原作はロランス・コセによる小説『新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ』。
監督・脚本は『ブレスレット 鏡の中の私』のステファン・ドゥムースティエ。本作は長編第4作とのこと。
主演は『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のクレス・バング。
原題「L’inconnu de la grande Arche」。
物語
1983年、パリ。ミッテラン大統領はフランス革命200周年を祝う新モニュメントの建設を構想していた。国際設計コンペで選ばれたのは、無名のデンマーク人建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン。イタリア・カッラーラ産の大理石によるキューブ状のアーチと、そのふもとに雲のような屋根が浮かぶ大胆なプランは、大統領の心を射止め、彼を一夜にして時の人にした。しかし、完璧を追い求める彼の前には、予算や政治的圧力、周囲の思惑が立ちはだかる。理想を貫くか、現実に折り合いをつけるか。巨大プロジェクトの渦中で、一人の建築家が下す“ある決断”とは――。
(公式サイトより抜粋)
新凱旋門とは?
フランスには行ったこともないし特段詳しくもないけれど、パリの街が凱旋門を中心に設計されているという話を何かで読んだ気がする。凱旋門が実際のパリの中心なのかはともかくとして、凱旋門を中心にして道路が放射状に広がっていくところからそんな言い方になったということなのだろう。
『新凱旋門物語』はその有名なエトワール凱旋門ではなく、新凱旋門というものがどんな経緯で誕生したのかといった話になっている。新凱旋門というものがあることすら知らなかったのだけれど、この建築物はミッテラン大統領がフランス革命200周年を祝うものとして構想したものらしい。これはフランス語で「la grande Arche(グランダルシュ)」という名前で、日本では「新凱旋門」と呼ばれることが多いらしい。
劇中には「パリの歴史軸」という言葉が出てくる。Wikipediaによれば、「フランスの首都パリの中心部から西部にかけて、歴史的建築物、記念碑、道路などが一直線上に並んでいる部分を指す」のだという。東端にはルーヴル美術館ガラスのピラミッドがあり、中心には凱旋門があり、その西の端に位置するのが新凱旋門ということになる。
この「パリの歴史軸」というものがどんな考えに基づいているのかについての解説はなかったけれど、Wikipediaによれば「軸線を強調するのは17世紀以降のフランス式庭園の特徴」ということらしいので、パリの街を大きなフランス式庭園に見立てているということなのかもしれない。
劇中のミッテラン大統領は「パリの景観の責任者は自分だ」みたいなことを言っていて、新凱旋門を作ることで「パリの歴史軸」というものを完成させようといった考えがあったということなのだろう。

©2025 AGAT FILMS, LE PACTE
無名のデンマーク人建築家
コンペティションで選ばれたのはキューブ型の建造物だ。さぞかし有名な建築家のデザインなのかとマスコミも興味を抱いていたのだが、選ばれたのは誰も知らないデンマークの人物だった。
そのヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン(クレス・バング)は、デンマークで建築を教える仕事をしたりもしているけれど、実際に作ったものは自宅と4つの教会だけだ。そんな無名の建築家が巨大プロジェクトを任せられることになるのだ。
これまでオットーがやってきた仕事はすべて自分だけでコントロールできるような規模だった。設計から施工まで隅々にまで目を配ることができたし、自分だけの判断ですべてを決めることができる。だからこそ理想の建築物を作ることができた。ところが巨大プロジェクトの場合はそう簡単にはいかなくなってくる。
設計したものを実現するためには様々なハードルが待ち受けているのだ。オットーにとっての顧客であるミッテラン大統領(ミシェル・フォー)の構想を実現しつつも、費用は予算内に収めなければならない。さらには技術的にも様々な問題が持ち上がってくる。そういうハードルがオットーを追い詰めていくことになる。

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理想と現実の間
『新凱旋門物語』の原題は「L’inconnu de la grande Arche」というもので、これは「グランダルーシュの無名の人」といった意味だ。つまりは新凱旋門のデザインをしたオットーのことを示している。
公式サイトにはいつも通り様々な著名人がコメントを寄せている。たとえば、映画についての本も数多く書いている川本三郎は「建築家は芸術家であると同時に技術者でもある」とコメントしている。また、映画監督の周防正行は「建築家と映画監督は似ている」と語っている。
どちらも同じことを言っているのだろう。建築も映画も、頭の中で思い描いたデザインがそのまま実現できるわけではない。理想と思われるものを現実化する時、技術的な問題にぶち当たることもあるし、多くの人が関わる仕事だけに自分だけの考えで推し進めることで無理が生じたりする。理想と現実の間に大きな差が生じてしまうことになるのだ。
※ 以下、ネタバレもあり!
オットーとポールの違い
新凱旋門の設計者はオットーだ。しかし彼ひとりだけで巨大プロジェクトを進めるには無理がある。そこには様々な人が関わることになる。大統領の手下として関わるのが官僚であるシュビロン(グザヴィエ・ドラン)だ。彼は予算を管理し、計画の進行状況を監督するような役目をする。
巨額な予算が動く仕事だけに、良からぬ人物がオットーに近づいてきたりもする中で、すでにシャル・ル・ドゴール空港などを建築したという有名建築家であるポール・アンドリュー(スワン・アルロー)がオットーに協力を申し出る。ポールはオットーが設計したキューブの姿に感動して、それの実現のために手を貸したいと言うのだ。ポールは施工責任者としてそのプロジェクトに参加することになる。
オットーとポールはこのプロジェクトの中で親交を深めるものの、同時に何度もぶつかることになる。二人の関係は建築家の理想と現実というものを示しているのだろう。あるいは別の言い方をすれば、芸術家と技術者という関係でもあるのかもしれない。
オットーはキューブを自分のライフワークだとして、その理想の追及にこだわる。完璧に平らなガラスでキューブを覆いたいという要望は、ポールからすれば実現不可能な話ということになる。フランスでは禁止されている技術を使わなけばそれは無理だからだ。
大理石の選択も問題となる。ミッテラン大統領は夕方になると夕日が当たってピンク色に輝く大理石を求めている。オットーはそのためにイタリアまで出向き、かつてミケランジェロがピエタに使ったという大理石を選ぶことになる。ただ、この石を使うと予算は膨大に跳ね上がることになる。
さらに巨大プロジェクトの発案者だったミッテラン大統領が選挙で負けることになり、予算は縮小を余儀なくされることになってしまう。オットーはその仕事をライフワークだと考えていたわけで、その理想が次第に崩れていくことに疲弊していくことになる。
一方で施工責任者のポールはもっと現実的だ。ポールは若い時から建築家として活躍してきた人物だ。その中で理想が崩れていく過程にも何度もぶち当たっている。だから現場の状況に何とか対応しようとする。現実的に何が可能かというところを考えるのだ。

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芸術至上主義が招いた結末?
オットーはこのプロジェクトに関わったことで次第に疲弊していく。そして、仲睦まじかった奥様(シセ・バベット・クヌッセン)との関係にもヒビが入ってしまう。彼はそこでようやく自分にとって大切なものが何かということに気づいたということなのだろう。オットーはプロジェクトからの離脱を選択し、奥様を取り戻すほうを選ぶことになる。
ちなみに本作は実際に起きた出来事ではあるけれど、原作はそれを元にした小説だ。オットーはもちろんのこと、ポールという建築家も実在の人物だ。しかしながら映画の冒頭に示されるように、奥様の役割や夫婦間の台詞などは創作ということらしい。
オットーは最終的には自分の大切な物を守るために、プロジェクトから離脱することになったのだ。新凱旋門は彼にとってのライフワークではあるけれど、それは奥様とオットーとの関係には何の関わりもないことだと気づいたというわけだ。
それでもそれまでの疲弊が祟ったということなのか、オットーは新凱旋門の完成を見ずに、その未完成の姿を遠くから眺めるパリの片隅で倒れ、誰にも知られぬままに亡くなってしまうのだ。
芸術家の狂気というテーマでは、たとえば芥川龍之介の『地獄変』という短編小説があった。この小説の主人公は、芸術のために自らの大切なものをも犠牲にすることになる(この解釈には異論もある)。いわゆる芸術至上主義というヤツだ。
オットーも最後に宗旨替えをすることにはなるけれど、芸術というものに入れ込み過ぎた結果、身を滅ぼしてしまったということだろうか。妙に虚しさが残るラストだった。
本作では完成した新凱旋門の姿は登場しない。オットーもその完成形を見られなかったわけで、これも意図的なものなのだろう。ただ、スクリーンサイズがスタンダードサイズになっていて、ほぼ四角の形になっているところは、新凱旋門がキューブと呼ばれていたことを意識しているのだろう。最終的にポールが完成させた新凱旋門が、実際にどんなものになっているのかは観客が現地で確かめてほしいということかもしれない。
脇役ではあるけれど、グザヴィエ・ドランが官僚のシュバリエをコミカルに好演している。ドランは一時「監督業を諦めた」とか発言していたのだとか。最近は役者として『ある少年の告白』とか『幻滅』などに顔を出していたけれど、それは映画監督を一時断念していたからだろうか。尤も、今では復帰作を構想しているらしいので、そのうちまた新作が観られることになるのかもしれない。






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