『サブスタンス』 ありのままがいい

外国映画

監督・脚本は『REVENGE リベンジ』コラリー・ファルジャ

主演は『セント・エルモス・ファイアー』などのデミ・ムーア

原題は「The Substance」。

物語

元トップ人気女優エリザベスは、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。
接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。
一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ―。

(公式サイトより抜粋)

「永遠に美しく…」?

最近の世の中には確実なものはあまりないかもしれないけれど、未だに変わらず確実なこともある。それは人は永遠に生きられないということであり、誰しも年を取るという事実だろう。『サブスタンス』が描いているのは、それに抵抗しようとした女性の姿ということになる。

エリザベス・スパークル(デミ・ムーア)はかつて女優として名を馳せ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにも名前が彫られているほどだ。しかし、それもかつての栄光とも言える。

現在の仕事は、長く続いているエアロビ番組のみだったのだが、50歳の誕生日を迎えたことをきっかけに、エリザベスはその番組をクビになってしまう。プロデューサーのハーヴェイ(デニス・クエイド)は番組の若返りのために、二代目のエリザベス・スパークルを探していて、初代のエリザベスは「お役ゴメン」ということになったのだ。

人から見られる仕事をしている女優やモデルといった人たちにとっては、加齢による容姿の衰えというものは必ずぶち当たる壁みたいなものなのかもしれない。とはいえ、「永遠に美しく…」というのは無理な相談なわけで、どこかでそんな自分を受け入れる必要があるのだろう。しかしながら世間のルッキズムというものは、エリザベスに「永遠に美しく…」ありたいと願わせることになり、彼女はある場所で知った再生医療<サブスタンス>に手を出すことで、人生を変えることになるのだが……。

©2024 UNIVERSAL STUDIOS

母体と分身

<サブスタンス>の効果は驚くべきものだった。最初にエリザベスがその薬を打つと、エリザベスの背中を割ってスー(マーガレット・クアリー)と名乗ることになる女性が現れる。母体となるエリザベスから、分身であるスーが誕生したのだ。ただ、運営側から念を押されることがあり、それは「REMEMBER YOU ARE ONE(忘れるな あなたたちは一人だ)」ということだ。

二人は7日間ごとに役目を交換しなければならない。スーが行動している時、エリザベスは死んだように眠っている。そして、一週間後に二人の役割を交換し、エリザベスが行動し、スーは眠り続けることになる。このバランスさえ崩れなければ、<サブスタンス>の効果は維持されていくことになるらしい。

ところが新しく生まれたスーとしては、若い身体を手に入れたことが嬉しくて堪らない。そうなると欲張ってしまったりもする。そうして片方がバランスを崩すと、それは悪影響を及ぼす。スーが欲張った分は、母体であるエリザベスから搾取される形になる。スーが若い時間を楽しむことで、エリザベスからさらに若さが奪われることになるのだ。

エリザベスとスーは、母体と分身とは言いつつも、互いが眠っている時に起きていることを知ることはできない。それぞれが節度を守って行動すれば、二人の関係は長く続いたのかもしれないのだが、「そうは問屋が卸さない」ようだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

©2024 UNIVERSAL STUDIOS

スポンサーリンク

 

敵はかつての自分?

面白いのは二人は、最初は母体からスーが生まれたものの、それ以降は別の身体になってしまい、記憶も共有されないところだろう。それぞれが別人のようになってしまうのだ。だから互いのことを思いやることもできない。というよりは、二人は次第に敵対関係のようになっていく。

二人の違いは劇中でもかなり強調されている。かさついた肌のエリザベスに対し、生まれたてのスーの肌はつやつやと輝いている。エリザベスの番組はスーから「ジュラシック」などと古臭いことを揶揄されるけれど、一方で二代目のエリザベス・スパークルを名乗ることになったスーの番組は、ピンク色のポップなイメージでキラキラと輝いている。

エリザベスは若返りを望んだわけだけれど、その自分は母体として元のままだ。さらにはスーが欲張った分、老化が加速するわけで、自分の家の前にお目見えしたスーの巨大看板を前に、スーに対する苛立ちばかりが募ることになる。

それでもエリザベスが<サブスタンス>を止めることができないのは、元に戻っても何も変わらないと感じていたからだろうか。しかしながらエリザベスはスーのことをコントロールすることもできないわけで、二人のバランスはどんどん崩れていくことになる。

エリザベスはスーに嫉妬している。かつての同級生に会うためにオシャレをして出かけようとするものの、スーの美貌を前にすると、今の自分の姿がみすぼらしく見える。何度も化粧を直しても、スーのようになれるわけもないのだ。自分が与えたはずの若さをスーだけが享受し、エリザベスはそれを傍から見守るほかない。そうなると二人は互いが邪魔になっていくのだ。

スーはエリザベスの「上位互換」ともされるけれど、要はかつての若かりし頃のエリザベスということなのだろう。だとすれば、エリザベスはかつての自分に対して嫉妬し、敵意を剥き出しにしているということになる。逆に、スーからしても未来の老いた自分であるエリザベスが敵に思え、母体のことなど無視して自分の時間を貪るようになっていく。

©2024 UNIVERSAL STUDIOS

ありのままがいい

『サブスタンス』はいわゆるボディ・ホラーというジャンル映画ということになるのだろう。特に後半になってくるとその傾向が顕著になってくる。主演のデミ・ムーアは化粧直しのやり過ぎで赤鬼みたいな顔になってみたり、さらに加齢が進んでほとんど老婆になり、最終的にはあのゴラムみたいな姿になり果てる。

正直、最初はやり過ぎなんじゃないかとも思った瞬間もあった。特に<サブスタンス>の過剰摂取によってスーがゲテモノと化してくるあたりだ。スーがそれを取り繕うために選んだのは、母体であるエリザベスの顔のお面を被ることだ。

このシーンは悪い冗談でしかないのだけれど、そこから先がさらにぶっ飛んでいて、キャッチコピーにある「阿鼻叫喚」というよりは、もはや笑うほかないといった感じだったのだ。しかしながら、そこまで徹底的にやってくれると許せる気がしてくる。『キャリー』のような惨劇と、『遊星からの物体X』めいたクリチャーの登場というパロディまで見せてくれたわけで、最後は爽快さすら感じた。

オリジナリティがあるというのではない気はするけれど、何しろ外連味たっぷりでテンポのいい描写がいい。ダーレン・アロノフスキー作品の細かいカットのつなぎ方を「ヒップホップモンタージュ」などと言ったりもするらしいのだが、あんなテンポのつなぎ方に極端なアップの画を混ぜ込んでグロテスクさを演出している。真っ黄色なコートと空のブルーなど、ビビッドな色遣いも特徴的だろう。

監督のコラリー・ファルジャは、男に対して女が復讐するらしい『REVENGE リベンジ』でデビューしたフランス出身の女性だそうで、男性からの目線に対する皮肉もかなり効いている。ゲテモノと化したスーが生放送のステージに登場するラストで、スーが捻り出したものは“おっぱい”みたいな何かだった。プロデューサーのハーヴェイ以下、男性陣が望んでいるのは「これだろう?」という皮肉なのだ。

最初は、スーがなぜそんなグロテスクな姿を人目にさらしたいのかとも思っていたのだが、あんな姿になってもそれが現在の「ありのまま」だからということなのだろう。「ありのまま」がいいということにようやく気づいたのだ。本当は、元のエリザベスのままで居続けることがよかったのだろうけれど、良かれと思ってやったことが惨劇を招くことになる。悲しいことに自分で失敗してみなければ、何事も学ばないというのが人のさがというものらしい。

デミ・ムーアは20代前半の時に出演した『セント・エルモス・ファイアー』(1985年)でブレイクしたわけで、今ではかなりの年齢だが、本作ではありのままの姿を曝け出して奮闘している(マーガレット・クアリーのほうはボディ・ダブルだったようだが)。ゴラムのような姿で走り回るエリザベスのしぶとさには笑うほかなかった。

ちなみにデミ・ムーアが『セント・エルモス・ファイアー』で共演している(同じ場面には出てなかった気がするけれど)アンディ・マクダウェルの娘さんがマーガレット・クアリーということらしい。それ考えると、デミ・ムーアの頑張りっぷりも際立つかも。

コメント

タイトルとURLをコピーしました