『シンシン/SING SING』 ここではないどこか

外国映画

監督は『ザ・ボーダーライン 合衆国国境警備隊』グレッグ・クウェダー

主演は『大統領の執事の涙』コールマン・ドミンゴ

米・アカデミー賞では主演男優賞・脚色賞など3部門でノミネートを果たした。

原題は「Sing Sing」。

物語

NY、<シンシン刑務所>。無実の罪で収監された男ディヴァインGは、刑務所内の収監者更生プログラムである<舞台演劇>グループに所属し、仲間たちと日々演劇に取り組むことで僅かながらに生きる希望を見出していた。そんなある日、刑務所いちの悪党として恐れられている男クラレンス・マクリン、通称“ディヴァイン・アイ“が演劇グループに参加することになる。そして次に控える新たな演目に向けての準備が始まるが――。

(公式サイトより抜粋)

ミュージカル映画?

Sing Sing」という原題を見ると、ミュージカル映画なのかと思ってしまう。動物たちが歌いまくる『Sing』というアニメ作品もあったし、「Sing Sing Sing」という有名なジャズ曲もあったりするわけで、本作もそういった種類のタイトルなのかと勘違いしてしまったのだ。

ところが本作は刑務所を舞台にした人間ドラマとなっている。「Sing Sing」というのが地名なのかどうなのかはよくわからないけれど、舞台となるのが「シンシン刑務所」と呼ばれるニューヨークに実在する刑務所なのだ。

シンシン刑務所はニューヨークのハドソン川沿いにあり、敷地内には列車が通っているらしい。本作にも敷地内を通る列車の映像が使われている。実際に本作がシンシン刑務所内ですべて撮影されたのかは不明だけれど、劇中に登場する囚人たちの多くは、現実世界でもシンシン刑務所に収監されていた人たちらしい。元収監者たちが自分役で出演しているのだ。そこが本作の特筆すべきところだろう。

観る前の勝手なイメージでは、刑務所を舞台にした感動作なのだろうと思っていたのだけれど、意外なスタイルにちょっと戸惑うことになった。

『シンシン/SING SING』には重要なキャラが二人いる。その二人の関係が中心的な筋になっていることは確かだけれど、群像劇的な側面もある。元収監者たちの顔をひとりひとり丁寧に捉えた作品で、彼らは彼ら自身を演じているわけで、その点ではドキュメンタリーとも言えるのだ。

©2023 DIVINE FILM, LLC. All rights reserved.

二人のディヴァイン

すでに記したように本作には、中心となる人物が二人いる。ひとりがディヴァインGと呼ばれている主人公だ。彼を演じているコールマン・ドミンゴは、アカデミー賞主演男優賞にも二度ノミネートされた職業俳優ということになる。

一方、もうひとりは本名はクラレンス・マクリンでディヴァイン・アイと呼ばれている。彼はエンドロールで「as himself」と記載されている通り、実際に収監されていた元囚人ということになる。

二人とも本名は別にあるのに、なぜか「ディヴァイン」という呼び名になっていて、二人を区別するために「ディヴァインG」と「ディヴァイン・アイ」と呼ばれている。刑務所内で同じ名前の人が多いから、それを区別するためということなのだろう。ディヴァインGの隣室の友人マイク・マイク(ショーン・サン・ホセ)も、マイクという別人が先に収監されていたから、彼自身はマイク・マイクと呼ばれることになったらしい。

本作で描かれるのは刑務所内でのRTA(Rehabilitation Through the Arts=芸術を通じたリハビリテーション)というもので、それには演劇が関わってくる。この演劇グループにおいて中心的な役割を果たしているのがディヴァインGだ。彼は自分で脚本を書いたりもしているし、シェイクスピア劇で主演を務めたりもしていて、舞台演出を務めているブレント(ポール・レイシー)の右腕みたいな役割もしているのだ。

そして、ディヴァイン・アイはその演劇グループに入ることになった新人だ。彼は何かと問題が多い人物でもあったのだが、『リア王』に感動したというところに素養を見出され、グループに新人として迎え入れられることになる。

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演劇の有効性

本作は、刑務所内の更生プログラムとして演劇が題材となっている点で『アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台』とよく似ている。ただ、『アプローズ』の場合は、実話をもとにしていたけれど、かなり作り込まれたドラマチックな作品だった。

それに対して『シンシン/SING SING』はドキュメンタリー的な側面が強い。というのも、本作が描いているのは刑務所内の更生プログラムである演劇というものが、実際にどんなふうに行われ、それが収監者たちにどんな影響を与えているのかという点を丁寧に追っているからだ。そして、その更生プログラムの成果とも言える、実際の元収監者たちの姿や表情が示されることになる。

最初に演劇グループに入ってきたディヴァイン・アイは、なぜか常に苛ついている。それがなぜなのかは自分でもわかっていないのかもしれない。親切なディヴァインGが彼に対して説教めいたことをすると、ディヴァイン・アイは反発することになる。それでも彼は演劇をすることで、少しずつ変わっていく。

彼らはみんな囚人だ(ディヴァインGは無実の罪を主張しているけれど)。みんな何かを仕出かして刑務所に収監されているということになる。実際に彼らがどんな悪事をしてしまったのかに関しては触れられないけれど、そこには怒りをコントロールできなかったということがあるのかもしれない。しかし劇中の元収監者たちはみんなとても穏やかに見え、自分の感情をコントロールしているように見える。

演劇の有効性というものは一体何なのだろうか? 彼ら囚人は檻の中に閉じ込められているわけで、不自由極まりない。しかしながら演劇をすることで自由になれるとされる。演劇は別の人になりきるわけで、そのことが客観的に自分を見つめ直すことにもなっているのかもしれない。

演出家のブレントは「自分が完璧だった瞬間」というものについて、彼らに考えさせる。この時の質問の仕方も、「自分が完璧だった瞬間は、どんな場所だった?」という訊き方だった。今では不自由な状況にあるけれど、演劇をすることで、ここではない別のどこかへ行くこともできる。そういう点が強調されているのだろう。

檻の中にいても、心の中では自由にどこにでも行ける。そんなふうに感じられる効果が、更生プログラムとして演劇にはあるということなのだろう。

本作の重要なキャラであるディヴァインGとディヴァイン・アイ。二人の最初のイメージとしてはディヴァインGはダニー・グローバーのような“いい黒人”で、逆にディヴァイン・アイはタイソンのような“悪い黒人”のようにも見える。それでもディヴァイン・アイは演劇をすることで少しずつ変わり、表情も柔和になっていく。ところが、劇中ではディヴァインGには度重なる不幸もあり、立場が逆転したような形になり、それまで穏やかだったディヴァインGも荒れることになる。

ただ、それを救ったのはディヴァイン・アイだった。最初にいつも苛ついていたディヴァイン・アイを支えたのは、ほかならぬディヴァインGだったわけで、今度はそれが逆転したのだ。演出家のブレントが望んでいたのも、「みんなで支え合おう」ということであり、ラストの二人の抱擁が静かな感動を呼び起こすことになる。

この過度に「お涙頂戴」になっていないところを評価するかどうかは、人によって異なるのかもしれない。ドキュメンタリー的なところもあり、描こうとしているテーマが見えてこないような雑多と思える部分もある。それをリアリティがあると感じる人は本作を評価するだろうし、ぼんやりとしていると感じる人もいるだろう。

個人的には、悪くはないけれど微妙という感じかもしれない。それでもディヴァイン・アイをはじめとする元収監者たちの顔はみんなユニークで、それを丁寧に捉えているところは良かったと思う。

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