原作はガース・エニスとダリック・ロバートソンによる同名漫画。
企画はエリック・クリプキ、エヴァン・ゴールドバーグ、セス・ローゲン。
Amazon Prime Videoにて配信中。
物語
欲と名声にとりつかれたスーパーヒーローたち。非公式に「ザ・ボーイズ」と呼ばれるグループが腐敗したスーパーヒーローたちを倒そうとする。特殊能力を持たない彼らは根性と信念で悪しきヒーローに立ち向かう。
(公式サイトより抜粋)
ヒーローものに冷や水を
スーパーヒーローとは何か? AIによれば、「超人的な能力や特別な技術を駆使して、人々を危機から救い、悪と戦う架空の英雄」ということになる。
いわゆる「正義の味方」ということになるだろう。実際にはそんな都合のいい英雄は存在しないけれど、「そんな人が居てくれたら」という願いがスーパーヒーローものを生み出すことになっているということだろうか。『ザ・ボーイズ』は、そういうスーパーヒーローものに冷や水を浴びせるような内容になっている。
たとえばスーパーマンというキャラクターは、スーパーヒーローの典型みたいなもので、彼は“全き正義漢”で、その超人的な力を正しいことに利用する。「弱きを助け、悪をくじく」というヤツだ。こういう世界には健全さしかない。
それに対して、このドラマシリーズにあるのはエログロだ(特にグロさが満載)。登場するスーパーヒーローたちはあまり真っ当ではない。超人的な力を持っていることは同じでも、その利用の仕方を間違ってしまったりもするのだ。そんな意味ではとても人間臭いスーパーヒーローたちと言えるのかもしれない。
『ザ・ボーイズ』に登場するスーパーヒーローの中でも特出した存在がホームランダー(アントニー・スター)だろう。ホームランダーの能力はほとんどあのスーパーマンと同じだ。目からビームを発射し、空を飛び、ほとんどの攻撃というものを跳ね返すような頑丈な身体を持っている。
ホームランダーはスーパーマンのようなヒーローとしても活躍することもあるけれど、彼はスーパーマンのような健全さに欠ける。
ホームランダーは愛を知らない男で、マザコンと同時にファザコンも併発し、気に入らないものを片っ端から殺してしまうような残虐性を秘めている。正義よりも自分のエゴが大事という、自己犠牲の精神に欠けた不完全なスーパーマンのようなキャラクターなのだ。
ホームランダーを傷つけられるような武器もないし、彼に対抗できる人もいない。このドラマシリーズはそんなホームランダーが次第に増長していくところが何とも恐ろしいのだ。

『ザ・ボーイズ』 Amazon Prime Videoにて配信中
対抗勢力の「ザ・ボーイズ」
このドラマシリーズの世界は、ホームランダー率いる「セブン」というヒーローチームが活躍する世界だ。セブンは正義の味方として振舞っている。それを管理するのがヴォートという企業であり、ヴォートはヒーローを一種の用心棒あるいは武器か何かのようにあちこちに売りつけることで稼いでいるのだ。メディアはヒーローの活躍を取り上げ、ヴォートはヒーロービジネスで稼ぐことになる。
しかしヒーローたちの活動には失敗もある。主人公のひとりであるヒューイ(ジャック・クエイド)は恋人をAトレイン(ジェシー・アッシャー)というヒーローに殺されてしまう。Aトレインは超人的なスピードを持っていて、彼はヒューイの恋人のことを間違って木っ端みじんにしてしまうのだ。
ヴォートはその事件をこっそりともみ消そうとする。ヒューイに金を渡して解決しようとするのだ。ヒューイはヴォートからの賠償金の申し出を断ろうとするのだが、そんなヒューイにブッチャー(カール・アーバン)という男が近づいてくる。
ブッチャーはセブンに家族を奪われた恨みがあり、セブンを潰そうと企んでいるのだ。このブッチャーが中心となって、セブンやホームランダーに対抗することになる。彼らが「ザ・ボーイズ」と呼ばれるのだ。

『ザ・ボーイズ』 Amazon Prime Videoにて配信中
独裁者の求めるもの
何だかんだ言ってもこのドラマの魅力はホームランダーにあるのだろう。ホームランダーという存在の恐ろしさと言ってもいい。誰も敵わないような力を持ち、その力を自分の好き勝手に利用する。世間的にはスーパーヒーローとして通っているけれど、実像はまったく違うのだ。
このドラマではホームランダーに対抗できる人がまったくいない。最初はヴォートという企業の一員として、スーパーヒーロー業をやっていたのかもしれないけれど、彼のエゴはそれだけには収まらなくなってくる。
シーズン2の第5話では、ホームランダーは集会に集まった一般大衆を皆殺しにする妄想を抱く。集会場は一瞬にしてバラバラ死体の山と化す。彼がそれをやろうとすれば、ごく簡単に実現できるからこそ、このシーンはひときわ戦慄のシーンとなっている。
それでもこれは妄想に過ぎなかった。ところがシーズン3の第8話では、ホームランダーは彼の息子に物を投げた一般人を衆人環視の中で殺してしまう。ホームランダーの殺人を多くの人が目撃したわけで、スーパーヒーローという偶像も一瞬にして崩れ落ちたのかと思いきや、彼の支持者たちはそれを歓喜を持って迎えることになる。
ホームランダーはそこから大いに勘違いをしてしまうことになるのだ。ホームランダーは歯止めが効かなくなりヴォートという組織を飲み込み、さらにはアメリカという国そのものを支配するような状況になっていく。誰もホームランダーを制御できなくなり、シーズン5ではアメリカ合衆国の大統領すら彼のご機嫌を損ねて頭を潰されることになってしまう。
最終的にホームランダーはキリストの再来として、新たな神になろうとする。彼は自分を本当に愛してくれる人を求めている。ホームランダーが望んだのは、神となったホームランダーを心の底から信じることだ。そのためにホームランダーはサイキックたちを用意して、支持者たちの心の中を監視することになる。それによってホームランダーに対して少しでも疑問を抱くものがあれば、その人は粛清されることになるのだ。
他人のことをすべて信じ切ることのできる人などいないわけで、ホームランダーが作ろうとした国は彼以外の誰も生きていけない国になってしまうだろう。このドラマでは、そうした世界の実現一歩手前で何とか踏み止まることになる。

『ザ・ボーイズ』 Amazon Prime Videoにて配信中
予想通りではあるけれど……
シーズン5の最終回では、ある人物の遺言が読み上げられる。彼は「ザ・ボーイズ」の面々が家族だと語る。それは彼が「みんなの肛門を見たから」という理由だ。彼が考える家族はそこにあるというわけだ。
エログロ満載だったし、クソとかアスホールとか、そんな汚い台詞が常に飛び交う話だったけれど、とてもきっちりとした決着を見せてくれたと思う。
ホームランダーの存在は「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということの意味をよくわからせてくれる。この言葉は『スパイダーマン』などで使われて有名になったけれど、実はもっと由緒正しい言葉らしい。
たとえば悪意を持つスーパーマンみたいな存在が居たとしたら、世界はトンデモないことになる。それを具現化したのがホームランダーなのだ。
その意味で、このドラマの最後にホームランダーが倒されることになるのは予想通りだ。ちなみにその方法は、キミコ(福原かれん)というキャラクターがある能力を獲得したことによって可能となった。キミコは放射能を浴び、それによってその能力を得たのだ。
キミコは日本人という設定だ。そのキミコが放射能を浴び、それによって新たな力を得て、アメリカの象徴ともなっていたホームランダーを倒すというのは意味ありげな気もする。
それはともかくとして、このドラマにはその先がある。ホームランダーを誰かが何としてでも止めなければならなかったことは確かだろう。しかしその方法については「ザ・ボーイズ」の中でも違いがある。
リーダーのブッチャーはホームランダーに家族を殺されたという恨みもあり、どんな方法を使っても構わないと考えている。ブッチャーは最初は人間だったものの、ホームランダーに対抗するためにコンパウンドVを使用して能力者になってしまう。ブッチャーのやり方はあまりに極端で、やっていることの傍若無人さではホームランダーと似てきてしまうのだ。
そんなブッチャーを抑える立場なのがヒューイだ。ヒューイは「ザ・ボーイズ」の中の良心みたいな存在なのだ。ヒューイはAトレインに恋人を殺されたけれど、それを乗り越える。
ブッチャーは第二のホームランダーが産まれる可能性を恐れている。だから能力者すべてをウイルスで殺そうと考えている。一方でヒューイは能力者も様々だということを理解するのだ(ヒューイの新しい恋人はスターライトと呼ばれる能力者なのだ)。
恐らくブッチャーがいなければホームランダーを倒せなかっただろう。ブッチャーだけは最後まで諦めることがなかったのだ(スパイスガールのネタがいい)。けれども彼のやり方を通していたら、これには別の問題があるだろう。暴力に暴力で対抗し、復讐の連鎖が続き、ブッチャー自身が自分が倒そうとしていたような存在になってしまうかもしれないのだ。だからこそ「ザ・ボーイズ」にはヒューイのような人が必要だったのだ。
シーズン5ではそんなヒューイが死んだと思わせる瞬間もあったりして、そうなったとしたら最悪の結末ということになっていたかもしれないけれど、最終的には、驚きには欠けるかもしれないけれどとても真っ当な終わり方を見せてくれたという気がするのだ。



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