監督は『ショートターム』のデスティン・ダニエル・クレットン。
主演は『スパイダーマン』シリーズのトム・ホランド。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の第38作。
物語
愛する人たちを守るため、全世界の人々から自分の存在の記憶を抹消する道を選んだピーター・パーカー。自分のことを誰も知らないニューヨークで孤独に暮らしながら、スパイダーマンとして犯罪と戦い、街の人々を守ることに全力を尽くす日々を過ごしていた。しかし人々のスパイダーマンへの期待が高まるにつれ、そのプレッシャーが彼の存在そのものを脅かし、命に関わる身体的変異を引き起こしてしまう。時を同じくして、街では不可解な犯罪が頻発し、かつてない脅威がスパイダーマンに迫る。
(『映画.com』より抜粋)
感情的に揺さぶられる
トム・ホランド版の『スパイダーマン』シリーズの第4作。前作『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で、愛する人を守るために自分の存在を忘れさせることになったピーター。本作はその前作から4年ほどが経ち、ピーターはもう高校生ではなくなっている。大人になったピーター・パーカーを描くのがこの新章なのだ。
これまでのシリーズは高校生のピーターの青春物語という側面もあったわけで、MJ(ゼンデイヤ)やネッド(ジェイコブ・バタロン)たちと賑やかに楽しんでいる場面があったりして、明るく輝いているような印象だった。それに対して本作はそういう青春時代は過ぎ、ピーターはスパイダーマンとして孤独に闘っている。
わざわざ目立たないような場所に新居を構え、そこで誰とも会わずにニューヨークの街を守る自警活動を続けている。過去を捨ててしまったから、つながりがある人はニューヨーク警察のデウォルフ警部(ライザ・コロン=ザヤス)くらいなのだ。しかしながらその関係はスパイダーマンとしての活動でのつながりだけで、デウォルフ警部は彼が何者なのかを知らない。
ピーターはスパイダーマンとしては人気者だけれど、家に帰ってもピーターを待つ人はいない。メイおばさんは亡くなってしまったからだ。彼は自分がした決断を信じているけれど、やはりネッドたちのことが気になるのか、SNSでの彼の発信を覗いたりもしている。そこにはMJも度々登場し、そこに自分がいないことに寂しくなったりする。ピーターはもう高校生ではないとはいえ、まだまだ遊びたい年頃なわけで当然と言えば当然だろう。
『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』はそんな孤独に闘うピーターに感情移入してしまうところがある。もちろんアクション大作としてエンターテインメントにはなっているけれど、それだけではなく愛していても別れざるを得なかったMJとの切ない関係に感情的に揺さぶられる作品になっていて、そこがとても良かったと思う。
本作はとてもいい話だ。これはデスティン・ダニエル・クレットン作品の特徴なのかもしれない。『ショート・ターム』や『黒い司法 0%からの奇跡』などもそんな印象だ。ただ、上記の2作品などはあまりにキレイにまとまり過ぎているところがあった気がする。それに対して本作はいい話の部分と、小気味いいアクションがうまく調和して相乗効果をもたらしていたんじゃないだろうか。

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CGにはない興奮
本作はこのシリーズ特有の、ニューヨークの摩天楼を飛び回るアクションも満載だし、原作マンガの表紙をそのまま再現した場面がいくつもあるとのこと。その撮影シーンの動画がいくつも公開されていて、それを見ると実際の撮影はワイヤーでスパイダーマンを吊るして行われているようだ。いわゆるワイヤーアクションというわけだ。
ちなみに本作ではアクションの撮影にジャッキー・チェンのスタントチームが参加しているのだとか。デスティン・ダニエル・クレットンはMCUの『シャン・チー/テン・リングスの伝説』というカンフー映画も撮っているわけで、そのつながりからジャッキー・チェンのチームにたどり着いたということなのかもしれない。
このワイヤーアクションは香港映画で洗練されてきたものだし、その点でもジャッキー・チェンのチームとの相性はよかったんじゃないだろうか(『WHO AM I?』のオマージュみたいなシーンもあり)。
個人的には『シャン・チー』は前半のカンフーの闘いは楽しめたけれど、後半になってドラゴンが登場しスクリーンが賑やかになってくるとCGばかりで酷く退屈に感じた。CGならばどんなシーンだって可能なわけで、それに驚くことはできないのだ。
それに対して本作はワイヤーアクションが基本になっている。アナログなやり方だ。そして、ワイヤーに吊られながらアクションをやっているのは、スパイダーマンを演じるトム・ホランドだ。トム・ホランドの肉体のパンプアップぶりは凄くて、あんなふうに鍛えているからこそできるシーンが多いのだろうし、CGですべてを描いた作品にはない興奮があったと思う。

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「大いなる力」をどう扱うか?
『スパイダーマン』シリーズでは、毎回「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということがテーマになっている。今回の敵もその「大いなる力」を持つ人物だ。
この敵は途中まで“見えない敵”とされている。というのは、この敵は人の意識の中に入り込んで、その人を操れる能力を持っているのだ。しかも、近くにいる人に次々に飛び移ることが可能になっている。誰の意識の中にも入り込むことができるわけで、ほとんど無限の力を持つと言ってもいいだろう。ただし、ピーターの中に入ろうとして追い出されることになるけれど、これが唯一の例外らしい。
敵の正体はジーン・グレイ(セイディー・シンク)という女の子だ。ジーンはダメージ・コントロール局を狙っている。そこにある何かを奪おうとしているのだ。スパイダーマンはそれを阻止しようとする。
同じ頃、ピーターはMJと再会し、彼女が彼氏と一緒にいるところを見てショックを受けてしまう。それによってピーターの中のクモの遺伝子が変化を生じさせ、クモの力をコントロールすることが難しくなるという状態にあった。
困ったピーターは似たような状況にあるブルース・バナー(マーク・ラファロ)に近づきアイディアをもらう。ブルースはハルクの力をコントロールするために、自分の腕に制御装置を付けている。それと似たような装置をピーターも作ることになるのだ。
「大いなる力」を持てば特別な存在になれる。ただ、そのことが足かせにもなる。その力をうまくコントロールできなくなれば、かえって危ない存在になってしまう。本作に登場するキャラはそんな力に翻弄されるキャラばかりということになる。スパイダーマンも、ブルースも、ジーンも同じような葛藤を抱えているというわけだ。

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人とのつながり
厄介な敵であるジーンを説得することになるのは、ピーターの記憶の中にいたメイおばさん(マリサ・トメイ)の言葉だ。トム・ホランド版で「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉をピーターに告げたのはメイおばさんであり、その彼女の言葉がジーンを説得することになるのだ。
その言葉は、周囲の人がジーンを愛しているとするならば、それは「大いなる力」とは無関係で、ジーンはただあるがままで愛されているといったものだ。ほかの人とのつながりがジーンを説得することになるわけだが、この言葉はそのままピーターにも当てはまることになる。
ピーターは愛する人を守るために孤独を選択した。ところがそれにはやはり無理があった。孤独に闘っていくのは難しい。ジーンがダメージ・コントロール局を襲撃したのは、実はそこに囚われていた姉を取り返すためだった。つまりは悪いのはダメージ・コントロール局だったわけだけれど、やり方はマズかったのだろう。これもジーンが誰にも相談できずに孤独に闘っていたからなのかもしれない。
そんなわけでピーターも自分の選択を曲げることになる。孤独に闘っていくことを否定するわけだ。ラストでたまたま出会ったネッドと握手する場面は一気に泣かされるところだった。今後、ピーターとかつての仲間たちとの関係はどうなっていくのだろうか?
とはいえ、ダメージ・コントロール局の局長メッツガー(トラメル・ティルマン)は逃げ出してしまい、まだ火種は残っている。ダメージ・コントロール局は「大いなる力」を自分たちで利用しようとしていたのだ。スパイダーマンもその力が利用できる時はそうして、邪魔になれば排除するつもりだったようだ。結局、「大いなる力」を誰がどんなふうに使うのかという点では、未だ答えが出ていないわけで、これは今後のシリーズに引き継がれていくことになるのだろう。
私自身はMCUやその関連作品を詳細に追っているわけではないので、後になって知ったけれど、ジーンというキャラは『X-MEN』シリーズに登場するキャラらしい。それからスパイダーマンと共闘する形になるフランク(ジョン・バーンサル)というキャラは、パニッシャーと呼ばれるヒーローなのだとか。わからなくてもそれなりに楽しめるけれど、詳細を知っている人にはなお楽しいということなのだろう。
ジーンを演じたセイディー・シンクは、『ストレンジャー・シングス 未知の世界』の頃はそばかすだらけの少女という感じだったけれど、急に美しくなったようでビックリだった。





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