『シラート』 どこへ行く?

外国映画

監督・脚本は『ファイアー・ウィル・カム』オリベル・ラシェ。本作は長編第4作とのこと。

製作には『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』ペドロ・アルモドバルが関わっている。

カンヌ国際映画祭では審査員賞を獲得した。

原題は「Sirāt」で、「天国と地獄をつなぐ橋」のことを意味するらしい。

物語

砂漠で行われるレイブパーティに参加したまま失踪した娘を探すため、父ルイスと息子エステバンは、モロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。
行き着いたのは、現実と幻覚が混濁するような野外レイブのカオス。
耳をつんざく重低音、赤い照明の海、沈黙を貫く父親の背中。
だがそこにはすでに娘の姿はなく、父と息子は、レイブの参加者グループを追って、
娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すことになるが……。

(公式サイトより抜粋)

「この先、口外禁止——」

予告編でも「この先、口外禁止——」と謳っていて、ネタバレ厳禁となっている作品だ。とはいうものの、『シラート』はネタバレしたら興醒めといった作品とはちょっと異なる。たとえば『シックス・センス』のオチをネタバレしてしまったら、それこそ興醒めということになるかもしれないけれど、本作はそういった作品ではない。というか、本作にとっては物語はさほど重要ではないのかもしれない。

チラシなどには「知る前に進め」とも記されている。これは大江健三郎の短編「見るまえに跳べ」と同じことだろう。「見るまえに跳べ」という言葉は、オーデンの詩から採られているらしい。

跳ぶことには危険が伴うけれど、最終的には跳ばなければならない。だとしたら、傍から見ていて考えてしまうよりも、まずは跳んでみろといった意味合いなのだろう。本作の場合も同様だ。砂漠の先に何があるかを知るよりも、まずは進んでみろということなのだ。

そんな意味で本作は何よりも「考えるな、感じろ!」ということが基本にある。レイブパーティーというものはそういうものなのだろう。劇中の台詞には「レイブ音楽は聴くものではなく踊るものだから」というものがあったけれど、聴いて頭で処理するのではなく、踊りつつ身体で感じるものがレイブというものらしい。

冒頭は砂漠の真ん中に巨大なスピーカーシステムを作り上げる場面で、そこから重低音が響き渡る音楽が流れ出すことになる。体感する映画といった趣きで、配信などでは地響きするような音は味わえないわけで、音響システムが整った映画館で観るべき作品になっている。

© 2025 LOS DESERTORES FILMS, A.I.E., TELEFÓNICA AUDIOVISUAL DIGITAL, S.L.U.,
FILMES DA ERMIDA, S.L., EL DESEO DA, S.L.U., URI FILMS, S.L., 4A4 PRODUCTIONS

正規ルートから逸脱して

物語としては、砂漠の野外レイブの会場に、場違いな父親ルイス(セルジ・ロペス)と息子エステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)が現れるところから始まる。二人は失踪した娘(姉)のことを捜しているのだ。ところがそのレイブは突然の軍の介入で中止になってしまう。どうやらその地域ではきな臭いことが生じているらしく、軍は無理やりレイブパーティーを解散させることになるのだ。

軍によって強引に砂漠から撤退させられそうな状況の中、あるグループが軍の制止を振り切って逃げ出す。ルイスはエステバンの「あの車を追って」という声に促され、元の世界へ戻るための正規ルートから逸脱していくことになるのだ。

そのグループは別のレイブ会場に向かうと言っていて、娘がそっちにいるかもしれないと考えたのだろうか。というよりもルイスはエステバンの声に促されて、その先に何が待っているのか知る前に飛び出してしまったというのが正解なのだろう。

そんなふうにしてルイスは砂漠を疾走するレイブグループと行動を共にすることになる。彼らは真っ当なルートからは外れたグループなのかもしれない(なぜか片手がない人や片足がない人もいる)。エステバンはそんな彼らに憧れているところもありそうだ。見た目はパンクなところがある彼らだが、知り合ってみれば意外と親切で、ルイスたちは彼らに助けられながら砂漠を進んでいくことになるのだが……。

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砂漠を彷徨しどこへ行く?

『シラート』は娘捜しの旅として始まるわけで、一種のロードムービーだ。だとしたら最終的に行く着く場所は娘の居る場所ということになり、それが映画の終わりとなるはずだろう。ところが本作はそうしたありきたりな作品にはなっていない。

ルイスたちが正規ルートから外れて砂漠を突っ切って行くことになったように、本作自体もどこに行き着くのかわからないような奇妙な作品になっているのだ。

レイブグループは軍の目を避けて山沿いの道を行くことになり、一行は目がくらむほどの崖の上の細道を進んでいくことになる。そんな山道でトラックが穴にハマり、それを修理している最中に、エステバンと犬のピパが乗っていた車が坂道を転げ出し、あっという間に崖下に転落してしまうのだ。

危なっかしい場所ではあったけれど、エステバンの死は予想外だろう。本作はそんなふうに運の悪い偶然によって、物語は予想もしない方向へと進んでいくことになるのだ。

ルイスの絶望は言うまでもないだろう。失踪した娘を追ってきたはずが、一緒に来た息子まで喪ってしまうことになったのだから。そうなると当初の目的は破棄されるほかない。崖下のエステバンを放っておくわけにはにいかないわけだから……。

本作がどんな話なのかということを一言で説明することは難しい。予告編では「ネタバレ厳禁」として内容にはほとんど触れていなかったけれど、予告編でごく簡単にまとめることが難しい作品だからということでもあるのだろう。エステバンの死は確かに衝撃的だったけれど、本作はそれによって当初とはまったく別の話へと転がっていくことになるのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

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「天国と地獄をつなぐ橋」

タイトルは「天国と地獄をつなぐ橋」のことだ。レイブグループはその後に砂漠を彷徨さまよい、いつの間にか地雷原のど真ん中にいることが発覚するのだ。タイトルはその地雷原を抜けるための細い道のことを示してもいるのだ。

その時、ルイスはほとんど破れかぶれで、ただひたすら真っ直ぐに歩き、無事に地雷原を脱することになる。ただ、同じ道を通った別の男は地雷の餌食になる。その道は本当に細いもので、わずかでもそのルートを外れれば、地獄に堕ちてしまうことになるというわけだ。

シラート」という言葉はアラビア語で「道」のことを指し、宗教的な意味合いの言葉でもあるらしい。ルイスのように無心の状態でその道を渡ることができれば、天国へと行き着くことができるということなのかもしれない。そして、その計らいに神の姿を見る人もいるということなのだろう。

しかしながら、そういうものを信じない者としては、それは単なる偶然に過ぎないとも思える。本作にはそうした偶然の支配が多すぎるのだ。

エステバンの死も運の悪い偶然だろう。崖の近くで遊んでいたエステバンをルイスが車の中で待っているように促す。車の中でピパと遊んでいたエステバンは、運悪くサイドブレーキに触れてしまったということなのか、車は坂道を転げ落ちていくことになってしまう。

それから地雷原に迷い込んでしまったことも偶然としか言いようがない。実はモロッコの砂漠地帯にはそういう場所があるようで、現実的に荒唐無稽なことではないのかもしれないけれど、フィクションの中で偶然が何度も続くと強引さは否めない気もしてしまうのだ。

ルイスはレイブというものには無理解だった。けれどもエステバンの死の後、砂漠でレイブ音楽に身を任せることになる。そんなふうに身体を動かすことが何かしらの癒やしにということだったのかもしれない。大音量の音に合わせてひたすらに踊る。これはルイスが言っていた「無心」に近いのかもしれない。しかしながら、映画はその後に地雷原突破の話になっていき、結局、何の話なのかわからなくなってしまった気もするのだ。もちろんこういったアレコレは「考えるな、感じろ!」という基本からすれば、否定されるべきなのかもしれないけれど……。

本作を見て「知る前に進め」というキャッチコピーに納得できる人はいるのだろうか。もともとは「考える前にやってみろ」というメッセージを意図していたのかもしれないけれど、出来上がった作品は逆の効果を生んでしまいそうな気もする。あんな場所では一歩も動けなくなるのが普通なのだから。

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