま終わってしまったものだから唖然としたのだ。
結局、騙されたのはこんな映画を観に行ってしまった観客で、罠にかかったのは観客だったというのが本作なのだ。とはいえ、意外とシャマラン・ファンは寛大なのか、そうしたツッコミどころを楽しんでいる人も多いみたいだけれど……。
本作はシャマラン得意の「どんでん返し」がないなどとも言われている。それが新機軸だとも言えるのかもしれないけれど、キモとなるネタがないにも関わらず、娘のために“何か”が起きそうな雰囲気だけで強引に突き進んでしまったんじゃないかとすら思えた。
それから母親の幻影というトラウマとか、ふたつの顔という設定など、色々と深掘りできそうなネタもあるのにもったいない気もした。クーパーの顔がスクリーンの端に捉えられ、顔の半分だけが見えているシーンなど面白い構図だったし、その半分の顔が「ふたつの道がひとつに(殺人鬼の顔と娘を愛する父親の顔がひとつになるという意味だろう)」という台詞にも関わってくるなど、冴えている部分もあったのだけれど、全体的には全然ダメだった。
それでもジョシュ・ハートネットはサイコパスを好演していて、そこが一番の見どころかもしれない。かつては結構な大作に出ていたイメージだったのだが、しばらく見かけなかったと思っていたのだが『オッペンハイマー』には出ていたらしい。人気絶頂の頃に彼が主演した『O〔オー〕』というシェイクスピア劇の映画化があったのだが、これが酷く退屈だったなんてことを思い出したりもした。
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