『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』 ある変化と戸惑い

外国映画

原作はシーグリッド・ヌーネスの『What Are You Going Through』。

監督・脚本は『パラレル・マザーズ』ペドロ・アルモドバル

主演は『MEMORIA メモリア』ティルダ・スウィントンと、『サバービコン 仮面を被った街』ジュリアン・ムーア

ヴェネチア国際映画祭では金獅子賞を獲得した。

物語

その日、あなたが隣にいてくれたならー
重い病に侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)は、かつての親友イングリッド(ジュリアン・ムーア)と再会し、会っていない時間を埋めるように病室で語らう日々を過ごしていた。治療を拒み自らの意志で安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。悩んだ末に彼女の最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。そして、マーサは「ドアを開けて寝るけれど もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいないー」と告げ、最期の時を迎える彼女との短い数日間が始まるのだった。

(公式サイトより抜粋)

安楽死を望む女、見守る女

マーサ(ティルダ・スウィントン)はガンに侵されていて、一度は治療も試みたものの、それ以上は苦痛を長引かせるだけだと考え、安楽死を望むようになる。それでも、ひとりで死んでいくのは寂しいと思ったのか、マーサは最期の時を見守ってくれる人を探していたらしい。それを頼まれたのがイングリッド(ジュリアン・ムーア)ということになる。

イングリッドは売れっ子作家だ。ある日、イングリッドはサイン会で友人と再会し、マーサの病気のことを知る。マーサとイングリッドはかつては親しかったけれど、今では仕事などもあって疎遠だったようだ。かつての二人の関係がどんなものであったのかは曖昧だけれど、マーサが付き合っていたデイミアン(ジョン・タトゥーロ)は、マーサが海外へ旅立った後にイングリッドと付き合うことになったようだ。付き合っていた男を引き継いだ過去があったのだ。

マーサは「死を迎える準備はできている」と語る。そして、病によって真っ当な判断ができなくなる前に、自らの意志で最期を迎えるつもりなのだ。イングリッドは悩んだ末に、彼女の最期を見守る役目を引き受けることにし、森の中の瀟洒の家でマーサと一緒に暮らすことになる。そして、マーサは自ら用意した薬で安楽死を迎えることになるのだ。

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、安楽死をテーマとした作品だ。このテーマは色々と論争を呼びそうなものだけれど、本作は意外にもあっさりとしている。そして、ペドロ・アルモドバル作品としては、対照的な色をうまく取り入れる独特な感覚は健在だけれど、その一方でその変化も如実に感じられる作品にもなっているような気もした。

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©El Deseo. Photo by Iglesias Mas.

イングリッドの立場

たとえば『すべてうまくいきますように』でも描かれていたように、安楽死が認められている国はごく限られていて、国によってはトラブルのもとになってしまう。本作の舞台となっているのはアメリカであり、アメリカではごく一部の州を除けば安楽死は違法となっている。そして、それを幇助する者も罪に問われることになる。

だからイングリッドの立場は結構危なっかしいことになる。マーサを見守る役目を果たすことは、後で面倒なことにもなりかねないことなのだ。実は、マーサはもっと親しい友人にもその役目を頼んだりしていたらしい。それでもそんな面倒に巻き込まれることを望む人はいないわけで断られたのだ。

ではなぜイングリッドはそんな厄介な役柄を引き受けたのだろうか? 死を恐れていて、それをテーマにした著作もあるというイングリッドは、「死ぬ準備はできている」と語るマーサとは対照的かもしれない。

イングリッドにマーサの病気を知らせたのは、マーサが安楽死を望んでいると知っていた友人だ。もしかするとその友人は作家であるイングリッドなら、マーサの安楽死に興味を持つ可能性があると踏んで、わざわざサイン会にやってきてマーサの状況を知らせたのかもしれない。

イングリッドは次回作の題材として、ヴァージニア・ウルフとも親交のあったドーラ・キャリントンとリットン・ストレッチーのことを調べていた(この二人の関係は『キャリントン』という映画になっているらしい)。この二人は片方が胃ガンで亡くなり、もう一方は銃で胃を撃ち抜いて自殺したという。死を恐れているからこそ、そんな奇妙な死に関心を寄せているのだろう。

だからイングリッドは作家として、マーサが安楽死をすることに少なからず興味を覚えただろう。もちろん友人として彼女を助けたいという気持ちもあるけれど、それと同時にイングリッドはマーサが残していたノートにも目をつけ、マーサのことを書いてもいいかと本人に確認しているのだ。イングリッドは友人としてマーサに寄り添いたいと感じると同時に、作家としてもマーサの死に関心を抱いていたということなのだろう。

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「老い」の影響?

本作では、そんな二人が過ごす最期の時間が描かれていくことになる。上述したように、二人は友人ではあるけれど適度な距離もある。安楽死などをテーマにすればもっとドロドロとしたイザコザが生じてもおかしくないのだけれど、二人は互いに安楽死を望む者と、それを傍で見守る者という領分を犯すことはなく、静かで穏やかな時を過ごし、マーサは最期を迎えることになる。

良くも悪くも情感に訴えるというよりは、坦々としているのだ。「もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいないー」などと言っておきながら、一度は間違ってたまたまドアが閉まっていて、笑い話みたいなエピソードになってしまう。イングリッドとしては死の予行練習をしていたこともあって、実際のマーサの死にはとても冷静に向き合えることになるのだ。

かつてはもっとドロドロとした人間模様をエネルギッシュに描き、胃もたれしそうだったアルモドバルのフィルモグラフィからすると、とても控えめな作品だろう。これはアルモドバルの年齢も影響しているのだろう。

アルモドバルは今年で75歳とのこと。半自伝的だとされる『ペイン・アンド・グローリー』(2019年)でも、その傾向は垣間見えていて、主演はアントニオ・バンデラスだったにも関わらず妙に枯れた印象だったのは、アルモドバル自身が「老い」というものを感じているからなのだろう。

ちなみに本作には原作本があるけれど、マーサを演じたティルダ・スウィントンによると原作に忠実な映画化ではないらしい。アルモドバルが原作から受けたインスピレーションを自由に膨らませた作品ということになるのだろう。

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本作ではイングリッドとマーサの共通の友人としてデイミアンというキャラが登場する。このデイミアンは「老い」について語っているのだが、それがアルモドバルの言葉のようにも感じられたのだ。「年を取ってくると、物事に対する興味を失っていく」、デイミアンはそんなふうに語る。

このことは病床にあるマーサも同じだろう。マーサにはもうごくわずかしか時間が残されていない。そんな状況では本を読むほどの時間はないし、音楽もわずらわしくなる(映画だけは観ていたけれど)。そんなマーサが何をしているかと言えば、ただソファーに座って鳥の声に耳を澄ますことだ。

このマーサの姿は、ほかの物事には関心がなくなり、死というものだけに向き合っている姿にも見える。デイミアンもまた死の影に憑りつかれたように、終末的な不安をイングリッドに打ち明けることになる。

ただ、かと言って本作が死の恐れに満ちているかというとそんなこともない。マーサは最後まで毅然としたまま死を迎えることになるし、そこにはある種の安らぎみたいなものすらあったのだ。

それが妙と言えば妙で、どこか突き抜けてないというか、中途半端にも感じられなくもなかった。デイミアンはこんなことも漏らしていた。かつては何にでも熱中することができた。食べること、飲むこと、セックスにドラッグ。それぞれを存分に楽しめたけれど、今ではどれにも集中できない。そんなふうに打ち明けるのだ。

『パラレル・マザーズ』(2021年)という作品でも同じように感じたのだが、本作がどこか焦点が定まってないようにも見えたのは、ひとつのことに熱中するといった「若さ」を、アルモドバルが失ってしまったからなのだろうか?

本作は死ぬ側の内面に深く踏み込むこともないし、見守る側の葛藤にもさほど興味がなさそうだ。安楽死の是非に関しても触れられるけれど、おざなりな印象でもあった。そのほかのマーサの娘時代(エスター・マクレガー)のエピソードもあったりして、あちこちへ関心が飛ぶことになるけれど、どれもあっさりとしているのだ。それを洗練と捉える人もいるような気もするし、決して悪くはない作品だと思うし、二人の熟練女優の演技もあって退屈するところもなかった。それでもアルモドバルの変貌に戸惑いみたいなものを感じてしまったのだ。

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