監督・脚本は『アンカット・ダイヤモンド』などのベニー・サフディ。今回の作品はサフディ兄弟としてではなく、ベニー・サフディの単独初監督作品。
主演は『ブラックアダム』のドウェイン・ジョンソン。
ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した。
原題は「The Smashing Machine」。
物語
1997年の総合格闘技デビュー以降、無敗のまま頂点へと駆け上がったマーク・ケアー(ドウェイン・ジョンソン)。UFCでの連覇を経て、日本のPRIDEでも快進撃を見せると「霊長類ヒト科最強の男」の異名で恐れられる存在となる。しかし勝利を重ねるほどに、その重圧は彼の心を静かに浸食。同棲する恋人ドーン(エミリー・ブラント)との関係も次第に悪化していき、鎮痛剤への依存を深めていく。やがて初めての敗北を喫した“最強の男”は、ついに自らの弱さに向き合い、人生の再起をかけもう一度リングに挑むことを決意する――。
(公式サイトより抜粋)
霊長類ヒト科最強の男
格闘技がもっと人気だった時代があった。その頃はテレビでK-1やPRIDEが見ることができたし、大晦日の格闘技特番も高い視聴率を獲得していた。『スマッシング・マシーン』の主人公マーク・ケアーは、PRIDEの黎明期に活躍した選手だ。
私もマーク・ケアーのいくつかの試合はテレビで見たことがあったと思う。「霊長類ヒト科最強の男」というキャッチ・フレーズは覚えているからだ。本作はそんなマーク・ケアーの伝記的な作品ということになる。
私自身はマーク・ケアーの試合はあまり覚えていないけれど、総合格闘技の試合は結構見ていたと思う。PRIDEという大会は、ヒクソン・グレイシーと高田延彦の闘いを実施するためにスタートしたということらしい。大きな話題となったこの試合は、もちろんよく覚えている。
PRIDEのような総合格闘技の大会は突然生まれたわけではなくて、アメリカにはUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)という大会があり人気を博していた。それに日本ではプロレスからの流れで、「UWF系」という格闘技を取り入れたスタイルの団体があり、この流れは総合格闘技と言えるものだったのだ。
個人的によく見ていたのは前田日明がやっていたリングスで、ヴォルグ・ハンの試合をとても楽しみにしていた。ヴォルグ・ハンはコマンドサンボの使い手とされ、ほかでは見たこともないサブミッション(極め技)を披露してくれていたのだ。
そんなわけでかつての格闘技好きとしては、PRIDEで活躍したマーク・ケアーが主人公の本作を楽しみにしていたのだが……。

©2025 Real Hero Rights LLC
リングでは見えない裏側
格闘技ファンが楽しみにしているのは血沸き肉躍るような闘いだろうか。しかし本作が描こうとしているのはまったく別のものだったようだ。本作はいわゆるスポコン的な盛り上がりはない。そうした高揚はほとんど最初の部分でちょっとだけ触れられるだけなのだ。マーク・ケアー(ドウェイン・ジョンソン)は、4万人の観客を前にして闘う興奮を語っている。「これ以上の快感はない」と言うのだ。
ケアーは総合格闘技にデビューしてあっという間に頭角を現す。UFCでも負けなしで勝ち進み、日本のPRIDEにやってきた。順風満帆の格闘家人生と、傍からは見えたはずだ。しかし本作が描くのはその裏側の部分だ。
ケアーがいつから痛み止めを使うようになったのかはわからないけれど、それを常用するようになり、一時はその過剰摂取で死にかけたのだ。
リング上に現れるケアーの肉体は凄い。しかし彼はその反面、繊細なところもある。痛み止めに頼るようになってしまったのも、試合に対する重圧ということがあるのだろう。
ケアーは死にかけた時、トレーニング・パートナーでもあり、友人でもあったマーク・コールマン(ライアン・ベイダー)に会うと涙を流すことになる。筋肉でパンパンの腕を曲げ涙を拭う姿が痛々しいのだ。

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ドウェイン・ジョンソンの共感
本作には元になったドキュメンタリーがあるらしい。そのタイトルも「The Smashing Machine」と、本作と同じものだ。それを見たドウェイン・ジョンソンが感銘を受け、映画化権を取得したことから本作はスタートしたとのこと。
ドウェイン・ジョンソンは元プロレスラーで、その肉体の凄さは誰が見ても一目瞭然だろう。ドウェイン・ジョンソンの映画は『ブラックアダム』くらいしか観ていないけれど、当然ながらその屈強な肉体を活かした役柄が多いのだろう。
しかし、そんなドウェイン・ジョンソンが共感したのは、ケアーという人物の人間らしい部分なのかもしれない。恋人のドーン(エミリー・ブラント)と一緒にいると、その身体の差が際立つ。ドーンの何倍の空間を占有しているのかというほど彼の身体は筋肉で膨れ上がっている。そんなケアーが女々しく(?)泣くのだ。
そういうところにドウェイン・ジョンソンは共感したのかもしれない。彼自身もそんな弱い部分があるということなのだろうか。同じように屈強な肉体を持っている者であり、格闘技とプロレスという似た仕事に携わっていた者だからこそわかる共感があったのだろう。

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クライマックスはどこに?
映画の場合、クライマックスは最後に置かれることが多い。そこに向けて物語を盛り上げていくことになり、「最後はカタルシスを」ということになる。もちろんそうではない作品だってあるけれど、たとえばスポコンものだとしたらそれが王道の作り方だろう。
しかし、人生というものはそうなってはいないようだ。人生にクライマックスというものがあるとして、それが若い時代にあったとしても、人生はそこでは終わらない。どうしても人はゆっくり衰えて最期を迎えることが多くなる。映画ならクライマックスの瞬間に終わることが可能だけれど、人生はそうはいかないのだ。
本作で描かれるのは、そうした下り坂の部分なのだ。ラストで印象的だったのは、PRIDEの大きな大会を舞台に、勝者の姿と敗者の姿が交互に捉えられているところだ。その闘いで優勝することになったのはコールマンで、コールマンは控室でベルトを巻きつつひとりで静かに優勝の余韻に浸っている。一方で初めての負けを喫したケアーは、シャワーを浴びながら「負け」というものを味わっている。
二人の心の内は大きく異なるのかもしれないけれど、その姿はそれほど違いはないようにも見える。勝負だけに勝ち負けは付き物だからだ。どちらにしてもその後も人生は続く。そして、最後にはケアー本人が穏やかな表情で登場することになる。
監督のベニー・サフディは、これまではサフディ兄弟として兄のジョシュと共同で監督してきた。ちょっと前に公開された『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』は兄ジョシュの作品で、本作がベニーの単独監督作だ。どちらもスポーツが題材となっていて、なぜか両方とも日本が舞台となる場面がある。
ベニー・サフディは役者としても活躍していて、『オッペンハイマー』では、主人公のオッペンハイマーと対立して敵みたいな形になる人物を演じていた。ラストでオッペンハイマーの奥様役だったエミリー・ブラントに握手を拒否されることになるのがベニー・サフディだったのだ。そんな二人の関係を見ているからか、『オッペンハイマー』の監督であるクリストファー・ノーランは、本作に対して「胸が張り裂けるほど美しい」というコメントを出している。
確かにケアーを演じたドウェイン・ジョンソンの肉体には惚れ惚れするところがあったとは思う。それでもドウェイン・ジョンソンが共感を抱いたと思しき、ケアーという人の弱さみたいなものが胸に迫ってきたかというと微妙だった気がする。
サフディ兄弟、それぞれの単独作品の二つを比べるとすれば、『マーティ・シュプリーム』のほうが面白かったと思う。しかしながら、これはもしかすると『マーティ・シュプリーム』のほうはラストが盛り上がる構成になっていたからなのかもしれない。とはいえ、先ほども記したように人生はそんなうまくはいかないわけで、面白い人生を過ごすというのはなかなか難しいということだろうか?




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