『消滅世界』 疑問だらけ

日本映画

原作は『コンビニ人間』村田沙耶香の同名小説。

監督・脚本・編集は映像ディレクターとしてミュージックビデオなどを製作していたという川村誠。本作が長編映画監督デビュー作。

主演は『朝が来る』蒔田彩珠

物語

人工授精での妊娠・出産が常識となった時代に、愛し合った両親から生まれた雨音は異質な存在だった。アニメのキャラクターと恋愛をし、夫の朔とは性愛を持ちこまない穏やかな結婚生活を楽しむ毎日。その頃、住民全体で計画的に人工授精、出産、管理を行い、住民みんなで子育てをする実験都市が千葉に生まれていた。家の外にいる恋人との恋愛がうまくいかず、“エデン”と呼ばれるその地に移住することにした雨音と朔だったが───

(公式サイトより抜粋)

かなり先の未来?

設定がかなりぶっ飛んでいる。現実世界の一歩先どころか、数十歩も先を行っている気がする。それだけ先を行くと、現実世界の常識がまったく通用しない世界になってくるのだ。

人工授精での妊娠・出産が常識となるというのは可能性としてはあるかもしれない。それでも人工子宮というのはまだ先の話だろう。たとえば人工的なポッドで子どもを育てる『ポッド・ジェネレーション』は、現実世界の一歩先の未来を描いていたと言えるかもしれない。

それに対して『消滅世界』はもっとずっと先の未来を描いている。本作では、男性までが人工子宮で子どもを出産する世界となり、家族のあり方がまったく現実世界とは異なる形になっているのだ。本作がいつの時代を描いているのかは具体的には示されないけれど、現実世界の常識がひっくり返るような世界になっているのだ。

©2025「消滅世界」製作委員会

「近親相姦」とは?

『消滅世界』の劇中世界では、人工的な妊娠・出産が当たり前で、逆に自然な妊娠が汚らわしいものとして扱われることになる。ここでは自然な妊娠は「近親相姦」と呼ばれて忌み嫌われることになる。この世界では「近親相姦」の意味も変わってしまっているのだ。

劇中世界では、家族になった男女は一切の性的接触をすることがない。それが劇中世界の「正常」なのだ。だから結婚した男女が性的接触をすることは、家族であるにもかかわらずセックスをするという意味で「近親相姦」と呼ばれることになったらしい。劇中の家族とは、性的なものを一切なくした形なのだ。

家族社会学では家族を二つに分類して考えることがある。「定位家族」と「生殖家族」だ。「定位家族」は自分が生まれ育った家族のことで、「生殖家族」は自分が結婚して新しく作る家族のことだ。同じ家族でも子どもから見れば「定位家族」となり、親からすると「生殖家族」ということになる。

本来、この二つの家族はあくまでも分類のためのネーミングであり、二つの家族を分けることなどできないはずなのだが、劇中世界の家族とは「定位家族」のことを意味することになるのだ。

この家族では性的な関係は排除されていて、そうしたものは家庭以外の場所で処理することが一般的となっているのだ。だから劇中世界では結婚しても、家庭の外に恋人がいることも認められることになる。家族というものがまったく現実世界とは異なる形になっているのだ。

ここまででもかなり現実世界の先を行っているわけだが、さらに後半では「エデン」という実験施設が登場する。「エデン」ではもはや家族というものはなくなってしまっている。

「エデン」ではすべての子どもたちは、そこにいるすべての大人の庇護下にあり、個々人の名前すら否定されている。誰かの子どもではなく、みんなの子どもであり、みんなが平等ということなのだろうか。子どもたちはみんな「子どもちゃん」と呼ばれ、大人たちはみんなが「お母さん」となる(男性も子どもを産むから)。果たしてそんな世界が遠い未来に実現するのだろうか? とにかく現実世界とはかけ離れた世界ということは言えるだろう。

©2025「消滅世界」製作委員会

性的なものはどこへ?

こうして設定を書き連ねてみても、すでにいくつもの疑問が浮かんでくるだろう。劇中世界では性的なものは家庭の外に追いやられる。かと言って、性欲がなくなったわけではないらしい。人間が変化して性欲が著しく減退し、家庭から性的なものが排除されたというならわかるかもしれないけれど、なぜ家庭と性的な関係を分ける必要が生じたのだろうか?

とにかく本作では家族と性的なものは分けられることになる。確かに性的接触を好まない人もいるけれど、その一方で性欲を持て余している人もいる。だから「エデン」の中では性欲を処理してくれる場所が存在し、男女ともが恥ずかしげもなくそこに行列を作っていたりするのだ。

「エデン」はすべてが白で覆われている。これは「エデン」の世界が純粋無垢であるということの象徴なのだろう。一方で主人公の母親(霧島れいか)はいつも赤を身にまとっている。母親は赤は「愛の色だから」だと語る。

そして、本作の主人公の雨音(蒔田彩珠)は、白が象徴する世界と赤が象徴する世界、その境界にいるのかもしれない。

©2025「消滅世界」製作委員会

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「正常」と「異常」とは?

雨音は、母親が父親と愛し合った結果、雨音が生まれたということを聞かされてきた。しかし劇中世界ではそれは「異常」なことになる。雨音はそれが「異常」であることを、小学校に入ってから知ることになる。

それからの雨音は母親を否定し、「普通」になることを望む。赤の世界を否定し、白の世界に溶け込むことを望むのだ。

雨音はまずは二次元キャラに恋をし、同じキャラが好きな同級生の水内(結木滉星)と親しくなったりもする。そして、婚活アプリで朔(栁俊太郎)という男性と再婚し(最初の結婚には失敗したのだ)、家庭の外に恋人を持ったりもする。しかし、こうしたアレコレは結局は母親に対する反抗ということだったのだろうか?

雨音は朔と一緒に「エデン」に逃げ込むことになる。朔は男性で初めての出産経験者となり、白の世界に馴染んでいく一方で、雨音はそこでも違和感を覚えているようだ。というよりも、本作では雨音以外の登場人物は白の世界のことを疑っていないようだ(雨音の母親だけが唯一の例外だが)。

雨音はどっちつかずの境界の様な場所にいるから、両方の世界が相対的に見えるのだろう。本作の中で一番印象的だったのは、雨音と母親との会話だろうか。

白の世界はイメージ的にカルト宗教みたいなものを思わせる。カルトに入信する人は洗脳されているとされる。しかし雨音は「洗脳されていない人なんかいない」と語るのだ。白の世界にしても赤の世界にしても、どちらもにしても洗脳されていることに変わりはないというのだ。

そして、正しく洗脳されるということは、正しく狂うということであり、そんなふうに真っ当に狂うことが普通になるということであり、「正常」ということになり、それのほうが楽だというのだ。正しく狂っている人こそが「正常」であり、そうじゃない人が「異常」とされるのだ。何が「正常」で、何が「異常」なのか、それがよくわからなくなってくるだろう。

雨音は白の世界も赤の世界も相対的に見ていたけれど、結局、彼女がラストにやったことは白の世界の中でそれを攪乱することであり、結局は元の世界(赤の世界)に戻そうという行動だったのだろうか? 母親への反抗が雨音の行動を決めていたのに、いつの間にかに母親の思う壺にハマってしまったということなのだろうか?

何が「正常」なのかという問いは興味深いけれど、作品世界そのものはあまりに現実世界とかけ離れ過ぎてちょっと困惑させられた。「エデン」という実験施設は一応「楽園」ということなのだろうけれど、子どもたちが一律に「子どもちゃん」などと呼ばれる世界がいいとは誰も思わないんじゃないだろうか? ネーミングも変だし、子どもたちだってそのうち自我に目覚めて名前のないことに疑問を抱くだろう。

とは言え、性的なものを排除した家族が自然とも思えないし、だからと言って現実世界の家族のあり方が正解なのかもわからないけれど……。とりあえず考えさせるところはある。それでも物語に引き込まれるといった感覚はなかった。

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