監督・脚本は『悲しみに、こんにちは』のカルラ・シモン。
ベルリン国際映画祭では金熊賞を獲得した。
原題は「Alcarras」。
物語
カタルーニャで、三世代に渡る大家族で桃農園を営むソレ家。例年通り収穫を迎えようとした時、地主から夏の終わりに土地を明け渡すよう迫られる。桃の木を伐採して、代わりにソーラーパネルを敷き詰めるというのだ。父親は激怒するが、妻と妹夫婦はパネルの管理をすれば「楽に稼げる」という囁きに心を動かされていく。
賭け事に懸ける祖父、取り付く島のない父、畑の片隅で大麻栽培を始める長男など、てんでバラバラに桃園の危機を何とかしようとするが、大げんかが勃発。一家に大きな亀裂が入ったまま最後の収穫が始まろうとしていた…。
(公式サイトより抜粋)
情熱と太陽の国
旅行会社のコピーなんかではスペインは「情熱と太陽の国」なんだとか。誰が言い出したのかはわからないけれど、そんなイメージがあるということなのだろう。本作で描かれているのはスペインのカタルーニャ地方の奥地にあるアルカラスという小さな村だ。原題の「Alcarras」というのは、その村の名前から採られているということだろう。
『太陽と桃の歌』はソレ家という大家族が主人公の群像劇で、ソレ家はみんなで桃農家を営んでいる。カタルーニャという場所はいわゆる地中海性気候で、いつもよく晴れているようだ。劇中では一度だけ急に雨が降り出すことになるけれど、それ以外はいつも明るい太陽の日差しが降り注いでいて、桃を育てるには最適ということなのだろう。
ただ、桃農家の状況は苦しいようで、収穫物は卸売り業者に安く買い叩かれることになってしまうようで、あまり儲かる仕事ではないのかもしれない。
そのことに嫌気が差したのか、地主はその土地にソーラーパネルを敷き詰めようと考えたらしい。雨がほとんど降らないような気候だけに、太陽光発電事業のほうが稼げると踏んだということなのだろう。そんなわけで突然代々暮らしてきた土地を追い出されることになってしまったソレ家は一体どうなるのだろうか?
ドキュメンタリーのような
カルラ・シモン監督の前作『悲しみに、こんにちは』は、監督自身の子ども時代を題材とした作品だった。『悲しみに、こんにちは』の主人公は両親を亡くし、叔父夫婦のところに引き取られることになる。この主人公は監督自身がモデルであり、前作は親を亡くした主人公のある夏を描いた作品だったのだ。
そして、第2作の『太陽と桃の歌』も、カルラ・シモン自身の家族がモデルとなっているようだ。彼女が引き取られた先の家族が桃農家だったということなのだろう。本作に描かれる大家族自体はフィクションなのだと思うが、アルカラスという場所で桃農家がどんな生活をしていたかということはよくわかっているからこその作品だ。
そんな意味で本作はドキュメンタリーを観ているような感覚にもなる。演じている人たちがすべて、プロの役者ではない素人だということもそうさせているのだろう。
特に子どもたちがとても自然だ。前作でも子どもに対する演出が評価されたのだと思うけれど、子どもたちが桃農園ではしゃぎ回る姿を見ていると演技をしているようには見えないわけで、本物の桃農家にカメラを向けているドキュメンタリーを観ているような気分になってくるのだ。
大家族の群像劇として
そのソレ家で中心的な話題となっているのは、夏の終わりに桃農園を出ていかなければならなくなったということだろう。それに対する家族の対応は様々だ。
祖父のロヘリオ(ジョゼ・アバッド)は、地主に心変わりしてもらいたいと考えているのか、イチジクを届けてみたりしてご機嫌伺いをしている。そもそも今の家は、戦争の時代にかつての地主を助けたことから口約束で譲り受けたものだったとか。ところが今の地主はそんな過去は忘れてしまったかのように振舞っている。息子のキメット(ジョルディ・プジョル・ドルセ)は「親父が契約書をもらってなかったから」と彼を責めることになるし、ロヘリオとしてはちょっと申し訳ない気にもなる。
一家の大黒柱としてのキメットは、かなりの頑固じじいということになる。地主が一種の救済策として、ソーラーパネルの管理者として働くことを提案するけれど、キメットは「今さら新しい仕事なんか覚えられるか」といった調子で態度を変えるつもりはなさそうだ。
キメットからすると妹の旦那になるシスコは現実的な対応をしていて、早々に桃農家を諦め、気持ちはソーラーパネル事業のほうへ向っている。そんなわけでキメットとシスコは対立することになり、大ゲンカになってしまう。
キメットの息子のロジェー(アルベルト・ボッシュ)は桃農家を継ぐつもりだったのか、父親に褒められようといつも農作業に精を出している。ところが、父親としては将来性がなさそうな仕事を継がせたくはないのか、「勉強をしろ」とばかり言っていて、親子の思いはどうにもすれ違ってしまっている。
ロジェーの妹のマリオナ(シェニア・ロゼ)としても、仲良しだった大家族がバラバラになっていくのが不満げだ。一番年下のイリス(アイネット・ジョウノ)は、いつも一緒に遊んでいた従兄弟の双子と遊べなくなってしまったのがなぜなのかをよく理解していない。
こんなふうにそれぞれの葛藤があるのはわかる。ただ、本作は大家族の群像劇ということで、誰かに特別に焦点が当たるというわけでもない。これは視点人物らしきキャラがいないとも言える。そのためあちこちに視点が飛び移る形になってしまい、散漫な印象になってしまっている部分があることは否めないかもしれない。
カタツムリの食べ方など
とはいえ、カタルーニャ地方の風景は美しいし、桃農家の生活の描いた細部はよかったと思う。桃農家にとってウサギは害獣でしかないようだ。貴族の楽しみのためのハンティングというわけではなく、夜中にウサギ狩りをするのは彼らにとっては紛れもない仕事なのだ。桃の木にはウサギが上に登れないような対策を施していたりして、それほど深刻な問題ということらしい。
それからエスカルゴというヤツは『サイゼリヤ』のアヒージョでしか食べたことがないけれど、劇中では並べたカタツムリを藁でそのまま焼いて食べていた。「バルセロナではないだろう」などとロヘリオは自慢げだったから、その土地独自の食べ方なのだろう。
本作はやはり「子どもたちがかわいい」という印象が強いのだけれど、なかなか威厳のあるおじいちゃんもよかった。邦題の「太陽と桃の歌」というのは、孫のイリスがおじいちゃんがいつも歌っている歌を披露する場面からで、おじいちゃんも嬉しそうに一緒に歌うことになる。ただそれだけなのだけれど、なぜかじんわりときたシーンだった。
結局、ソレ家はどうなったのだろうか? それに関しては詳しく説明されることはないけれど、大ゲンカしていたシスコが戻ってきたりしているところからすると、頑固を貫いていたキメットが折れて、ソーラーパネルの管理者としてやっていくことになったということなのかもしれない。
キメットが作業中に突然泣き出してしまうシーンは、前作の最後とも似ているけれど、それまで気張っていたものが途切れた瞬間だったのかもしれない。それを見ていた息子ロジェーの表情は複雑だった。親がそんなふうに弱ってしまうシーンなど、子どもとしては見たくはないものだから……。
最後に付け加えると、子どもたちがパンツだけで出てくるシーンがあって、そこになぜかモザイク加工がなされていたのが気になった。日本版だけの取り扱いなのだと思うけれど、「誰が気にするんだろうか」ということが気になった。
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