『正体』 あまりに真っ直ぐ過ぎて……

日本映画

原作は染井為人の同名小説。

監督は『新聞記者』などの藤井道人

主演は『ヴィレッジ』でも藤井道人とタッグを組んでいる横浜流星

物語

日本中を震撼させた凶悪な殺人事件の容疑者として逮捕され、死刑判決を受けた鏑木(横浜流星)が脱走した。潜伏し逃走を続ける鏑木と日本各地で出会った沙耶香(吉岡里帆)、和也(森本慎太郎)、舞(山田杏奈)、そして彼を追う刑事・又貫(山田孝之)。又貫は沙耶香らを取り調べるが、それぞれ出会った鏑木はまったく別人のような姿だった。間一髪の逃走を繰り返す343日間。彼の正体とは?そして顔を変えながら日本を縦断する鏑木の【真の目的】とは。その真相が明らかになったとき、信じる想いに心震える、感動のサスペンス。

(公式サイトより抜粋)

死刑囚が逃亡した?

冒頭で鏑木(横浜流星)という男が逃走を図る。わざとケガをして救急車で移送中に大暴れして、そこからまんまと逃げ出すのだ。彼は実は複数の人間を殺した死刑囚で、そんな男が逃亡したということで日本は大騒ぎになる。

それから刑事の又貫(山田孝之)が、鏑木と接触していた人たちを取り調べる様子が描かれる。又貫は「鏑木の正体に気づいていなかったのか?」と問いかけることになるのだが……。

鏑木は救急車から逃げ出した後、どこかの飯場で活動資金を貯める。そこで出会った和也(森本慎太郎)に指名手配犯であると見抜かれ、再び逃走。今度はネットカフェに住みながら、ニュースサイトに記事を書くフリーランスのライターとして活動することになる。ここで沙耶香(吉岡里帆)という編集者と出会い、彼女の家で一時的に世話になることに。

ところがあるところからの横槍が入り、再び彼が指名手配犯であることがバレ、鏑木は再び逃走し、ある介護施設で働くことになり、そこで舞(山田杏奈)と出会うのだが……。

©2024 映画「正体」製作委員会

一度で5倍楽しめる?

指名手配犯が逃走し、各地で潜伏しながらという話はどこか既視感がある。主人公の行動の目的という点ではハリソン・フォード主演の『逃亡者』とよく似ているし、悪い人が出てこないという点では『悪人』とも近い気がする。だからそんな似たような題材を「なぜ今さら」という気はしないでもない。

確かにエンタメとしてはそれなりに見どころもある。本作の主演は横浜流星だが、その横浜流星が5つの顔を持つ男を演じ分けることになるわけで、横浜流星ファンからすれば堪らない部分があるのかもしれない(ちなみに本作はWOWOWでテレビドラマ化もされていて、そちらでは亀梨和也が主演を務めたらしい)。

冒頭近くで救急車から脱出する場面など、その暴れっぷりは迫力があった。真上から撮られたシーンは救急車ではなくてセットで撮られているのだと思うけれど、狭い場所でのアクションはよく出来ていたんじゃないだろうか。その後に鏑木と刑事の又貫が対峙する場面でも、キレイに整ったリビングを一瞬にして半壊させるほどの派手な場面を見せてくれる。

警察に追われた主人公がどうなるかという興味もあってエンタメとしてはそれなりに見られるけれど、それ以上のものを求めてしまうと疑問に感じられる部分も多いんじゃないだろうか?

©2024 映画「正体」製作委員会

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リアリティと説得力

本作は冤罪という題材を扱っている。この設定がリアリティがあるかどうかと言えば、圧倒的にリアリティに欠ける。たとえば『それでもボクはやっていない』という作品は、実際に起きた痴漢冤罪事件を題材にしていて細部にリアリティがあったけれど、『正体』ではあちこち嘘っぽさが垣間見えてしまうのだ。

警察が威信をかけているにも関わらず鏑木が逃げ続けられること自体も嘘っぽいし、どの職場でもしっかりと仕事をこなしてしまう能力もリアリティがあるとは思えなかった。

鏑木の罪が冤罪であることは、観客にも割と早くに判明する。もちろん鏑木自身は「ぼくはやっていない」と繰り返すことになるし、彼が犯人でないことは刑事の又貫も薄々感じている。というのも、警察組織の上司(松重豊)が年の瀬の忙しい時期に面倒だったのか、事件を早く済ませたかったから適当な犯人を見繕ったということが真相なのだ。

当時の鏑木はまだ18歳で、その年齢でも死刑になる可能性があることを示すにはいい機会だといった目論みもあったらしい。そんなことで冤罪を着せられたら堪ったものではないけれど、そういう設定になっているのだ。

実際の冤罪事件はどんなふうにして起きるのかはわからないけれど、それでも本作のケースはあからさまに杜撰で、冤罪被害の根絶を訴える作品としては説得力に欠けるんじゃないだろうか。

©2024 映画「正体」製作委員会

この世界を信じたい

冒頭近くで刑事の又貫は、鏑木と接触した人々を取り調べしている。又貫は彼らを責めているように見える。お前たちは指名手配犯である鏑木を匿っていたんじゃないのか? そんな意識が垣間見えるような表情をしているのだ。

ここでは又貫はスクリーンの左端に登場し、次のカットでは取り調べを受ける側は右端にいる。同じ構図の場面が後半でも登場する。すべての逃走劇が終わった後に、逮捕された鏑木に又貫が接見した場面だ。ここでは冒頭とは反対に、スクリーン左端に鏑木が登場し、右端には又貫がいる。

そして、後半の場面では、又貫は鏑木に「なぜ逃げた」と問いかけることになる。誰も逮捕されることを望む人はいないわけで、不思議な質問とも言える。ましてや鏑木はまったくの冤罪であり、何もしてないのに牢屋に入れられるのを許容するほうがおかしいだろう。しかしながら、この問いかけに対して鏑木は「この世界を信じたかったのです」と返すことになるのだ。本作はこの言葉を鏑木に言わせるためにあると言ってもいいのかもしれない。

この言葉によって又貫は自分の態度を変えることになるのだ。警察組織に従順であることよりも、本来の正義に目覚めたということだろうか。それによって状況は変わり、裁判では鏑木が勝ちを得ることになるのだが、あまりにもキレイごと過ぎたんじゃないだろうか。

何もしてないのに死刑囚にされてしまった当人が、なぜこの世界を信じられるのだろうか。もちろん本作では鏑木に信じることを教えてくれた人がいる。沙耶香は最初はフリーライターとしての腕を買って彼のことを世話していたわけだけれど、ある時点で彼が指名手配犯であることに気づいてしまう。

それでも沙耶香は彼のことを信じ、追ってきた刑事の邪魔をして鏑木の逃走を助けることになるのだ。「信じる」ということが本作の重要なテーマというわけだけれど、あまりにも真っ直ぐ過ぎたんじゃないだろうか。

最近の『アイミタガイ』という作品もいい人ばかりでキレイごとの部分があるけれど、そんな話を描かなければならないという言い訳の部分も遠慮がちに付け加えていた。それに対して本作の場合は、あまりにも直接的過ぎるような気がした。

横浜流星はキラキラと輝くような瞳で刑事にそんな言葉を漏らすのだ。もちろん感動的な言葉ではあるし、そういう世界であって欲しいとは思うけれど、真っ直ぐ過ぎて冷めてしまったのだ。

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