『罪人たち』 どんな種類の罪?

外国映画

監督は『フルートベール駅で』ライアン・クーグラー

主演は『クリード チャンプを継ぐ男』マイケル・B・ジョーダン

原題は「Sinners」。

物語

1930年代の信仰深いアメリカ南部の田舎町。双子の兄弟スモークとスタックは、かつての故郷で一攫千金の夢を賭けた商売を計画する。それは、当時禁じられていた酒や音楽をふるまう、この世の欲望を詰め込んだようなダンスホールだった。オープン初日の夜、多くの客たちが宴に熱狂する。ある招かざる者たちが現れるまでは…。最高の歓喜は、一瞬にして理不尽な絶望にのみ込まれ、人知を超えた狂乱の幕が開ける。果たして兄弟は、夜明けまで、生き残ることが出来るのか――。

(公式サイトより抜粋)

なぜ罪人なのか?

タイトルは「つみびとたち」と読ませるらしい。「ざいにんたち」と読むと単なる犯罪者に思えるけれど、「つみびとたち」となるとキリスト教の“原罪”の教えが関わっているように思えるからだろうか。日本語にするとわかりにくくなっているけれど、もともとの原題は「Sinners」だから、当然のように宗教上の意味合いを含んだものということになる。

「crime」という「法律上の罪」も、「sin」という「宗教上の罪」も、日本語ではどちらも同じく「罪」という言葉になってしまうからだろう。厳密に「つみびと」と「ざいにん」の使い分けがあるのかどうかはわからないけれど、本作で言われているのは宗教上の罪を犯した人たちの話ということになる。

『罪人たち』は、教会にある男が戻ってくるところから始まる。その男サミー(マイルズ・ケイトン)は酷く血だらけで姿を現したにもかかわらず、牧師である父親から責められることになる。牧師は息子が音楽にうつつを抜かし、教会にも来ずに夜通し遊び歩いていたことを「罪深い」ことだと考えているのだ。

教会の牧師にとってはゴスペルこそが音楽であり、息子がやっているブルースというのは悪魔の音楽ということになる。だからそんな音楽を聴き、それに身を任せ踊ったりしている連中は、牧師からすると「罪人つみびとたち」ということになるのだ。

© 2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. IMAX® is a registered trademark of IMAX Corporation. Dolby Cinema® is a registered trademark of Dolby Laboratories

本作の見どころは?

ブルースが悪魔の音楽というのは、有名なクロスロードの伝説を思わせる。公式サイトにもしっかりと記載されているのだが、ロバート・ジョンソンが十字路(クロスロード)で悪魔に魂を売ってギターのテクニックを手に入れたという話は伝説になっている。そのクロスロードがあったのも、本作の舞台であるクラークスデイルだったらしい。

そのロバート・ジョンソンは27歳で亡くなったとのこと。それが悪魔との契約によるのかはわからないけれど、その後のロックの世界で言われることになる「27クラブ」の最初のひとりがロバート・ジョンソンだったのだ。もしかすると音楽というものには、そんな何かしら危なかっしいものがあるのかもしれない。

『罪人たち』では、冒頭に音楽について解説めいた言葉が語られる。音楽には不思議な力があり様々な人を呼び寄せるのだが、それは悪魔的なものまで呼び寄せてしまうことになる。サミーは卓越したギターのテクニックを持っていて、それは多くの人を楽しませる。ところがその音楽はヴァンパイアたちをも引き寄せてしまうことになるのだ。

「なぜヴァンパイアなのか?」という点はあとで検討するとしても、そんなことはわからなくても存分に楽しめる作品になっている。本作は黒人音楽のルーツについての物語で、ブルース音楽などをたっぷりと堪能させてくれる映画になっているからだ。

そのひとつのクライマックスが、サミーの音楽に呼び起こされた過去や未来の精霊たちが現れ出て踊り出すシーンだろう。この場面ではアフリカの民族音楽を奏でる者も出てくれば、ヒップホップのDJなんかも顔を出す。ロックもゴスペルも京劇までもが登場し、時代も場所も超えた世界を現出させてしまい、それはダンスホールそのものを燃やしてしまうほどの盛り上がりを見せることになる。

音楽はカッコいいし、ダンスには猥雑なものがあり、とにかくすべてがゴチャゴチャだけれど、限りなく活気に満ち溢れたシーンとなっているのだ。この前半部分だけでも十分に観る価値がある作品になっているのだ。

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突然のヴァンパイアの出現

舞台は1930年代のアメリカ南部だ。この時代のアメリカ南部では黒人たちに自由はない。ジム・クロウ法が幅を利かせていた時代で、差別は当然のものだった。だからKKKみたいなヤバい連中も顔を出すことにもなる。

主人公であるスモーク&スタック(マイケル・B・ジョーダンの一人二役)は、シカゴのアル・カポネの下で働いていて故郷に戻ってきたという設定だ。二人はシカゴからくすねてきた酒などを売り捌くためにジュークジョイントと呼ばれるダンスホールを作り上げることになる。これは金儲けのためではあるけれど、同時に黒人が自由になれる場所を作るという意味合いもあったのだろう。そんなものはどこにもなかったからだ。

ちなみに本作は、エピローグを除けば、たった1日だけの話となっている。これはデビュー作の『フルートベール駅で』と同じだ。前半は青い空の下だけで話が展開していく。スモークとスタックはジュークジョイントのために人集めをすることになり、彼らのいとこであるサミーも駆り出されることになるのだ。

ところが日が沈む頃になると状況は一変し、突然ヴァンパイアたちが現われることになる。前半は音楽映画といった趣きだったのに、そこに突然“ヴァンパイアもの”というジャンル映画が奇妙に混じり合う形になってくるのだ。

“ヴァンパイアもの”のお約束として、「招かれなければ家に入れない」というものがあるけれど、本作でもそれがうまく活用されている。ジュークジョイントで黒人たちが籠城する形になる場面は、ゾンビ映画のそれを思わせる(ゾンビもヴァンパイアの一種だ)。とはいえ、本作の場合、とち狂ったある人物がヴァンパイアを招き入れてしまい惨劇を招いてしまうあたりは結構デタラメで、そんなところも面白かった。

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なぜヴァンパイアなのか?

そのヴァンパイアはなぜかアイルランド系移民となっている。そして、ターゲットとされるのが黒人たちだ。アイルランド系移民のリーダーであるレミック(ジャック・オコンネル)は、特にサミーのことを狙っている。これはどういうわけなのだろうか?

この背景にあるのは、「文化の盗用」なのだという。黒人の文化は白人によって盗用されてきた。そのことが“吸血”という行為として描かれているということになる。

本作の設定ではヴァンパイアたちは、血を吸って自分たちの仲間にした人物が持つ知識や能力を共有することができるらしい。アイルランド系のヴァンパイアたちは、彼ら伝来のフォークソングを歌っている。それにサミーのギターの能力が加われば、もっと素晴らしい音楽を奏でることができる。レミックはそんなふうに考えて黒人たちを取り込もうとしているのだ。

アイルランド系移民は、イギリスの弾圧から逃れてアメリカにやってきた人たちだ。弱い立場にあった点では、黒人とアイルランド系も最初は同じだったはずだが、アイルランド系は見た目は白人なわけで、次第に黒人を差別する側に回ってきたという歴史があるらしい。そんなわけで本作のアイルランド系移民と黒人の対決には、そんな背景がある。

しかもそんなアイルランド系に文化まで盗まれようとしているというのが、本作に隠されたテーマということらしい。

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文化の盗用

黒人の文化が盗用されている。そんなことは正直あまり考えたこともなかった気もする。たとえば『エルヴィス』では、エルヴィスが黒人たちの音楽から多くを学んでいたことが描かれていた。もちろんエルヴィスはそれを盗用と考えたわけではなかっただろう。黒人の音楽がカッコいいと感じたからこそ、それにリスペクトがあればこそ、それを真似たような形になったということだろう。

ただ、それでも黒人の側からしてみれば、それは「文化の盗用」ということになるのだろう。もしかするとエルヴィスが黒人の音楽をやらなかったならば、それが世界中に広がることはなかったのかもしれないけれど、それとこれとはまた別の話なのだろう。

私自身もブルースというものを意識して聴いたとすれば、ローリング・ストーンズの音楽から遡って聴いたものだと思う。ローリング・ストーンズの初期のアルバムはブルースのカバーアルバムだったし、ストーンズの音楽がブルースから多大な影響を受けていることはよく知られた話だからだ。しかしながら、ストーンズもそれを盗用とは考えてないだろうし、どこからが盗用なのかというと難しいところがあるのかもしれない。それでも黒人の側からすると、それは「文化の盗用」と言える側面があるということも否めないのだろう。

本作では、サミーのことを守るためにスモークは命を賭けることになるわけで、ライアン・クーグラーの立場としては、「文化の盗用は許されない」ということになるのかもしれない。しかしながら、同時に本作ではヴァンパイアの世界を悪いものとしては描いてない部分もあるから複雑だ。

ヴァンパイアとなったスタックとメアリー(ヘイリー・スタインフェルド)は、永遠の命を満喫しているようだったし、サミーのことだけは見逃すという理性も持ち合わせた存在でもあるようだ。こんなふうに「ヴァンパイアの世界も悪くない」というのは、藤子・F・不二雄の漫画『流血鬼』にもあったものだ。主人公であるスモークとスタックの両方をマイケル・B・ジョーダンが演じているのも、ライアン・クーグラーとしてもどちらの立場も理解できるということを示すためだったのだろうか?

単純に音楽映画として素晴らしかったし、“ヴァンパイアもの”としても楽しめる。さらには隠されたテーマもあったりして、深読みすることもできなくもない。そんな作品になっているのだ。とりあえず言えることは、ライアン・クーグラーの諸作品の中では断トツで一番面白かったということだ。

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