監督・脚本は『女は二度決断する』などのファティ・アキン。
共同脚本にはファティ・アキンの恩師とされるハーク・ボーム。
原題は「Amrum」で、これはドイツ北部のアムルム島のこと。
物語
第二次世界大戦末期、本土へ向かう爆撃機が上空を飛行する中、ドイツ北部に位置するアムルム島はどこか美しく、楽園のような静寂を保っていた。戦地から疎開してきた12歳の少年ナニングは、父に代わり農作業で得たわずかな食糧で身重の母と幼い弟、叔母ら家族を支えている。 島民たちが終戦を待ち望むなか、ナチス国家、ひいてはヒトラーへの忠誠を信じて疑わない母・ヒレ。しかし、ラジオがその死を告げた瞬間、彼女は取り乱し、家族の日常も一変していく。生気を失い、食事を拒むヒレが唯一欲したのは、たっぷりのバターとはちみつが塗られた白パンだった—
(公式サイトより抜粋)
またしてもヒトラー?
ドイツ映画はなぜかヒトラーの話ばかりだ。もしかすると日本で公開される映画がそんな作品ばかりが選ばれているということなのかもしれないけれど、ちょっと食傷気味なところはあるのかもしれない。それだけドイツではヒトラーという存在がいまだに大きいということなのだろう。
前回取り上げた『開戦前夜』と関連させて言えば、『白パンと独裁者』でもヒトラーの存在はとても大きくて、戦争責任という点で日本とは事情が異なるところがあるようだ。ドイツでは戦争責任というものが、ヒトラーやナチスにあるということが一般的な了解事項になっているのだろう。ところが日本ではそれを明確に言うことが難しいのだ。
東京裁判で裁かれたのは東条英機に代表される軍人ということになっているけれど、『開戦前夜』においてはその東条英機も戦争回避を探っていたことになっているわけだし、明確に誰の責任なのかということを指し示すことは難しいようにも感じられてしまう。
これは日本だけが特別ということなのか否か? そんな問いに答えることは到底無理なので映画の話に戻れば、『白パンと独裁者』はヒトラーが亡くなったことで人生が一変してしまった人の話とも言える。

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ヒトラー信奉者の母親
本作では、ドイツが第二次世界大戦に負けるまでの一週間くらいを描いている。その間にヒトラーは自殺するわけだが、ヒトラーが死んだことで参ってしまうのが本作の主人公ナニング(ジャスパー・ビラーベック)の母親だ。
母親のヒレ(ローラ・トンケ)はヒトラーの信奉者だ。ヒレはヒトラー死亡の報と同時に産気づき、出産することになるのだが、子どもは産まれても「こんな世界でどう生きていけば?」といった状態で、何も食べ物を受け付けなくなってしまう。
ヒレはもともと保守的な愛国者だったのかもしれないけれど、彼女のアイデンティティを支えていたのが旦那がヒトラーの親衛隊にいるということだったのだろう。ヒトラーが生きている間は、そのことはヒレの後ろ盾になる。ところがヒトラーが死んでしまったわけで、彼女は支えを失ってしまったのだ。
ヒレはヒトラーが亡くなる前に、近所の農家のテッサ(ダイアン・クルーガー)が「ドイツは負ける」と言っていたと知り、彼女のことを密告する。ヒトラーに対する信頼度がそれほど強かったということなのだろう。ところがそのヒトラーは死んでしまうわけだ。そうなると彼女の世界は一変してしまうことになる。
ナニングはそんな大人たちの事情は知らない。ただ、母親が何も食べなくなってしまったことは気にかかる。母親が食べたいと言っていた「たっぷりのバターとはちみつが塗られた白パン」。これを求めてナニングは島中を走り回ることになる。
この設定はどこか最近の『大統領のケーキ』とよく似ている。大人たちの事情に子どもが巻き込まれることになることもそうだし、材料探しが子どもたちの冒険みたいになっているところも共通しているのだ。
「弱肉強食」のルール
ナニングはもともとハンブルグに居たようだ。ところがハンブルグは空襲で壊滅的な被害を受けることになる(このあたりの事情はたとえばヴォネガットの小説『スローターハウス5』に詳しい)。そんなわけでハンブルグに居られなくなったナニングたちは、田舎のアムルム島に疎開していたのだ。
アムルム島はドイツ北部の島で、デンマークとの国境の近くにある。冒頭では、島の上空をイギリスあたりの戦闘機が列をなして飛んでいく様子が描かれている。爆弾を落とすのは都市部であって、島の上は通り過ぎていくだけなのだ。
ナニングはアムルム島を母親のために走り回る。本作はそんなナニングの冒険を描くことになるわけだけれど、その世界は「弱肉強食の世界」とも言えるかもしれない。
ナニングは白パンを手に入れるために様々なことをする。ウサギを捕獲し、アザラシ漁を手伝い、野鳥の卵を盗みもする。ウサギは吊るされて捌かれることになるし、アザラシは彼の目の前で撃たれてしまう。野鳥の卵の中には孵る前のヒナがいたりもする。動物たちにとってはいい迷惑だが、ナニングは母親のために必死なのだ。
島にはほかにも必死に生きている子どもたちがいる。ナニングよりも後に疎開してきた子どもたちは食糧難ということもあって、島で追いはぎみたいなことをしている。ナニングは彼らに何度も獲物を奪われたりする。誰もが生きることに必死で、そうなると世の中は「弱肉強食の世界」の様相を呈してくる。
自然の世界はもともとそういうものだ。ただ、人間の世界はちょっと違う部分がある。ヒトラーが生きている間は、ナチスの親衛隊はエリートとして特権的な地位にあり、権力を持っていた。ナニングは砂糖をもらいにおじさんのところに行くけれど、彼の家にはバターもあった。これは彼が親衛隊だったからこそ、特別に配給されていたものなのだろう。
ところがヒトラーが死ぬとその世界は一変してしまう。親衛隊のおじさんは自殺することになるし、ヒレは配給券を持って肉屋に行くけれど、ヒトラーが死んでしまえばそんな券には何の価値もなくなってしまうのだ。自然の世界の「弱肉強食」のルールは変わらないのかもしれないけれど、人間の世界の「弱肉強食」のルールは一変してしまうことがあるのだ。

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受け入れがたい真実
ナニングは特段ヒトラーの信奉者というわけではないけれど、母親の教えもあってヒトラーユーゲントに所属している。けれどもそれが何を意味するのかはよくわかっていない。だからナニングは「ドイツが負ける」と誰かが言っていたと何気なく話してしまったりする。そのことがテッサに迷惑をかけるなどということは知らなかったのだ。
子どもにとっては自分の家庭がすべてで、それが特別なものとは思えない。ほかの家庭を知ることで初めて、自分の家庭がほかと違うことを知ることになるわけだけれど、最初は自分の家だけがすべてなのだ。
テッサはナニングに対して「あの親にしてこの子か」などと言って彼を追い払うことになるけれど、この台詞はヒレが周囲からどんなふうに見られていたかということを示しているだろう。ヒレは周囲からすれば卑劣な密告者でしかないのだ。
しかしナニングにとっては母親がすべてであり、そのことを疑うことはない。ところが今回の冒険の中でナニングは真実を知ってしまうことになる。
ナニングの父親は親衛隊として特権的な地位にいた。けれどもその父親もヒレも、テオおじさんとその恋人のことを助けようとしなかったというのだ。劇中では父親がどこまでナチスの悪行に関わっていたのかは示されない。ただ、島の人は助けられるはずだったテオおじさんと恋人を見捨てたと感じていたようだ。
この島民はナニングの両親を非難するわけだが、それに対してナニングは自分の両親が悪いことをするはずはないと否定することになる。彼にとってはそんな両親がすべてであり、そんな真実を受け入れることはできなかったというわけだ。

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無関係ではないこと
本作はその先のことまでは描かれないけれど、恐らくナニングはその真実を受け入れるほかなくなるのだろう。両親がナチスがやっていたことに加担していたことは明白なのだから。
本作はそこで終わってもよかったのかもしれないけれど、夢という形でもっと突っ込んだことを描こうとしている。テオおじさん(マティアス・シュバイクホファー)がナニングの夢に登場するのだ。テオは夢の中でナニングを非難する。もちろんナニングは何か悪いことをしたわけではない。それでも彼は、自分のことを助けることもしなかった人たちの子どもであり、ナニングを見るとその親のことを思い出してしまうというのだ。
これは自分の親のやったことでも無関係ではないということだろう。自分の親たちの世代がやったことに、われわれ世代は責任はないかもしれない。それでもそれは無関係とは言えないということなのだ。
ここでようやく本作をファティ・アキンが撮った意味がわかってくる。本作はもともと彼の師匠筋でもあったハーク・ボームという人の物語だったようだ。ハーク・ボームはドイツ映画界の重鎮でもあり、役者としてファスビンダー作品などにも出ていた人らしい。
そんなハーク・ボームが本作の最後に顔を出している。本当は彼の最後の監督作になるはずだったものの、年齢的に厳しくなり、ファティ・アキンが代わりに監督をすることになったようだ。そうなるとファティ・アキンとしては自分とは無関係の話になってしまうことになる。だからテオおじさんにナニングを非難させることで、本作をファティ・アキンが撮るべき作品にしているのだ。
ファティ・アキンはトルコ系移民だ。両親はトルコからドイツに渡り、そこで生まれたのがファティ・アキンだ。それこそ彼はヒトラーが生きていた頃には生まれてもいなかったわけだけれど、やはりドイツで生まれたというわけで、ドイツの歴史とは無関係ではないと示しているというわけだ。
これは誰にとってもそうだろう。かつての日本の戦争がわれわれが生まれる前の出来事だったとしても、それでもわれわれとまったく無関係とは言えないというわけだ。改めて歴史を学ぶことの意義を感じさせるような作品になっているのだ。
アムルム島の美しい風景がとても印象的な作品だ。空撮でもわかる通り平らな島で、潮の干満の影響を受けやすく、そのことが劇中でもうまく利用されている。夜のシーンがグレーがかっていたのは、「day for night」という手法だろうか。そのあたりの情報は見つからなかったけれど、物語的にもよかったし、映像的にも見応えがある作品になっていたんじゃないだろうか。約90分というコンパクトさも素晴らしい。最後に付け加えておけば、ナニングを演じたジャスパー・ビラーベックは新人とは思えないほどうまかった。



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